26.1943年7月20日~択捉島・天寧
単冠湾に面した天寧にある海上機動第1旅団本部で、西田少将は地図に見入っていた。天寧の北西の山の上に36センチ連装砲塔がそびえている。ここに設置することで、単冠湾一帯はもちろん、一山超えた北岸もカバーしている。天寧の近辺には飛行場もあり、また、堤防や岸壁の建設・整備も進んでいる。現地にはまともな道路がなかったので、天寧から見て北東の、島の北側の紗那港への道路と、島の西側の内保湾へ抜ける道路を整備中である。砲塔建設用に配備されたブルドーザー6台と、ショベルカー6台、そしてダンプ・トラック20台は大車輪の活躍である。結局、整地車はブルドーザー、穴掘り車はショベルカーと呼ばれるようになった。
択捉島は、北東から南西に向かって、200キロ以上もある、細長い島だ。面積は3000平方キロメートル以上あるが、多数の火山を含む山がちの地形である。半分が原生林に覆われている。あまり、原生林に手を付けるつもりはない。荒れ地や、疎林の地域を開発する予定である。
秋には、満州からの引揚者を中心として、3万人以上を受け入れる方針である。もともと島にいた人口は3000人、海上機動第一旅団の人員が約5000人、航空基地の人員が約600名いる。それに数倍する人員を受け入れることになる。政府からは、入植者に惨めな思いをさせるな、としつこく言われている。
しかし、大仕事である。少なくとも6000世帯の住居を準備しなければならない。教育や医療をどうするのかについては、政府から顧問団がきて検討している。製材所は2か所に建設して稼働しているが、とても足りないので、北海道から建材を運んでいる。
耕作予定地は広大であるが、とりあえず整備して、品種によっては種まきをする必要がある。なにしろ択捉の夏は短いのだ。大麦、小麦、そば、じゃがいも、玉ねぎのほか、燕麦や牧草も準備する必要がある。また、この島の主産業となるであろう漁業については、缶詰工場を2か所作る必要がある。耕作地の整備については、本土から頼りになる装備が届いた。120ccの小型エンジンを備えた、手押し式の耕運機である。これはまだ量産が始まったばかりの最新農機具で、北方の開拓地優先ということで、当地に20台送られてきた。秋田の農家出身の兵に使い心地を聞いてみたが、「これがあれば、両親に楽をさせられたのに。」と泣かれた。
大人数を養うなら、米だ。しかし、さしもの水稲農林1号でも、択捉では無理だ。北海道で、農林1号の改良型という北極星なる品種が実験生産されている。かなり寒冷気候に強いらしい。将来的には、択捉でも米ができないものだろうか。米は単位面積あたりの収穫が多く、連作障害もなく、すばらしい穀物だが、田起こしや、田植え、収穫時など集中的に労働力を必要とする。この小型耕運機のような機械を利用できれば、随分楽になるのではないだろうか。
内地から送られてきた機械で、さらに驚くべき装備なのが、川の流れのなかに設置すると発電する小型発電機と3メートルほどの柱の上部に回転するフィンを備えた風力照明塔である。川の中に設置するものは、設置が簡単で、500WHと発電量は小さいが、蓄電池と組み合わせて安定した電力を得られる。直列に並べることも可能だ。風力発電のほうは、風があれば柱の下部に仕込んだ蓄電池に電気をため、時限式で夜になると照明が付くという単純な構造だが、風の強い択捉においては大変役に立つ。柱に沿って回転するフィンではなく扇風機のような羽ではだめなのかと聞いたところ、羽のほうが発電効率はよいが、強風が吹くところでは破損・倒壊する危険性があるという。海岸や、道路沿いの高台に設置して、暗闇だった建設現場に明かりをもたらしている。これらは内地でも山村や離島に導入されて、大好評だという。
これでは、軍の指揮官というより、土建屋というほうがふさわしいな、西田少将は思った。四半世紀後に、単冠湾に面した丘の上に、択捉開拓の父として、彼の銅像が立つことは知る由もない。




