22.1943年6月22日~クルスク
ヴォロネジ方面軍総司令官ヴァトゥーチン上級大将は、1週間以内に開始されるであろうドイツの攻撃を待っていた。それにしても、6月15日夜に行われたウラル工業地帯への謎の攻撃はどうやったのだろう。ニジニ・タギルやチェリャビンスクの戦車工場、シュトルモビクや戦闘機ラボーチキンの工場も致命的な損害を受けた。変電設備、鋳造炉、クレーン、プレス機など主要設備が致命傷を受け、再稼働には相当の時間がかかるという。そもそもこの謎の攻撃は、オホーツクや大西洋、地中海の艦船や航空機へのものが報告されていたが、工場設備への攻撃は初めて聞く。工場は24時間稼働していたので、工員にも数十名単位の死傷者がでた。なによりも、主力戦車と主力攻撃機の供給が当面、とまってしまうのが痛い。まさかとは思うが、今回の作戦のために各所に待機させている戦車隊や、航空機群がやられることはないだろうな。いったい何者なのだ。ファシストの肩を持つとは。
「同志将軍。敵の攻撃が始まりました。」
転寝していたのだろう。連絡将校の声にたたき起こされた。
「どこだ。」
「南北両方からです。即時、応射を開始しました。」
北部から攻撃を開始したモーデル上級大将は、当初の計画通り、無理な前進を禁じていた。
ソ連側の砲撃に耐えた後、ホルニッセ自走砲やブルムベア突撃砲で火点を丹念につぶして前進する。
パンター戦車部隊は、敵の戦車隊が突出してきたときに備えて予備とした。
「とにかく、なるべく長く、なるべく大勢の敵を引き付けておくことだ。」
俺は損な役回りが多いな。なぜか得意でもあるが。
南部から攻勢を開始したドイツ軍は、堅固な守備にあたって、まっすぐ北上してクルスクをつくのをあきらめ、北東に進撃していた。ティーガー戦車を先頭に据え、両脇をパンター戦車で固め、さらにその外側に4号戦車を配置したパンツァーカイル陣形で敵陣に向かった。3日目に入って、ホト上級大将率いる第4装甲軍は、プロホロフカ方面に戦力を集中した。ソ連軍は、予備軍を投入して穴があくのを防いでいた。空の戦いも、当初のソ連空軍の攻撃をレーダーで事前に察知したドイツ空軍が迎撃、撃破して以降、ドイツ有利に運んでいた。
ソ連大本営のジューコフ元帥は、東方にいたステップ方面軍のプロホロフカ投入を指示した。この時点で、出撃に備えていたステップ方面軍の戦車が300両近く破壊されているとの報告があったが、動けるものは全て動かせとの指示であった。戦車を失った戦車兵は、歩兵として参加することになった。この部隊は、4日目の夕刻から、プロホロフカに到着し始めた。
5日目には、ドイツ第4装甲軍は、プロホロフカ前面にまで迫っていた。6日目にはヴァトゥーチンの予備である第一戦車軍と方面軍予備の第5戦車軍団が阻止に立ちはだかったが、第二SS装甲軍団に撃破された。そして7日目には、プロホロフカで、第4装甲軍とステップ方面軍の全面衝突となった。
このとき、ソ連大本営に衝撃的な報告が入った。モーデルの東方で反撃に備えていた西部方面軍と、マンシュタインの側面から反撃の機会をうかがっていた、南西方面軍、南部方面軍の保有する戦車、航空機の過半数が破壊されたというものだ。守勢のあとの攻勢のための戦力が不足している。こうなっては、クルスクを死守するしかない。
ドイツ軍400両、ソ連軍600両(軽戦車200両含む)の戦車が激突した史上最大の戦車戦となったが、戦車兵の練度と航空機との連携に勝るドイツ軍が、ソ連戦車軍を壊滅させた。ドイツ軍戦車も半数近く失われていたが、その日の夕刻にオボヤン、8日目にクルスクを落とし、モーデルに対峙する中央方面軍を背後から突き、モーデルも満を持して前進してきた。
クルスクの戦いは、10日目に、ソ連ヴォロネジ方面軍、中央方面軍の降伏で終了した。捕虜60万以上、戦車800両以上、砲1,000門以上の鹵獲と対ソ開戦2周年を飾る大勝利であった。