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敵方の将は三橋伊右衛門、本来ならしがない足軽大将であり、山片とは将としての格があまりにも違う。そもそもがこの作戦は三ノ輪の城勢が整うまでの間、竹田の軍を足止めするための攪乱であり、彼はいわゆる捨て駒なのだ。
だからといって腕に覚えがないわけではなく、無辺流の槍術を修めた武芸者である。足止めの役も果たせず討たれては面目が立たぬ。
だから三橋は慎重であった。手綱を手繰り寄せてじっと山片の動きを見る。少しでも隙があれば馬ごと間合いに飛び込んで、せめて一槍を浴びせる心積もりである。
かたや山片は槍術よりも馬術に長けた武人であり、三橋が少しでも前に出ることがあれば、金船の巨躯を生かして体当たりを食らわせてやろうと、やはり手綱を短く持っている。
きな臭い風が、にらみ合う二騎の間にヒョウと吹いた。それが合図であった。
最初に動いたのは三橋だ、彼は長槍でなら山片に届くと思ったか、穂先を水平に突き出して気合のこもった声をあげた。
「くええええい!」
金船が並の馬であったなら、この声だけで肝を尽くして棒立ちになったかもしれない。しかしかの馬は耳に痛いほどの歓声に何度も晒された記憶のある重賞馬だ、少し耳ざわりな野次が聞こえた程度にしか感じなかったらしく、微動だにしない。むしろべろりと舌を出して人を小バカにしたような顔つきをする。
そして金船の背にまたがる山片もまた、慌てることもなく、三橋の槍を軽く払った。
これがどれほど三橋のプライドを傷つけたことか――仮にも無辺流の使い手であるというのに馬にはナメられ、山片には軽くあしらわれ――三橋は頭に血が上った。彼はさらに突進をかけるべく、鹿毛の腹をあぶみで蹴った。
例えばこれが小者同士のつばぜり合いであるなら、先んじて気炎を上げた三橋の勝ちであっただろう。しかしこれは名人同士の睨み合いである。かわいそうに、結局三橋は自分が乗る馬にも劣る小者であったということだ。
三橋の乗る鹿毛は、これも微動だにしなかった。ただ岩のようにガンと構えて、金船をじっと睨みつけている。大した集中力だ。
三橋ただ一人が奇声を上げ、槍を振り回している。山片はそれを冷静に穂先だけで払い、最小限にしか動かない。そして2頭の馬は……二頭ともが目玉をかっぴらいて睨み合ったまま動かない。お互いに動いたら負けとでも思っている様だ。
しかしそれには鹿毛に乗った三橋の存在が邪魔である。彼はむやみに「キエーッ」だの「カーッ!」だの叫び声をあげてむやみやたらと槍を振り回している。
槍の方は山片が穂先を小さく動かして跳ねのけているが、声までは弾きようがない。三橋が奇声を上げるたびに、二頭の馬は不快そうに耳先をピリピリと震わせる。
この二頭はただにらみ合っているにあらず、どちらがより気力の優れた良馬であるかを決せんと気合をぶつけあっているのである。しかし三橋の声が二頭の集中力をあからさまに奪うのだから、二頭ともがこの小者に腹を立てていた。
「どうした、山片! この私を前にして臆したか、ならばこちらからゆくぞ、きえええええい!」
ひときわ奇態な声が上がった瞬間、ついに腹に据えかねたか鹿毛馬は大きく前脚を跳ね上げて後ろ脚だけで立ち上がった。自分が握る槍にばかり気をとられていた三橋はあっという間に手綱を取りそこなって馬の背から転げ落ちた。まったく無様に、あおむけに。
あっというまに無数の騎馬隊が群がり、この首を掻く。
「討ったぞー、三橋伊右衛門、討ち取ったりー!」
こうなるともう、部隊は攪乱隊としての機能すら果たさない。自分たちの将が討ち取られたことを知った足軽たちは、もはや戦いどころではなく各々が勝手な方向へと走り、逃げ惑った。
山片が大きく声をあげる。
「今ぞ! 全軍、進め!」
ダダッ、ダダッと地響きに似た音を立てて走り出す馬群の中に立ち尽くして、金船は鹿毛馬を見た。かの馬はすっかり勝負の興をそがれた様子で、金船に背中を向けた。鹿毛馬は気楽な足取りでポクポクと走って林の中に消えて行った。金船はその後姿を見送ってから、他の馬たちを追うように走りだした。向かう先は三ノ輪城である。
間もなく騎馬隊を追うようになだれ込んで来た竹田の軍勢により、三ノ輪城は攻め落とされた。永野成正は城内で腹を切り壮絶な最期を遂げたが、こうした人間たちの時局など、馬である金船にはどうでもよいことであった。ただ、あの鹿毛馬に今一度会いたいと金船は考えていた。予感もあった、あれとはいつか――遠くないいつか、再び戦場であいまみえることになるだろうと。
その日を考えるだけでたてがみが燃えるように逆立つほどの興奮を感じる。再び会いまみえたその時には、人間に邪魔されることなくあれと戦いたいものだと、金船はそう思ったのだ。
そしてその願いは、七年後の三峰ヶ原の戦いで果たされるのである。