2.スペースファクトリ
今日は西暦2322年3月24日。そしてここは地球連邦に属する第三スペースファクトリ。第三スペースファクトリは、地球と月とのラグランジュポイント(重力の均衡するポイント)の一つに位置している。本体部分は直径10キロメートルのドーナツ状でドーナツの断面は直径3キロメートルの円形であり、1分間に3回転することで外周方向への遠心力(=人工重力)を得ている。外周から約千メートル内側に居住地域がある。居住地域の幅は約2.8キロメートルあり、一周約25キロメートルあるので、面積としては7万平方キロメートルほどになる。居住地域からドーナツの中心方向が天井となるが、約2千メートルの空間があることになる。居住地域にはいくつか町があり、森があり湖があり、そして農園が広がっている。このファクトリができてから60年ほどたっているので結構な巨木が育っている。ドーナツの中心には直径3キロメートルの円柱状のファクトリがある。ここは回転していないので、無重力である。居住区域からドーナツの中心方向に12基のエレベータがつながっていて、ファクトリで生産活動や研究活動をする人たちはそれを使って行き来している。ここで生活する人類は全部で多分30万人ほどだ。
このファクトリが必要とするエネルギーは太陽から得ている。太陽電池の変換効率は21世紀後半に新素材の開発があって60パーセントを超えたが、それ以降は大きな効率アップはない。しかし、ドーナツ状のスペースファクトリの広大な外壁に張られた汎用太陽電池で充分なエネルギーを得ている。そして内部の酸素や水については、ほぼ補給なしで循環できるよう管理されている。居住地域の植物による光合成で過不足が生じると、二酸化炭素処理設備で、二酸化炭素を分解するバクテリアを増減させて調節している。ファクトリで必要とする原材料は、月や小惑星帯や火星から運ばれ、製品はそれらの原料採取基地や地球に送られている。無重力かつ真空状態というのは、様々なものを加工するうえで相当なメリットがあるそうだ。特に合金等の一定の組織形成に有利らしい。
現時点で、スペースファクトリは、第一から第五まで五つある。新しいほど規模が大きく、第三ファクトリは丁度中間の規模になる。第一ファクトリは2245年に稼動した。ファクトリは、真空、無重力を生かして金属製品を製造することが主な役割だ。それまで月の拠点が果たしていた役割を代替している。月の拠点は22世紀の後半に大きな役割を果たしていたが、地球の1/6の重力が存在することは、無重力に比べれば特殊な組成の金属製造に制限があること、また、1/6の重力の中で人類が世代を重ねることは骨格、骨密度に甚大な影響があることから、月に永住することは危険であると考えられ、スペースファクトリが計画されたのだ。
僕の父は、ファクトリでロボットを作っている。特殊用途のもの、汎用性の高いもの。注文に応じて様々なタイプのものを作っているようだ。母は、居住地域にある農園に勤めている。農作物の品種改良や、家畜の育成が仕事だが、居住地域の自然環境維持のほうに興味があるらしい。どうやって地球に近い環境をこのスペースファクトリで実現するかに取り組んでいる。そして、僕はというと、このファクトリにある大学で、地球近代史を勉強している。自己紹介が遅れたが、僕の名前は、アキラ・レスキュー。どうやら先祖は人を助ける仕事をしていたようだ。4、5代前の暗黒時代には、ついたあだ名をそのまま名前にする人が多かったらしい。ま遺伝子分析によると、どうやら近代史でいう日本人の遺伝子が、25%以上あるらしい。名前をつけたのは父だが、父はもっと日本人の遺伝子が多いらしい。いわゆる暗黒の世紀直前のデータでは、日本人が地球人に占める割合はせいぜい1%なので、随分日本人に縁があることになる。そのせいか、地球近代史の中でも日本に関連する部分を研究している。
地球近代史で扱うのは、18世紀から22世紀、つまり産業革命期から暗黒の世紀までだ。この間、人類は均質な製品を安価に大量生産する機械力を獲得し、また、衛生医療技術の進歩や、灌漑技術の進歩と化学肥料の使用による農業の効率化もあって、爆発的に人口を増加させた。1800年には約10億人だった人類は、2000年には60億を超え、2050年には90億を超える。19世紀から本格化したエネルギー源としての化石燃料の活用は、その後益々増大し、それとともに大気中の二酸化炭素が増加していった。この増加は、直接人類の生存を脅かすものではなかったが、温室効果による気候変動をもたらした。21世紀に入って明らかに気候は過激化した。また、温暖化により極地の氷が溶けだした。温暖化はシベリアやカナダの凍土をも溶かし、溶けた凍土からメタンが発生してますます温暖化は加速した。
地球温暖化については、21世紀に入ってから対策の必要性が叫ばれ、様々な取り組みが行われ、21世紀半ばには、大気中の二酸化炭素は減少に転じた。太陽電池の変換効率は30%を超え、また、次々に新たな高効率大容量の全個体電池が開発されて、2050年には、化石燃料で走る車はなくなった。自動車のルーフには太陽電池が張られており、天候と使い方次第で燃料補給なしで使用することが可能になった。また、小型核融合発電が実用化され、一部天然ガスによるものを除いて化石燃料を用いた発電所もなくなった。しかし、こうした取り組みは遅きに失した。
21世紀後半には、過激化した気候の影響で農業生産が不安定になった。また、交通手段の発達で、地球が狭くなった影響で、流行病があっという間に世界的流行となる。そんななかで2060年代にカナダ北部から、いわゆるカナダ病が流行する。いまだにはっきりしてはいないが、どうやら永久凍土に閉じ込められていた動物の死体に古代のウイルスが閉じ込められており、永久凍土が溶けて露出したその死体を何かの動物が食べることで、感染が始まったと推定されている。潜伏期間3日ほどで、突如40度以上の高熱を発し、呼吸困難に陥り、一日以内に高確率で死亡する。当初、死亡率は80パーセント以上といわれていた。世界がこの病気を認識したときには、既に全世界に拡散しており、もちろんワクチン開発は即座に着手されたが、そのときには死者が一億人に達しようとしていた。
何しろ過去に例のないウイルスだったので、ワクチン開発は難航した。それでも、世界保健機構が病気を認識して3か月後にワクチンが試作されたが、その時には、ウイルスは変異を遂げており、効果は限定的だった。病気そのものの影響も大きかったが、世界の物流、生産活動は一年以上にわたってマヒした。生活に窮した人々は、他人から奪ってでも生きようとする。世界各地で騒乱が起こり、これがまた感染を拡大させる。3年後に、ウイルス自身の弱毒化により、感染拡大は収まったが、物資の奪い合いによる騒乱が、ほとんど戦争状態に陥った地域もおおくあり、世界が正気に戻るためにさらに3年以上かかった。この6年間で20億近い人命が失われた。
武力による均衡が、世界に一応の秩序をもたらしたが、武力を持つ国が我を通すことが当たり前になってしまった。それでも、世界は回復基調にあるかに思えてきた2076年に、インドネシアで、翌77年にアメリカイエローストーンで、有史以来最大級といわれる火山の噴火が起こったのだ。この噴煙は成層圏まで舞い上がり、5年近くも北半球を覆った。温暖化していたはずの世界は、一気に寒冷化し、北半球の農業は致命的な影響を受け、食料が決定的に不足する事態となった。この時点でも世界最大の軍事力を持っていたアメリカ合衆国は、国民の生命を守るためと称して、比較的寒冷化の影響が小さかった南米への侵攻を開始した。当初は、平和的に輸入しようとしていたが、南米諸国とて寒冷化の影響は受けており、輸出余力はわずかしかなかったのだ。同様に、中国はオーストラリアに、ヨーロッパはアフリカ南部に、それぞれの生存を賭けて侵攻した。
核兵器は21世紀前半に、削減することで世界は合意していたが、だからといって全てが廃棄されたわけではなかった。また、削減された核兵器が闇市場を通じて各国に売却されているといううわさは絶えなかった。この世紀末の混乱の中で、2080年8月、最初に上海で核爆弾が炸裂した。すぐさま中国は、侵攻後1年以上抵抗を続けているオーストラリアの仕業と決めつけ、オーストラリアの主要都市、シドニー、メルボルン、キャンベラ、ブリスベン、パース、ケアンズの六都市を灰にした。10月には、アメリカの首都ワシントンで核爆弾が炸裂し、確たる証拠はないなかで、リオデジャネイロ、ブラジリア、ブエノスアイレス、サンティアゴが核攻撃された。アメリカの侵攻に対して、南米主要3国は連合して抵抗していたのだ。こうなると、長年の遺恨の残る中東地域や、アフリカ各地など、全世界で核戦争が始まり、ただでさえ食料不足の中で、人類の居住が不可能な地域が拡大した。こうして、暗黒の世紀が始まったのだ。
2090年に入り、このままでは人類は滅亡するという認識が広がって、漸く、生存への努力が本格化した。推定であるが、このころ世界人口は20億人以下となっていた。地上に安全な地域はわずかで、地中や海中にシェルターが作られた。また、2051年に設置された月基地は、2053年に地底に水の存在を確認することで、地球が混乱するなかでも拡大を続けており、2090年には1万人近くが4つの基地に分かれて居住していた。太陽電池でエネルギーを確保し、地底の水脈から水を得て、酸素を生成していた。多層階の巨大な農業棟を持ち、3毛作、4毛作によって食料を自給していた。一方、地球では、食料と安全な水の確保をめぐって争いが続いており、ひとつまたひとつと拠点が姿を消していった。
この地上の状況に対して、2108年、宇宙ステーション、月基地、火星基地など、宇宙で生活する人々が「地球連合」を称して、団結した。そして、地球の各勢力に参加を呼び掛けた。地球連合の目的は、人類の存続と地球の再生である。すぐに賛同するものは少なかったが、2090年には数万か所あった地上の拠点が、2110年には数千か所に減っており、協力なくして生存なしという認識が共有されるようになり、2113年、一部の自治を叫ぶ拠点を除いて、地上の拠点の90%以上を含む地球連邦が成立した。このころには、月の周回軌道上に、回転することで人口重力を発生させる直径1000メートルを超える大型ステーションが稼動しており、宇宙で生活する人間は10万人を超えていた。一方、地球の人類は4億人余りにまで減っていた。
2200年まで、地球上の拠点はなるべく居住範囲を拡大せず、拠点内での自給自足を原則として、地球の自然の回復を待つことになる。この間に、地球連邦に参加しなかった拠点は、様々な理由で破綻していった。中には、無謀にも地球連邦に戦争をしかけて資源をえようとするものもあったが、撃破された。宇宙の拠点は拡大していったが、地球の周回軌道上に超大型の拠点をつくることは、将来の落下の危険を考慮して、避けられた。荒廃しきっていた地球の自然は、ゆっくりではあったが回復していった。過激化していた気候も沈静化していった。地球の平均気温は、2200年の時点で、20世紀のレベルにまで落ち着いた。自然の状況は、地域によって大きく変化した。例えばアラビア半島は、草原と森林におおわれる土地となった。メキシコ北部の乾燥地帯もジャングルと化した。半面、北アメリカ中央平原は、非常に乾燥した土地となった。
こんな経緯を経て現在に至っている。人類は現在約6億人。言語は、かつての英語をベースとしたものに統一されている。人種の混血も大いに進み、見た目だけで人種を特定するのは難しい。まあみんな地球人になったんだ。
僕の研究テーマはどうすれば暗黒の世紀は避けられたか、あるいは影響を軽減できたか。ということだ。歴史の推移は必然だったという意見が根強いことはわかっている。しかし、世界の仕組みも含めて何か方法はなかったのだろうか。僕の仮説としては、いわゆる第二次世界大戦後の世界の成り立ちに問題があるというものだ。この仮説を証明するため、実験を熱望するようになった。そこで、計画案を作成し、地球の歴史干渉倫理委員会に提出したんだ。費用もかかるし、実験希望は毎年1000件は提出されているし、そんなに期待していなかったが、なんと僕の案が選ばれたというわけだ。
どんな未来を想定しているか、少し詳しくする必要があると考えました。