53.エピローグ~1944年4月30日
明日、日本の新憲法および新民法が発布される。史実の日本国憲法とは似て非なるものであるが、やはり最大の相違は、国防についての規定である。新憲法では、国民とその財産、日本の領土に対する攻撃への自衛権や、戦力の文民統制を定義したが、どう定義しようと拡大解釈というのは可能なのだ。まあ、当面、自ら戦争するとは思えないが。
僕の支給した物品の回収は順調に終了した。トラック東方の海底に沈んだ愛宕やゼロ戦も回収した。その時、大量の軍艦が沈んでいたので、1トンぐらいの鉄くずに分解して、トラック環礁の冬島に積んでおいた。全部はとても無理だったが、20万トン以上になると思う。高品質の鉄くずなので、しばらく南洋州の財源になるのではないかな。もちろんご遺体は丁寧に安置しておいたよ。だいぶん魚のえさになっていたけどね。
日本への最後の贈り物として、横須賀工廠に、直径5メートルのチタン合金の球体を置いておいた。てっぺんに直径1.5メートルの円筒が突き出ており、球の周囲に30センチほどの窓が4つついている。1万メートルの水圧に耐えられるよう厚さ20センチにしたので、チタン合金でも65トンになる。艤装は彼らにしてもらう。彼らがこれを使って海底探査するのは、10年以上先になるだろう。母船の建設や、長尺の耐圧ホース、耐圧電線の開発などやることがまだまだあるからね。サンプルとしてマンガン塊、熱水鉱床、それに南鳥島のレアアース泥を数トンづつとその位置の地図を置いておいた。これを利用できれば、日本は金属材料に困らないはずだ。ついでに、九州沖や茨城沖、樺太オハ沖の天然ガス田の位置も書いておいた。化石燃料だけど石油に比べれば多少、環境負荷が軽い。
もうひとつ、1943年9月10日に鳥取地震が発生していたのを思い出したので、1944年12月7日には、静岡県袋井市から西、和歌山県熊野町より東の三重県、愛知県で、1945年1月13日には愛知県三河地方で、災害避難訓練を行なうようお願いした。多分、意味は分かってくれたと思う。新しい日本の出発が、天災に邪魔されるのが嫌だったんだ。
なんでここまで日本に肩入れするのかって?僕のDNAに日本人の部分が多いこともあるのだろうけれど、この時代の日本はとても物を大事にする社会だったからだ。欧米は産業革命いらい200年もたっていて、大量生産の恩恵を知りすぎていた。ロンドンのスモッグとか河川の汚染とか、反動も知っていたが、もうやめられないところまで来ていたと思う。人間は、自然を従わせることができるという考え方にね。日本はまだまだ貧しい国だった。だけど、天災、つまり自然には勝てないと知っていた。どんな村にもあった里山、焚き付けや果実の恵みをくれる里山を、人の手を加え続けることで、継続利用することを知っていた。世界的にも珍しい屎尿の活用で、高い農業生産効率を維持していた。もちろん、衛生面は考えないといけないが、なんでも捨てる前に再利用を考える。そんな社会だったと思うんだ。
宗教観も大きな要素だ。
唯一絶対の神を信じる宗教は、他者に不寛容だ。例えば、古代中近東は唯一絶対の神を信じる社会であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、同じ絶対神をあがめたが、布教内容や教典は違った。ただそれだけの違いで、憎みあい、殺しあった。こういった宗教は、異教徒は教化すべき敵だが、内部の分派は殺すべき敵だ。カソリックとプロテスタント、シーア派とスンニ派は、陰惨な争いを繰り広げた。
日本は無宗教ではないかといわれることもある。実は世界の大きな宗教の中で、無神論は儒教ぐらいだろう。儒教は「怪力乱神を語らず。」。つまり、神は存在しないという立場だ。神がいなければ、人間が最高の存在となる。そして、人間というのは、不平等に生まれつき、才能も違っているのが当たり前だ。優れた人間というものがあり、そういった人間がそうでない人間を指導するのが、自然だということになる。そして、一旦権力を握れば、社会の階級を固定して立場を守ることになる。神を認めれば、神と人間は隔絶した存在であり、人間の出来の違いなど些細な相違と考えられる。人間は平等な存在だと考えやすい。
日本も儒教の影響を受けはした。しかし、無神論にはならなかった。仏教と古来からの八百万の神を信じ、天皇を長とする神道があったからだ。唯一絶対神を信じる社会の、他宗教への過激さもなく、無神論の人間絶対主義もない。そんな日本の宗教観は、穏やかな循環社会に向いていると思ったんだ。
もう一つ、20世紀後半の日本は、最も成功した社会主義社会といわれるほど格差の小さい社会だった。製造業の大企業の経営者は、新入社員の年収の20倍程度の収入があった。充分、格差があるじゃないかと思うだろうが、欧米では、100倍以上の収入を得るのが当たり前だった。21世紀になって、金融、通信、流通などサービス業が中心になると、考え方も欧米化したのか、格差が拡大したようだが、それまで、医療、教育をかなり平等に受けられる社会だった。ものを大切にし、格差が小さく、社会の規律を守る国民性が、僕の実験を成功に導いてくれると思ったんだ。
新憲法発布後に、今の日本の指導部は引退する者が多いらしい。彼らは、去年の正月に見せた戦争の経過と戦後の日本の姿に衝撃を受けて協力してくれた。僕たちの持っている人工知能は、古い白黒写真からでも、まるで実物が動いているような映像を作り出せる。敵艦に届く前に叩き落される特攻機や、沖縄で無残に巻き添えをくう一般市民たち。焼け野原の東京や、広島長崎の原爆投下、そして、降伏後、マッカーサーに呼びつけられる天皇。あの場面で、顔を真っ赤にする人が多かったね。東京裁判で、連合国の論理で裁かれる戦犯たち。戦争犯罪は勝者が決める。
そういえば、憲法発布と同時に、政府は、「今後100年の指針」というのも出すそうだ。これは実に多岐多様な内容が記されていて、工業、農業、漁業、林業、国防などの政策方針や、都市開発の方針まで書かれているらしい。でもどう文書化しても、後世の人の考え方までは縛れない。
これからは、予定より早いけど、実験の経過観察になる。それに、まもなく彼女の出産でもある。なので一旦戻ることにした。これから10年に一度くらい、ずっと小さな船でやってきて様子を見ることになる。場合によっては、また、直接干渉することになるかもしれない。倫理委員会の承認が必要だけどね。これだけ干渉してまた史実のような自滅の道をたどるなら、…いやそんなはずはない。人間は、もっとかしこい存在であるはずだ。僕は信じている。
-完-
自己満足のための再投稿にお付き合いいただきありがとうございました。




