17.本番。
「実は、さっき、鼎さんが視えたんだ。小さい頃の僕とマニカと」
「え? ツナグ……くん?」
俯いたままの僕の視界。それぞれの紺と朱色の袴の裾に見える足先。自分のとマニカの白い足袋と。畳の目の上に沿って。
そうだ。幼い僕とマニカは、あの後、倒れて──。
探しに来た大人たちに見つけられて。
それから、神社の境内にはセンサーライトが設置される様になったんだ。
僕とマニカが、着付けの畳部屋で立ち尽くしていると、襖の戸が開けられた。空也と、泣き止んだ葉月とが戻って来た。
「どうしたんだ? ツナグ……ボーッとして。葉月の次は、繋か?」
「いや、なんか、変なんだ。昔のこと、想い出して……」
「変? 昔? それより、今はお神楽舞い本番直前だぜ? どうしたもんだか……」
「ひょっとして、『鼎さん』? ツナグくん、夢に見たの?」
「え? 寝てたのかよ、繋?」
「白昼夢……。『影男』に『月女』。星夜祭り直前に視せる鼎さんの幻影。……鼎さんが呼んでる。まずいわね」
「まずいって、葉月? ど、どう言うことだよ?」
「最悪、マニカと繋が消える。けど、それは、空也と私かも知れない。あるいは、全員……」
「えっ?!」
狼狽えた空也が、袴の裾を引きずりながら後ずさりした。
「そうならない様に、お父さんが宮司として毎日結界を張り続けてる。それと『呼び戻しの儀』。もしもの時は、繋には伝えてあるよね、マニカ?」
「そうだね。もしもの時は、私一人が……」
「はぁ? 何? あんた一人が背負い込んで良い話じゃないわよ。自分のだからって、命を軽く見過ぎよ!」
「ちょ、ちょっと待てよ、葉月。ほ、本気の話だったのかよ。お神楽舞いもただの儀式であって、伝説とか言い伝えの話なんじゃ……」
空也は、葉月に聞かされていただろう鼎さんの話を、本気にしてなかった様だ。
着物の袖をギュッと握りしめた空也が、腕組みをして黙り込んだ。葉月とマニカは、お互いの瞳を見つめたまま立ち尽くしている。
奏者としての巫女としての……今着ている四人の衣装が、それぞれの最期の様にも見えて。この着付けの畳部屋に重い空気が漂った。
「う、嘘だろ、繋?」
「……」
空也の「嘘だろ?」の言葉に、僕は黙り込むしかなかった。それから、巫女装束の背中を見せたマニカの指先が、襖の引手に触れた。
「大丈夫だよ。心配ないよ」
フワリと──。そう良い残したマニカの背中に、束ねられた長い黒髪が揺れて。朱色の袴が、襖と畳の敷居の向こう側へと消えた。
「ちょ! 待ちなさいよ、マニカ!」
葉月の頭の上の金の花簪の冠が、悲しげに揺れた。畳部屋に残された僕と空也と葉月は、その場に立ち尽くすしかなかった。
篳篥の演奏とは別の緊張感が走る──。指先が冷たかった。
この際、演奏よりも……。無事、お神楽舞いを終えた四人が、再会出来ることだけを僕は必死に祈っていた。
♢
『鼎神社星夜祭り』──。その境内。
針葉樹が辺りを囲み、漆黒の夜の帳が落ちている。灯された松明の炎の明かりが、パチパチと音を立てては火花が夜空に消える。大勢の見物客が、僕らを見守っていた。空に浮かぶ満月が雲間から顔を出し、煌々と光っている。
──『宝渡し』。お神楽舞いの前に、白と朱の巫女装束を着た葉月とマニカが、採り物と称される金の『神楽鈴』を宮司である葉月のお父さんから受け取る。
今、まさに──お神楽舞い本番、『鼎神社星夜祭り』の一番の見せ場が始まろうとしていた。
……あれから。僕と空也と葉月、そして、マニカも一言も喋らなかった。
既に、演奏の配置についていた僕と空也は、宝渡しの儀を静かに見守っていた。巫女としての葉月とマニカの姿を。
松明の炎に灯された鼎神社の境内。
正面に向き直った葉月とマニカが、キュッと白の足袋で床を踏み締めた。葉月とマニカの白衣と緋袴の立ち姿に、凜とした空気が張り詰める。
一瞬──。風が吹いた。
それを合図に、空也の鞨鼓が、夜の境内に鳴り響く。
(──トン……トン……)
空也の鞨鼓の音が何拍か鳴り響いた後。僕は練習どおりに息を吸い込む。指先と吐く息に空也と葉月、マニカを守るための祈りを込めて。
(出た……)
練習どおりに。物悲しい音色が僕の吹く篳篥から奏でられる。自分の気持ちだろうか。
マニカが『呼び子』って言ってた僕の篳篥の笛の音の合図で、葉月とマニカが、白い足袋を床に滑らす様にして舞いを始めた。
順調に。練習どおりに。
舞いに合わせて、葉月とマニカの神楽鈴の音が、松明に灯された夜の境内に鳴り響く。
(──シャン……シャン。……シャラララ)
けれど──。
お神楽舞いが、いよいよ終盤に差し掛かったその時。
冷や汗をかいた……。
……身体の下から予期しない振動が伝わる。
(──ゴゴゴゴゴゴゴゴ……)
……心拍数が上がる。不安が込み上がる。恐れていたことが、現実になる。
(ま、まさか──)
──鼎神社全体。境内を震わす様に揺れていた。小刻みに伝わる早い振動に焦燥感が立ち昇る。
(じ、地震?!)
境内を見守っていた見物客の、一瞬のザワめきが聞こえた。それでも、演奏も舞いも止まらなかった。
何か、中断してはならない気がした。僕一人の行動で、鼎さんを鎮めるためのこの儀式を、取り止めにすることは出来なかった。
そして、地震よりも何よりも──、お神楽舞いの儀式が完成しないことに、もっと恐ろしい出来事が起こる様な気がして……。
そこかしこに。慌てふためく見物客のスマートフォンから、緊急災害時用アラートのけたたましい音が、絶え間なく鳴り響いていた。
(──ゴゴゴゴゴゴゴ……)
「きゃっ!」
「ま、マニカ……!!」
まだ、揺れの収まらない最中──。
巫女装束を着たマニカが転倒した姿を見た僕は、篳篥を手放してマニカへと駆け寄った。
けれど……。
地震の横揺れが大き過ぎて──それ以上、マニカへと近づくことが出来なかった。
マニカの隣で、葉月も倒れている。
「葉月っ!! つ、繋……!!」
声のした方向。後ろを振り返ると、空也が、片目を瞑り必死に立ち上がろうとしていた。
……僕と空也、葉月とマニカ。
境内に取り残された四人の姿が、尚も揺れの続くこの瞬間。目に焼きついて、離れなかった……。




