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47.1943年12月8日13時30分頃~トラック東方海上

 奥村兵曹長は、今日3度目の出撃だった。銃弾の補給後すぐ飛び立った。後席の少尉殿とは半年以上の付き合いだ。

「少尉殿。今度ばかりは、やばいかもしれません。」

「ふん。貴様は殺しても死なんよ。気を失ったら、俺が敵を取ってやる。」

 ゼロ戦99型は後席でも操縦はできる。しかし、視界が悪いので、前席同様というわけにはいかない。訓練では、奥村はいつも後席だ。無敵と思われたゼロ戦99型も40機近くを失った。あれ以上の数が来たらさすがに厳しい。今回は、ゼロ戦は準備のできた51機の出撃だ。さらに今回は紫電改90機も出撃している。紫電改組は、本日の初戦で張り切っている。最高速度640キロ、20ミリ4丁を備える。


 ヘルキャット編隊との激突は、日本空母部隊の前方80キロ地点だった。今回は、数で大きく劣らないので、多数に囲まれることがなかった。紫電改は、頑丈さ以外のすべての点でヘルキャットに上回った。ゼロ戦も、取り囲まれることがなかった。10分もかからずヘルキャットを片づけると、日本戦闘機部隊は、ヘルダイバーを追った。そして、20キロ地点で追いつくと次々撃墜を始めた。緩降下しながら、加速して艦隊に近づくヘルダイバーもいたが、空母と軽巡の対空砲に片づけられた。紫電改組はさらに降下してアヴェンジャーを狙った。速度におとるアヴェンジャーは次々に打ち取られたが、かわすことのできた機体も、対空機銃の餌食となった。430機のアメリカ攻撃部隊のうち母艦に帰れたのは10機に満たなかった。


 日本空母部隊司令官小沢中将は、旗艦大鳳の艦橋で、帰着する戦闘機部隊を眺めていた。いよいよ敵空母艦隊との決戦だ。かなり敵機の数は減らしたはずだが、まだいると考えなければならない。戦闘機部隊に準備でき次第の出撃を伝え、同時に、配下の軽巡、駆逐艦戦隊にも突撃を命じた。敵艦隊との距離は90キロを切っており、敵艦隊は、戻ってこない艦載機の帰りを待っているようでもある。ついに本職の水雷戦ができる。いささか心がおどった。


 スプルーアンスは暗澹たる思いだった。戦艦部隊の壊滅、1000機以上の喪失。これ以上艦載機の帰りを待つことはできない。戦艦部隊の駆逐艦には、ラバウル方面に離脱するよう指示した。敵空母艦隊が迫っている。軽巡洋艦16隻、駆逐艦16隻に、この位置で敵の進撃を阻止するよう命令し、空母18隻は20隻の駆逐艦とともに、ハワイに向けて撤退することにした。

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