15.本番直前。
──マニカと二人。
お神楽舞いの準備が始まる直前まで境内に居た僕らは、刻々と迫る時間に追われる様に走っていた。
なんとか人混みを掻き分けて、玄関で靴を揃える間もなく……。迷路の様な廊下をようやく抜けて、着付け部屋へと辿り着いた。
これから、お神楽舞いの本番を迎えると言うのに、体力の消耗が激しい。
畳敷きの広間では、沢山の関係者の人たちが忙しそうにしている。それを横目に……まだ、靴下と体操服姿の僕とマニカは、息を切らしていた。
「ハァ、ハァ……。ツナグくん、大丈夫? だいぶ、息切れてるよ……?」
「え? ……うん。かなり。ハァ、ハァ……。マニカは?」
「……ヤバいよね? 最後まで……もつかな」
──途中、廊下でも。神社本殿へと忙しく行き交う人たちが、木造の柱と柱との間で目まぐるしく入れ替わるのを目にした。
息を切らせながら、お神楽舞いや奏者の衣装に着替え終えた人たちを横目で追っていると……。何だかこの場所が、まるで現代ではない平安時代の世界の様に錯覚して見えた。
「ちょ、今まで何処行ってたのよ! 時間ない! アンタは、こっち!」
「ハァハァ……。ちょ、息が! み、水! あ~。ツナグくーん!」
既に、巫女装束に着替え終えていた葉月が、まだ息切れの治まらないマニカの手を引っ張って行った。……畳敷きの襖の向こう側へと、慌ただしく葉月に連れられてゆくマニカ。襖の戸がピシャリと閉められた。
「さ、繋。急ごうぜ? 着付け出来てないのお前らだけだから」
「ハァハァ……。そうだね、空也。急がなきゃ」
お神楽舞いの奏者が着る着物──。綺麗に畳まれた紺色の『垂直』と『差袴』が、畳の上の僕の足もとに置かれてあった。そして、黒色の『烏帽子』。
着付けを先に済ませていた空也が、袴の裾を引きずる様にして、息切れが治まりかけていた僕の肩をトンと叩いた。
学校じゃ勢い良く背中を叩く空也の手が、いつもより弱々しく感じられた。空也も緊張しているんだろうか。
「宮月のことなんだけどさ」
「え?」
「いや。今話すことじゃねぇかもだけど。心配だったんだ。葉月からも聞かされててさ」
「……空也?」
「俺には葉月がいる。お前には、あの子がいる。想い出したんだ。昔のこと。それに繋が、ここ最近は明るかったから。安心した」
「な、なんだよ。空也。急に……」
「ハハ! 良いって、いいって! 気にすんな! さ、それより着付け、急いでしてもらえよな! お神楽舞い……もうすぐ始まっちまうからな」
「空也……」
僕が空也に言うより……。空也に先を越されて、言われてしまった。
空也のマニカへの気持ち。それと、葉月への。
空也の凜とした覚悟みたいなのが伝わった。逃げたり忘れようとした僕とは違った。やっぱり、空也は格好良かった。
着付けを終え──。着慣れない着物に袖を通した僕は、頭の黒の烏帽子がズレてないか手で触って確認した。留められた顎紐の結び目の固さが、僕の気を引き締める。
(──いよいよだ……)
そう想って見つめた畳の上で、胡座をかいた空也がニヤニヤとした顔で僕を見ていた。
「な、何? ……空也」
「馬子にも衣装とは、この事だな?」
「いや。それ、褒め言葉じゃないから。あの時、空也のこと笑って悪かったよ……」
「へへ。似合ってるぜ? 繋」
そんなことを、空也と話していたら──向かいの襖が開き、葉月と巫女装束に着替え終えたマニカが出て来た。
「おー! ツナグくん! 良い感じ! 男前が上がったね? 私のも見てみて」
「マニカ……。うん。とっても綺麗だね。何か、本物って感じがするよ」
「ハァ。なに、この二人。私の時は、笑ったくせに……」
「いや。葉月も似合ってるぜ? 最初のあの時は、見慣れない感が半端なかっただけでだな……。皆が、こうやって衣装を着てると、一段と葉月のことが輝いて見えるぜ?」
「そ、空也ぁ……」
「あ、あぁ……葉月。な、何も泣かなくってもだな。……繋、悪ぃ。まだ、少しだけなら時間あるし。茶でも飲んで寛いでてくれ」
涙ぐんだ葉月を庇う様にして──空也が、僕とマニカの居る着付け部屋を後にした。空也は、やっぱり格好良かった。それに、葉月だって、なんだかんだで優しい一面もある。怒りっぽいけど、泣き虫で……。
「ハァ。見せつけてくれちゃって。私らの方が当てられてるって感じだよね?」
「ハハ……。どうやら、そうみたいだね」
空也が言った様に。お神楽舞いの開始時刻までは、まだほんの少しだけ時間があった。
──『白衣』に『緋袴』。それに白の『千早』と呼ばれる羽織り物を着たマニカ。いつもの長い黒髪は、白地の紙か布の様なもので束ねられている。頭には『花簪』と呼ばれる金色の冠が、飾られていて。マニカは、間違いなく本物の巫女なんだって感じた。
「いよいよ本番だね、ツナグくん。……緊張してる?」
「うん。気は引き締めておかなくちゃって、想うよ」
「じゃ、心配症な君に。鼎さんにまつわる小話を一つ」
「小話?」
出会ったころ──いや。夢の中でもそうだったけど。
転校生のマニカは、現実でも不思議な感じの女の子だった。……最初は特に。そのマニカが、小話を僕に披露するだなんて……。
僕は、巫女装束を着たマニカの明るい振る舞いに、思わず聞き入ってしまった。
「昔むかし、鼎さんは親子の神様だった。……けど、ある日。不思議な鼎さんの力に目をつけた身勝手な人間たちが居て。引き離されてしまった」
「ふんふん」
「畏れを抱いた人間たちは、二柱の神様の魂を鎮め、引き合わせるための儀式を執り行うことにした。それが、今の『鼎神社星夜祭り』の起源。ここまでは、知ってるよね?」
「そうだね。マニカから聞いた」
なんだか……。マニカの優しい笑顔と明るい話し方に。子守唄か読み聞かせをしてくれる母親の雰囲気を感じ取ってしまった。……まるで、僕が子どもみたいな。
「それでね。何でもないある日の夜。『キス顔』をして想い人のことを鼎さんに祈った人間が居たの。それを見た鼎さんがとっても喜んだらしくてね。鼎さんは、その願い人と想い人同士とをくっつけた。それ以来、縁結びの神様になった鼎さんは、噂を聞きつけた村人たちから、大そう慕われた。それが、鼎さんの伝説──『キス顔』が言い伝えになった由縁だよ」
実は──。それは、知っていた……。
上坂家の──僕の家に伝わる鼎さんの話。
……葉月も知っているはず。金森家の人間として。鼎さんをお祀りして来た訳だから。
空也は知っていて知らないフリをしたんだろうか。あの雪の日の車内では、親父さんには知らない口ぶりで空也は話してたけど。
「あ、あぁ。そう言えば、空也の親父さんも、それらしいこと言ってたよ。そこまで詳しい話は聞かなかったけど」
「そうなんだ? ……まぁ、この辺りじゃ有名な話だよね。でね? 願う人の夢の中の世界と現実世界とを……くっつける力。鼎さんの不思議な縁結び。そんな鼎さんには、怖ーい一面もあるけど、優しい一面もあるの。どう? 安心した? 分かってくれるはずだよ。鼎さんも。きっと」
なんだか神社に祀られている鼎さんが、マニカの話を聞いている内に、葉月の様に想えて仕方なかった。葉月の性格って鼎さんと似てるよな……って、想ったのは僕だけだろうか。
「さ! 急ご! ツナグくん、時間ないよ」
「え?」
巫女装束の──白衣の袖からのびたマニカの白い手が、サッと僕の手を取った瞬間。
──突然現れた既視感。
今、マニカが居る目の前の畳部屋の光景が、あの日の誰も居ない……マニカと二人だけの薄暗い夕闇の神社の境内へと──重なり合う様にフラッシュバックした。
それは、まるで。
小さい時のマニカと、成長した今の目の前のマニカとが重なって視えた一瞬。
小さなマニカの手が、急に僕の手を取った瞬間だった。マニカの手が、とても温かく感じられた。
「私とツナグくんも。小さい時に、ここで会ってたんだよ。二人で」
「マニカと?」
「憶えて……ない?」
パチパチと音を立てた火花が、夕闇に散っては消える。ついさっき、着付け前に外で見たのと同じ光景……。
神社の境内に組まれた松明の炎が、赤々と燃えている。けれど、違っていたのは、誰の気配も感じられなかったことだ。小さな僕と幼いマニカ以外。
僕とマニカは、境内の中にある本殿の小さな石段の上に座っていた。
何故だろう……。
さっきの着付け部屋で──空也が僕に、マニカと葉月への想いをきっぱりと口にしたこと。
劣等感を感じていた。僕には無い、空也の潔さ。
子どもの僕は、そのことを隣に座る幼いマニカに打ち明けていた。
「……空也の気持ちを、さっき聞いたんだ。空也は、僕よりも大人だった」
「どうかな。まだ迷ってるんじゃないのかな。自信の無さ。確かめたい気持ち。あの子への気持ち。ツナグくんへの気持ち。これから、大人になって行く自分としての」
子どもの姿なのに。僕とマニカが、高校生みたいな会話をしている。そして、ループしたあの日の様に……予め決められた台詞を喋っている様なデジャヴみたいな既視感を覚えた。
……子どもの頃のはずなのに。僕が、たった今。俯瞰して少し離れた場所から見ている様な──。
「空也くんも、あの子も。……出会ってるんだよ。小さい時に。ツナグくんの知らない内に。鼎さんがいるこの神社で」
石段から立ち上がったマニカの小さな手が、僕の手をぐぃっと引いた。
「何処に行くの? マニカ」
「隠れんぼ。しよっか? ツナグくん。その内、出て来るよ?」
「出て来るって? 誰が?」
「……鼎さん」




