18.厄災。
(──パチパチ……。ゴォォォォ……)
「え……。煙? 炎?」
既視感──じゃない。目に見えた現実の風景。なのに、既視感の中に居る様な、俯瞰した感覚に僕は襲われていた。
さっきまで横揺れの激しかった地震……。気がつくと揺れが収まっていた。けれど──。
何かが燃える臭いがした。視界には、鼎神社境内に居た人たちの姿……声。暗闇の中で赤々と燃え盛る炎、モウモウと立ち昇る白い煙。
……目の前では、避難や救護に向かう人の波でごった返していた。傾いた屋台やテントの様子が見える。
その手前。
僅か数メートル離れた場所で、白と朱色の巫女装束を着た葉月とマニカが倒れている。
そして、僕よりいち早く駆けつけていた空也が、何度も葉月の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「葉月! 葉月!」
とても嫌な予感がした。
視界がぼやけたまま、炎と煙の最中、何とか意識を保って立ち上がる。重い身体と袴を引きずりながら、空也と倒れていた葉月とマニカのもとへと歩み寄った。
一歩、一歩……。
まだ、眩暈が収まらない。その時、マニカが僅かに半身を起こして、葉月に声を掛ける姿を目にした。
「葉月……ちゃん」
マニカが、泣いていた。
事態が呑み込めないまま、空也とマニカ、葉月のもとへと近づく。立ち込めた煙と炎の勢いが凄まじい。
「そ、空也! い……いったい何が」
「葉月が! 葉月が! ……息してねぇんだよ!!」
辺りを囲む炎の熱が、顔の表面に突き刺さる。けれど、動揺を隠しきれない空也の表情に、身体がこわばった。背筋が凍る。震えてそこから、一歩も動けなかった。
誰かが通報していたのか、到着していた消防車と救急車のサイレンが辺り一帯に絶え間なく鳴り響いている。数え切れないほどの赤いランプが、夜の境内に反射して炎と煙の中で回っていた。
(……嘘だろ? 僕が気を失って倒れていた間に、葉月が──)
そのことに気づくまでの、僅かな数分間──。
地震の揺れで倒れた松明の炎が、周囲の山林に燃え広がっていた。大きくなった火の手が煌々と夜の鼎神社を照らしている。
「AED! AED!! 早くっ!!」
そこかしこから聞こえる、救護の声。
それは……知らない誰かじゃない、僕らへと向けられた声だった。
そして、その叫び声とともに、駆け付けた救急隊の人たちが、人混みを掻き分ける様にして僕らを押しのけた。
『AED』──。巫女装束を着ていた葉月の露わになった胸に、心肺蘇生装置が素早く取り付けられて行く。
「離れて! 三! 二! 一!!」
ブブブ……と、電気ショックが数回。炎と煙に包まれた夜の境内に響く。
「葉月!! 目ぇ覚ませよ!! 葉月っ!!」
空也が焦燥しきった表情で、何度も何度も葉月の名前を呼んだ。
「葉月!!」
「葉月ちゃん!!」
僕とマニカも空也とともに……呼吸の止まった葉月へと声を掛けた。その最中、救急隊の人たちが何度も葉月に人工呼吸とAEDの電気ショックとを繰り返していた。
「カハッ! ハァ……ハァ……」
「蘇生確認! 担架っ!!」
間一髪──。息を吹き返した葉月が、直ぐさま毛布に包まれた。担架に乗せられる。
人力で、葉月が救急隊員の人たちに火の手が上がる境内から救急車へと運ばれて行く。その様子に、僕とマニカは、身動きすることが出来なかった。
「身内の方ですか?」
「はい」
救急隊員に、そう返事した空也が炎と煙の最中、黒の烏帽子を脱ぎ捨てた。そして、空也は袴姿のまま……葉月が運ばれた救急車へと乗り込んだ。
(ウー!ウー! ……ピーポー!ピーポー!)
『道を開けてください! 道を開けてください! 救急車両が通ります!』
──鳴り止まないサイレンの音と、葉月と空也を乗せた救急車両の赤いランプが、炎広がる鼎神社境内の暗闇を赤く染める。
そして、入れ替わるようにして──。消防車両から一気に放水された大量の水が、燃え広がり始めた山林の炎へと散布された。赤い闇夜の境内に、白い煙がモウモウと立ち込めている。
「凄い煙と熱……。ゲホッゲホッ!」
「マニ……カ! ゲホッゲホッ!」
他にも怪我人が沢山いた。鳴り止まないサイレンの音が響く。夜の神社の境内が、消防と救急車両の赤いランプ一色に染められ、避難を急ごうとした僕は、マニカの手を取った。
「早くっ! マニカ!!」
「私、わたし……。う、うぅっ……」
座り込んだまま、泣きじゃくるマニカ。マニカの手を引いて、立ち尽くした僕の足もとで、巫女装束の袖を目にあてがったまま、マニカはその場から一歩も動こうとしなかった。
「……マニカ! 早くっ!」
「ツナグくん……私、鼎さんと葉月ちゃんの声、聞いた……」
「声?」
「約束してたんだって、葉月ちゃん。葉月ちゃんは、鼎さんの依り代になるからって」
「依り代?」
「鼎さん……鼎石としては限界を迎えてたんだよ」
神社の境内に煙が、モウモウと白く立ち込める。まだ鎮火されていないのか、炎の刺すような熱を顔の表面に感じていた。その時──。
ヒラリ……と舞う一枚の白い紙切れを目にした。僕とマニカの居る場所に、落ちた……それ。
「『鼎札』……? 鼎さんの結界を守るための」
「こ、これって……。まずいよ、マニカ! 鼎さんを守るための『護符』が剥がれて、結界がっ!」
(ピシッ……)
──一瞬。
炎がまだ鎮火しない、炎々と煙立ち昇る闇夜の最中。何かにヒビが入った様な音が、僕の後ろで響いた。恐ろしい戦慄を感じた。
「君たち! 危ないっ! 早く!!」
後方から消防隊員の人の声が、僕とマニカへと届いた瞬間。僕とマニカが振り返る直前。
地震とも火事とも分からない落雷の様な大きな爆発音がした。それは、まるで──。
得体の知れない暗闇の空間に、意識が引きずり込まれるような感覚だった。
(──バリバリ! ドガガァン!!)
「きゃっ!」
「うわっ!」
後ろから吸い込まれるような突風が吹いた。
その風が巻き起こす震動に、再び倒れた込んだ僕とマニカ。
視線を斜め後方に向けると──突然に開け放たれた、神社本殿の格子扉が見えた。黒い風の様なものが、周囲に燃え広がる炎と立ち込めた煙とを、格子扉の向こう側へと吸い込んで行く。
(──ゴォォォォォ……)
格子扉の向こう側、黒い渦──。その青白い光る闇の中心に、鼎神社に祀られていた『鼎石』の輪郭を見た。
鼎石……『鼎さん』。岩肌から荒々しく削り取られた様な黒い原石の塊。それが、真っ二つに割れている。
「あ……。あぁ」
駆け付けていた消防隊員の人が、言葉にならない声を残して、その場に突然倒れ込んだ。
それは、まるで、意識が奪われていく様な感覚だった。
気を保たないと、そのまま鼎さんの力に呑まれてしまう様な。
「……マニカ!」
「ツナグ……くん」
赤い炎と白い煙とが、黒い闇に吸い込まれる最中。僅かだけど動くマニカの指先に、自分の指先が触れた。そして、その視線の先──。
倒れた僕とマニカとの触れた指先の間で、陽炎の様なものが蜃気楼みたく揺らめいていた。その影は、やがて幼い子どもの様な、小さな輪郭に象られていった。
「鼎……さん」
(──ゴォォォォォ……)
マニカの発した言葉に、再び戦慄が走る。自分の心拍が、倒れた身体を持ち上げるほどに。着付け部屋の既視感の中で視ていた、その黒い影が立つ姿を今。僕は、突風が黒く渦巻き吹き荒れる最中に、目の当たりにしていた。




