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三ノ輪での戦いを終えてすぐ、金船の正式な乗り手を誰にするかという問題があがった。
世に『人馬一体』という言葉がある。これは人が馬の呼吸を読み、また馬の方も人の呼吸を読んでお互いに動きを合わせるという気遣いあって成り立つものである。
しかし金船は、名馬ではあるが気遣いはない。むしろ人間に対して「お前が俺の呼吸を読め」と言わんばかりの態度をとる。確かに戦局をひっくり返すほどの気迫ある名馬だが、戦場の頭を務める大将を乗せるには気が強すぎる。
しかもプライドの高い馬であるから、自分のことをナメている雑兵など乗せはしないだろう。
「さてさて、さしもの名馬も乗り手がいなければ駄馬にも劣る」
ここに白羽の矢が立てられたのはタロヒコ少年である。悩める山片が馬場に立ち寄った時、こんなことがあった。
藍備えの馬のための馬場は、林を切り開いて綺麗に砂を敷いて作ってある。その外側には太い丸太を組んだ埒を設けてあり、なかなかに立派なものだ。その馬場の中で、数人の足軽と馬取りたちが言い争いをしていた。
山片はぼんやりとその言い争いを眺めていた。どうやら足軽と馬取りではどちらが馬の扱いが上手いかを争っているらしいらしい。こうした小競り合いは日常茶飯事であり、それ自体は何も面白いものではない。
足軽は戦場で自分の手足のように馬を扱い、馬に乗るための訓練を受けているのだから、自分が馬術に長けていると思い込んでいる。
対する馬取りの方は馬の近くに毎日いて、こまごまと馬の世話をしているのだから馬の扱い方を把握している専門家だという自負がある。こうした馬場で慣らしのために馬を走らせることもあり、下手な足軽よりも馬を走らせるのが上手い馬取りなどザラにいる。
どうやら足軽と馬取りは、ならば実際に馬を走らせてみようという話になったらしい。馬場に二匹の馬が引き出されてくる。
こうした争い自体は珍しいものではない。血の気の多い若者たちがより集まっているのだから、暇さえあれば小競り合いが起きる。それもまた娯楽の一つなのだ。
だから山片は、止めるつもりは無かった。ただ、馬取り側の馬として引き出されたのが金船号であることに少し驚いて、「ふむ」と小さくつぶやいた。
馬取り側が乗り手として前に出してきたのはタロヒコ少年である。
「タロヒコやい、負けんじゃねえぞ」
「手綱さえ離さなきゃ、金船が勝手に勝ってくれるさ、しっかり掴まってろよ」
タロヒコは馬取りたちの声援を受けて、金船号の背によじ登った。
対する足軽の方は軽やかに馬の背に飛び乗る。さすがは戦いの所作を叩き込まれた兵である。
「これは面白い」
山片は埒に手をかけて馬場を覗き込んだ。何より面白いのは、ついこの間まで金船を駄馬扱いしていた馬取りたちの態度の変わりようだ。
金船は落ち着きなく馬取りの間を歩き回り、甘ったれた表情で耳をピコピコと忙しなく動かしているのだが、馬取りたちは金船が近くを通ると笑顔で頭を撫でてやり、まず愛玩動物にでもするような可愛がりようをするのだ。途中、二言、三言言葉をかけてやるものがいるのは、勝負前の発破でもかけているのだろう。
一目見ただけでも、馬取り衆が金船を可愛がっていることは明らかであった。
一通り愛想を振り終えた金船は、ふと視線を上げて埒にもたれた山片を見た。その視線につられて、タロヒコ少年も山片を見た。一頭と一人、確かに視界に山片の姿を捉えたはずである。
だというに、彼らはスイと目を逸らしてしまった。まるで当たり前のように立っている庭木の一本を見た時のような、完全なる無心であった。
山片は確信した。
「この勝負、金船の勝ちであるな」
実は足軽側の人馬も山片の姿があることに気づいている。先ほどからちらりちらりとこちらに視線をくれては困ったようにオロオロと身を揺すっている。おそらくは私闘を見咎められると思っているのだろう。
勝負を前に小事に心囚われるようでは、すでに負けているも同然……山片はすでに勝負に対する興味を失っていた。それでもなおその場を離れなかったのは、金船の走りを見たいと思ったからだ。
やがて各馬スタート地点に立った。
ダート1200メートル馬場状態良、そして手加減をしてやる理由は何もない。スタートの合図に旗が振られた瞬間、金船はグッと蹄で砂を踏んで大きく一歩目を跳んだ。ハナから大差がついた。
埒にもたれた山片が思わず身を引き起こす。
「おお」
低い唸りが山片の喉元から漏れた。




