31.1943年9月14日~ハスキー作戦
アメリカ第7軍司令官ジョージ・パットン中将は、軽巡シンシナティの艦橋にいた。ここ半年は暇だったが、訓練だけはたっぷりできた。目指すは、シシリー島南東海岸である。もともとの計画では、戦略爆撃を10日ほど行い、戦艦群で2~3日たっぷりと準備砲撃をしたあとで、一気に上陸する計画であったが、それは不可能なので、未明から、偵察である程度わかっている敵の防御施設を、砲爆撃でたたいた直後、上陸することになる。
軽巡は16隻、駆逐艦は42隻、駆逐艦改装ロケット砲艦が12隻である。航空機は、P40やP47、P38などの陸軍機や、ワイルドキャットや最新型のヘルキャットなどの海軍機も含め、約600機かき集めた。
実は、B17も24機であるが、参加する。イングランド南部にいた4発爆撃機は、大半やられたが、もともとスコットランドにいたものや、その後、アイスランド等を経由してイングランド北部に待機していたものは無事であった。飛行中にやられたものはいないということで、思い切って、アルジェリアに飛ばしてみたところやはり無事であった。イギリスもアブロランカスターを量産しているが、スコットランド北部で待機させている状況である。B17の成功を聞いて、慌てているが間に合わなかった。
「つまり、ヤツの目が届かないところにいればよい。」
もしかしたら、ヤツは1機なのかもしれない。パットンは思った。同時に離れた場所がやられた報告がない。しかし、短時間に広範囲がやられていることは?とにかく、モンティに負けるわけにはいかない。そして、夜明けとともに航空機群が殺到してきた。
B17の機長、ジョンソン大尉は、眼下に沿岸砲台と軽巡洋艦がやりあっている様子を眺めながら、やや内陸にあるはずの、敵の砲台を探していた。彼らは、12機ずつの2編隊に別れ、それぞれ大型砲の砲台を爆撃する予定であった。先行する陸軍戦闘機部隊は、海岸の敵防御陣地を目指して降下を始めている。その時、機銃員が叫んだ。
「10時方向上方に敵!」
6機、急速に接近している。
12機の編隊の、12.7ミリ機銃が、密集した弾幕を作る。しかし、敵は早すぎた。ななめ上方からぐんぐん迫ると、火線を浴びせて、後方に消えた。その時には、すでに4機が墜落を始めていた。
「また来ます。後方!」
最高速度の500キロ以上で飛んでいるにもかかわらず、敵はみるみる近づくと、今度は8時方向斜め下から2時方向上方に抜けていった。また3機やられた。いかん、このままでは全滅だ。
「爆弾を投棄して撤退。」
そう命令したが、爆弾を投棄する前に、彼の機体は錐揉みを始めていた。あいつ、プロペラがなかったな。ジョンソン大尉は、遠のく意識の中でそう思った。
巡洋艦オライオンの艦橋で、モントゴメリー大将は歯噛みしていた。このままではパットンに後れを取る。モスキート爆撃機をはじめとする英国空軍の全力を尽くした500機近くの空軍であったが、おなじみBf109やFw190のほか、謎の高速戦闘機に、スピットファイアでさえ苦戦している。巡洋艦隊は、犠牲を出しながら何とか沿岸砲台を沈黙させたが、内陸からとどろく敵長距離砲は鳴りやまない。なんとか海岸にとりついた上陸用舟艇から、シャーマンやクロムウェル巡航戦車が吐き出されるが、内陸の物陰に隠れたティーガーやパンターに狙い撃ちされる。やつらからしたらブリキのおもちゃだ。だから言ったのだ。準備が不十分だと。アフリカから遠征している戦闘機隊は滞空時間も限られる。そのうちスツーカが現れて、輸送船や駆逐艦を狙い始めた。
被害は大きいが、既に数千人が上陸している。続行するしかない。敵の長距離砲がひときわ激しく炸裂した、その爆炎の陰から、ティーガーを中核に据えた、パンター戦車の群れが現れた。
夜になって、駆逐艦は懸命に照明弾をうちあげたが、それはかえって敵に砲撃の目標をあたえることになった。夜明け前に上陸部隊は降伏し、橋頭保は失われた。東西海岸で、3万近い将兵と、400機近い航空機を喪失した。艦船も、沈没26隻、中破以上39隻と大損害を被って、ハスキー作戦は終了した。