16.隠れんぼ。
既視感──。
それが、過去の出来事を指すのか未来の出来事を指すのか。僕には未だに分からない。
お神楽舞い直前の、止まった様な時間。
僕とマニカは着付け部屋……に居るはずだった。
けれど、今。目の前に視えているのは……。幼いマニカと僕が体験した、忘れていた記憶そのものだった。
──夕闇の近い鼎神社、その境内。
薄暗い針葉樹の影の隙間から、茜色の夕日が差し込む。
小さなマニカと幼い僕の影が、座っていた石段の上にのびていた。
風に揺れる葉っぱのザワめきと、烏の鳴き声が聞こえる。
「かーなえさん、かーなえさん。かくれんぼしましょ。かくれて、いないの、だーれだ」
小さなマニカが、背中の髪を揺らしながら歌う。……僕とマニカ以外、誰も居ない境内に声を響かせて。
(ザザザ……ザザザザザ──)
その時──。
一瞬、強く吹いた風に、樹々が枝葉を揺らした。幾つかの葉っぱが落ちて、つむじ風に舞う。不思議な光景だった。
針葉樹の影と夕日が落ちた境内の真ん中。僕とマニカの目の前。平らな地面から、土埃と幾つかの葉っぱがクルクルと舞い上がる。
そして、小さな透明の渦の様なつむじ風が急に止み……。舞い上がっていた葉っぱも、何処かへと散っていってしまった。
目を凝らすと──。何も無いただの平たい地面の上に……。ボンヤリとした影だけが小さく浮かんでいた。
「……マニカ?」
「鼎さん!」
黒い靄の様な小さな影が、揺らいでいる。
僕とマニカは、その様子をジッと見つめていた。
「かーなえさん、かーなえさん。かくれんぼしましょ。かくれて、いないの、だーれだ」
続けて小さなマニカが背中の髪を揺らしながら歌う。
僕らが居る境内に響くマニカの声に、再び、ザザザ……!と風が吹いた一瞬。
つむじ風に乗って──僕とマニカの居る目の前に、その小さな影が突っ込んで来た。
〝わっ!〟
声がした。
僕でもないマニカでもない違う誰かの声。男の子の様な……女の子の様な。
その声に驚いて閉じてた目を開く。隣に居るマニカは、してやられた様な表情で笑みを浮かべていた。
そして、土埃と葉っぱが舞った神社の境内には、誰も居なかった。
「びっくりしたよね?」
「うん……」
屈託のない幼いマニカの笑顔に心を奪われた。驚いてドキドキしていたのもあってか、小さなマニカの姿が、とても可愛らしく見えた。
「さ。探しに行こっか?」
「鼎さん?」
「うん」
「どこいったの?」
「その内、見つかるよ?」
マニカが何かを知ってる口ぶりで話した。僕は、マニカと手をつないで鼎さんを探し始めた。マニカの小さな手が温かくて、良い匂いがした。
「かーなえさん、かーなえさん、かくれていないのだーれだ。かーなえさん……」
小さなマニカが、隠れんぼの歌を口ずさみながら探す。
……つながれた僕とマニカの手。
神社の本殿の周りをグルグルと回る。本殿の軒下に顔を覗かせた僕とマニカ。
静かな暗闇が広がるそこには、蜘蛛の巣と雑草と苔が生えてるだけで、石ころの他には何も無かった。
「いないねぇ……」
「いないね……」
幼いマニカが言った後で、僕も口をそろえた。蜘蛛の巣が、風に揺らいだ。一瞬、何かが走る様に視界を横切った。
「あ!」
「マニカ……」
「あっち!」
僕よりも早く見つけたのか、動いた影の方向を指差すマニカ。立ち上がって駆け出すマニカの後を、僕も必死になって追いかけていた。
「この辺なんだけどな……」
「消えたの?」
「うん。えと……中にいるかも」
広い境内に幾つかある木造の建物。その内の一つ。扉は鍵が掛かって無くて簡単に開いた。
(──ギギギギギギ……)
夕闇の明かりが、倉庫の中の暗闇に差し込む。影の中に、角張った大きな輪郭が見えた。
中には……秋祭りの時の御神輿が仕舞われてあった。
「おっきぃね!」
「おっきぃね」
僕はまた、マニカと口をそろえて話した。子どもの僕らから見ると、秋祭りの御神輿はとても大きく感じられた。
僕とマニカが、薄暗い倉庫の中で、御神輿を見上げていると──一番上の屋根の辺りに、子どもの様な姿をした誰かの影が座っていた。
「鼎さん!」
「鼎さん……」
マニカが指差して叫んだ後、僕も口をそろえる。小さな影の正体──あれが、『鼎さん』なんだって想った。揺らいでいる様にも笑っている様にも見える。マニカのおかげで、不思議と怖くはなかった。
〝こっち。こっち〟
また声がした。暗闇の倉庫に声が響くと言うよりも、直接ハッキリと頭の中に聞こえた。
見上げるほど秋祭りの御神輿は、子どもの僕とマニカには大き過ぎて……。そのまま登れずに、御神輿の屋根の上に座る鼎さんを見ているだけで精一杯だった。
「ずっるーぃ!」
頰を膨らませたマニカが、鼎さんに向かって叫んだ。僕は、呆気に取られて黙ったまま……マニカと鼎さんを見ているだけだった。
〝ハハハハハ!〟
鼎さんの笑い声が頭の中で聞こえた。どこか鼎さんが嬉しそうで、パタパタと影の様な両足を動かしている。
倉庫の扉から差し込む夕日が、だんだん陰って来て……辺りがシンとした暗闇に包まれ始めていた。
──御神輿の上に座る鼎さんの足が、何かに触れた。……ヒラヒラと倉庫の暗闇の中を『四手』が舞っている。四手は、神社の注連縄や玉串につけて垂らす紙のことで。その四角い一枚の白い紙切れが……。
ハラリ──。僕とマニカの小さな足もとに落ちた。
「あ!」
「……」
その小さな白い一枚の四手を拾い上げたマニカ。それを千切って僕に渡す。
「はい! ツナグくんのご飯だよ? 鼎さん、オママゴトしよっ!」
受け取った僕は、幼いマニカの曇りの無い瞳をジッと見つめていた。マニカの瞳が鼎さんを見上げている。マニカの背中の髪が、鼎さんと話すたびに揺れた。
〝オママ……ゴト?〟
「うん! 私がお母さんで、鼎さんは……私の子ども!」
〝お母……さん? 子ど……も?〟
「そう! で、ツナグくんは、鼎さんのお父さん!」
「お父……さん? 鼎さんの?」
「うん!」
幼いマニカの輝く様な瞳を見つめてから、マニカから千切って渡された四手の切れ端を見つめた。どう言う訳か、暗闇の広がる倉庫の中の地面が──上から照明が照らされた様に、急に明るくなっていった。
「え?」
そこには──。既視感じゃない現実の僕が居る……着付け部屋に広がる畳。閉じられた襖の前に、白と朱色の巫女装束を着た高校生のマニカが立っていた。
「はい。これ。ツナグくん……。いざという時の『処方箋』」
「処方箋……。マニカ?」
そこには、四つ折りにされた白い紙──『処方箋』を僕に差し出したマニカの姿があった。
既視感の中で視た白い紙……。四手じゃない。マニカの言う処方箋。マニカを呼び戻すための。
僕は、それを再び……マニカから受け取った。
「……どうしたの、ツナグくん? ボーッとして」
「いや、なんでもない……」
「あ、約束。忘れてない? 秘密の」
「そうだね。忘れてないよ」
「ツナグくんは、私に何するんだっけ?」
「……」
「言えない?」
「小声でなら」
「じゃあ、言って?」
「……」
「早く」
「……キス……顔」
そこには、小さい頃と変わらない、巫女装束を着た高校生のマニカの姿があった。マニカに言われて恥ずかしくなった僕は、袴の裾を踏み……黒の烏帽子と留められた顎紐を手で触りながら俯くしかなかった。
けれど、既視感──。
僕が倒れたあの日。マニカが再び現れたあの日。
そして、着付け部屋に突然現れたあの日の想い出。鼎さんとマニカとの。
あの日以来、感じていなかった既視感なのに……。
僕は、何か嫌な予感がした。