19.鼎さんの願い。
(──ゴォォォォォ……)
意識さえ吸い取られそうな黒い風吹く最中。神社の境内全体を覆っていた炎と煙が、鼎さんの祀られていた格子扉の向こう側へと、吸い込まれる様に消え去っていく。
(──一体、何が……)
鼎神社境内の周辺では、沢山の人たちが僕とマニカと同じ様に倒れている。
雲間から顔を出した夜の月明かり。そして、もともと設置されていたセンサーライトだけが、吹き荒れる黒い風に包まれた辺り一帯を照らしていた。……時々、点滅する様に。
点いたり消えたりを繰り返すセンサーライトの下で、強風に煽られた神社の注連縄が揺れていた。風がゴウゴウと吹き荒れる視界の中で、マニカと僕の指先が見える。
「マニカ!」
「ツナグ……くん。鼎さんが」
「こ、これが」
指の先端に触れたマニカの白い指先。温もりを感じる。僅かだけど、マニカの指先が動いたのを確認した。
……僕もマニカも、かろうじて意識を保てている。
けれど、僕とマニカとの触れた指先の間で──。人の形をした小さな黒い影が揺らぐのを見た。
〝アァ……ナンテキモチイインダロ……ソトノセカイハ〟
この世のものとは思えない……。影の声が辺りに響く。ゾッとした。着付け部屋の既視感の中で聞いたのと同じだ。
吹き荒れる黒い風の中で、やがて、その影の輪郭が……幼い頃に見た葉月の小さな子ども姿へと形を変えていった。黒髪だったはずの葉月のショートヘアが、白金の様に輝いて見える。まるで、影は、小さな身体に白と朱色の巫女装束をまとった幼い葉月そのままの姿を象っていた。
「あぁ……。久しぶり。永らく夢を見ていた様な」
小さく揺らいでいた影が、子どもの頃の葉月の姿を留めたまま口を開いた。けれど、葉月と違うのは──。
白金の髪色同様、大きな瞳の上に流れる神秘的な眉と睫毛。その幼い葉月の様な顔が、月夜の空を仰ぐ。開かれた瞳には、夜空に輝く金色の満月を宿していた。
「あの子がくれた記憶。……意識。世の中は随分と変わった。成長って言うの? 身体をあの子と共有してるみたい」
(──ググググ……)
「え?」
「嘘……」
僕とマニカの目の前で──急に、子どもの姿から高校生くらいの姿になった。まるで、葉月の姿をした黒い影──、鼎さん。
鼎さんが、大きくなった自分の手のひらをマジマジと見つめている。
それは、子どもの頃の姿から、一気に成長した今の葉月を見ている様だった。僕もマニカも、ただただ息を呑んでその様子を見ているだけで動けなかった。
葉月とは違う白金の髪を掻き上げ、金の満月の様な瞳が、倒れたままの僕とマニカを見下ろす。……葉月と瓜二つの姿をした鼎さんが、そこに居た。
「君が、ツナグ? 大きくなったね。で、こっちが、マニカ。二人とも夢で会ってたよね? 時の揺らぎの世界で」
喋り口調は、葉月とは違っていた。声色も。影の時の声よりも、ずっと人間の声に近かった。
その鼎さんが、白と朱色の巫女装束姿で「ハハハ!」と笑う。指先を合わせ、葉月と同じ顔で。
「な、何が目的……なの? 葉月を依り代にして、何が……したいの? 鼎さんは」
「まぁまぁ。焦んないでよ、マニカ。せっかく外に出られたんだし。葉月は心配ないよ? 共有してるだけだから」
「ここに、居る人たちは……」
「ハハ! ツナグも大人になったよね。気になる? たくさんの人間が願ってたよ。助けてくださいって。けど、何も無しって訳にはいかない。だから、少しもらったよ。記憶と意識をね」
──黒い風。吹き止んだ。鼎神社境内に、夜の静けさが戻る。
葉月の姿をした鼎さんの口に、八重歯がチラリと光る。センサーライトが、鼎さんの動きに反応していた。もう、ただの影じゃないってことが分かる。
辺りを包んでいた、炎と煙が消えている。けれど、大勢の人たちが倒れたままだ。
「さ。さっさと済ませちゃおっか? 『影男』に『月女』。なかなか、それっぽい響きでしょ? 暗号っぽくて」
「……な、何をするの」
「ま、まさか。葉月の様に」
「ハハ! 大丈夫。大丈夫。君たちは、死なせないよ? 永遠にね?」
「え?」
「どう言う事……」
「んー。知らない……か。まぁ、いいや。この際だから。『影男』に『月女』。君たちから、『父上』と『母上』を取り出すの。面倒だから、あの『黒い渦』に入っちゃってくれないかな?」
『黒い渦』──。振り返ると、神社本殿の格子扉が開いたそこに。暗闇の宇宙空間に渦巻く銀河の様な中心が、螺旋型に光り輝いていた。
「……あ、あれは」
「そ。マニカは現実で入ったことあるよね。時の揺らぎの世界」
「もしかして……」
「お察しの通りだよ、ツナグ。マニカが時々、消えてた理由。僕一人の孤独な世界」
葉月の姿をした鼎さんが、上から僕を見つめる。満月の様に輝く金色の大きな瞳で。
けれど、僕とマニカから取り出すのが、鼎さんの言う『父上』とか『母上』とか……。
(──いや。マニカは、実家の神社のお母さん鼎石に守られていたんじゃないのか……?)
黒い靄の様な疑問が、頭の中に浮かび上がる。
とは言え、その疑問を掻き消す様に──〝君たちは、永遠に死なせない〟〝『父上』と『母上』を取り出す〟──そう口にした、鼎さんの言葉に恐怖を感じた。
俄には信じがたい……。僕とマニカが、現世に『転生』したって事なんだろうか。それも、実は、僕とマニカが、鼎さんのお父さんとお母さんだった──?
仮にとか、もしもの話が、僕の頭の中を交錯する。既視感の時に感じた痛みが、小さな電流が刺す様に頭の中にビリビリと走った。
(うっ! 頭が……。痛っ! マニカ……!)
朦朧とし始めた意識の中。残された力を込めて、マニカへと手を伸ばす。震えていた……。その瞬間、マニカも手を伸ばしていたのか、僕とマニカの二人の手が合わさった。
「葉月ちゃんを、返して! それに、私は……鼎さんのお母さんなんかじゃないっ!!」
「あぁ……。忘れたの? マニカ、あの時、言ったよね? 〝私が、お母さん〟って」
「……転生させる気か」
「してるじゃない。ツナグは、〝お父さん〟でしょ?」
着付け部屋の既視感の中で視た──幼い頃の僕とマニカ。夕闇の神社の境内で遊んだ……鼎さんとの隠れんぼ。そして、〝オママゴト〟をした記憶。
あの時の出来事が……。今になって、残酷に僕の心の中を貫いた。