41.1943年12月4日~ジャカルタ
インドネシア方面を統括する第8方面軍司令長官今村仁陸軍大将は、大本営からの連絡を聞いていた。ラバウルから復帰して半年になる。占領初期の第16軍時代にスカルノやハッタを釈放し、高等教育制度を確立して優秀な人材を育成したことが、今になって大いに役に立っている。スマトラのパレンバン、ボルネオのバリクパパン、北部のブルネイは、今や、アジアの油田となっている。ミナス油田の開発に取り組んでいるが、ここはまだ量産に至っていない。
日本のみならず、中国沿岸、満州南部工業地帯などが石油を求めており、原油価格は上昇していた。この、原油収入を背景としてインドネシア政府を立ち上げようとしていたが、今村大将は不安だった。この多彩な島嶼国家、島によっては言語も宗教も違う国家が一つになれるのだろうか。しかし、彼らに任せるしかない。彼らの国なのだから。
軍事教練も進み、権限移譲も行われているが、なぜなのか彼らの中には権限を権力と勘違いする輩が相当数いる。日本人にもそういう輩は一定数いるが、彼らは責任や義務を軽視しているように思えてならない。そうはいっても、南方軍も来年には店じまいしなければならない。政治家や公務員の不正をなくすには、本来、子供のころからの道徳教育しかないだろうが、到底間に合わないので、厳罰主義で分からせるしかないだろう。
最近、米英の潜水艦の活動が活発化している。電探、ソナー、水中聴音機が高性能化したので、発見はかなり容易になったが、潜航されるとなかなか撃沈できない。爆雷の形状を変更し、沈降速度を上げるなどしているらしいが、まだ成果は聞かない。3隻撃破したが、これは夜間、浮上しているものを発見し、攻撃した成果である。先日、原油積み出しに来航した信濃が危うく雷撃されそうになる事件があった。5000メートル近くまで来ていたのを駆逐艦が発見し、追撃した。敵潜は魚雷を4本放って、逃走した。幸いにも、魚雷は見当違いの方向に向かったため無事だったが、対潜警戒をより強化することになる事件だった。
【彼】は、東京の統合参謀本部に、畳2枚ほどの大きさのパネルを残していった。画面には、太平洋中部から、インド洋の東部までの地図が描かれている。つまり、彼の通信機の通信範囲、超高空にあるという通信中継器がカバーする範囲である。この通信中継器には、地表に対するセンサーも組み込まれている。そのセンサーが察知した物体を、このパネルに表示できる。【彼】は、連合国が、【彼】の不在中に必ず攻撃してくるであろうといった。日本には、2つの機動艦隊以外の防衛力がない。不意を突かれては、何もできない可能性がある。なので、このパネルには、おおよそ150メートル以上の長さをもつ鉄製の艦艇が、表示されるようにしてある。とのことだ。
インドネシアから日本に至る海域には、いくつもの点が表示されている。多数の輸送船や護衛艦であろう。しかし、3日前、スマトラ南方をニューギニア方面に進む、多数の点が観測された。その後、彼らはソロモン方面に消えていった。
今村大将は、この話を統合参謀本部から聞いていた。正確には分からないが、25隻以上の船団であったらしい。恐らく、イギリスの機動部隊だろう。アメリカの機動部隊と呼応して、中部太平洋に殴り込むつもりだ。日本の機動艦隊は頼もしかったが、数は限られている。楠木正成の700と足利直義の2万が激突した湊川の合戦を思い、思わず苦笑いした。そこまでの戦力差はないだろう。しかし、アメリカを加えれば、恐らく3倍以上になる。信じるしかないが、大丈夫だろうか。