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それから三日ほどたって、ようやく金船号の体に合わせた馬具が仕上がってきた。山片は早速、これをつけさせて金船号の馴らしをしようと考えた。
何しろ金船号は農家にいたころに馬鍬を蹴り倒し、積み荷を振り落とすほどに暴れた馬だ、鞍すら置かせてもらえないかもしれないという懸念はあった。しかも戦馬ともなれば、ときに馬鎧や面当てをつけることもある、そうした重装備に慣れさせようという目論みもあった。
しかしこの馬は、馬具をつけはじめるとおとなしく人間にされるがまま、背を差し出してきた。まるでそこに鞍を置くことがわかっているかのようであった。
「まこと、不思議な馬よ」
山片が鼻先を撫でてやれば、金船はブルルと鼻息を吹く。
「そうか、駆けたいのか」
言うが早いか、山片はあぶみに足を置いて金船の背に飛び乗った。そのまま軽く手綱を引き締めて金船を歩かせてやる。
「どうどう、すぐに走らせてやるからしばし待て」
この馬が馬具を嫌がらないか、まずは試し出歩かせてみようと思ったのだ。しかし金船は首を上下に大きく揺らし、時々は鼻先を下げて、いかにも早く走りたい様子であった。
山片は正直、度肝を抜かれた。並の馬ならば初めての鞍置きでなにがしかの戸惑いを見せるものであるというのに。
まずは泥障を乗せられた時点で、並の馬ならば一度棒立ちになる。分厚い革の重みと、それがピシャリと背に打ち付けられる勢いに驚いて前足を跳ね上げるのだ。
ときに革の匂いと重みに驚いて小さく肩を震わせて棒立ちになる馬がいるが、こうした臆病な反応を見せる馬は戦馬としては好まれない。それよりは馬具を嫌って跳ね回る馬の方が戦場で怯えることもなくて立ち回りが上手い。
しかし金船はこのいずれにも当てはまらぬ馬であった。泥障を見てすぐに首を下げ、馬取りたちが馬具をかけやすいように動いた。まるでおとなしくしてさえいれば存分に走らせてもらえることを知っているような、そんな仕草であった。
それもそのはず、金船は遠い未来の夢の中で何度も馬具をつけられている。泥障に似たクッションを背に置かれ、その上にがっしりとした鞍をくくりつけるという手順をよく心得ているのだ。そして彼は、それが走るための準備であることも知っていた。
馬具をつけ、その上に騎手を乗せた後はパドックに引き回される。競馬新聞を片手に馬の尻を眺める人間どもを眺めながら、これから始まるレースへの闘志を膨らませるのだ。
パドックには他の馬たちも一緒に引き出されてくる。レースが始まればこの馬たちがみな、ライバルとなる。彼はジロリと睨みを効かせて他の馬たちを牽制する。他の馬よりガタイの良い彼の睨みに、気の小さい馬はそれだけでビビッて目を逸らす。
いま、併せて走らせようということで毛並みのいい鹿毛の馬が馬場に入れられた。金船号はこれをにらみつける。しかし鹿毛の馬は気が強いのか、ギョロッと目をむいて睨み返してきた。金船は腹を立てて首を上下に振る。
山片が強く手綱をひいてこれをいさめた。
「落ち着け、気を荒げるんじゃない」
ブフン、ブフンと鼻息を吐いて、金船は思いとどまった。確かにこの馬の生意気さは気に入らないが、ならば走りで黙らせればいいだけのこと。
「よし、よし、どうどう」
山片に片を叩かれながら、鹿毛の馬と並んで立つ。ここがスタートだ。
「よぉし、金船、お前の思うが儘に走ってみるがいいぞ」
鹿毛馬と並んで走りだした金船は、まずは相手馬の尻が見えるように後ろに下がった。ゴール直前で追い込みをかけて勝つことを得意としている彼にとっては、ここはベストポジションだ。
「なるほど、金船、これがお主の走りか」
馬上の山片は、あらためてこの馬の賢さに感心した。これはつまり、他の馬をペースメーカーとしては知らせておきながら、自分は体力を温存しておく作戦だ。
しかし前を行く馬との差は五馬身ある、並の馬ならばこの差を詰めるだけでも苦しかろう。
「やぁっ!」
山片がひと声あげて鞭をくれると、金船は首を下げて全速力で走り始めた。筋肉質な巨躯をばねのように弾ませて、一気に前方の馬を追い越しにかかる。
速い速い――あまりにも早いから、山片は一瞬、自分が馬ではなく風に乗っているのではないかと錯覚した。
金船はぐんぐん速度をあげて、ついに前を行く馬を抜き去った。それだけでは飽き足らず、今度は空いて馬を後ろに引き離してさらに速度をあげる。
「すごい、すごいぞ、金船」
必死に首を振る鹿毛を一馬身、二馬身……さらに三馬身と引き離して、金船は存分に走る。背に乗せた山片は興奮して賞讃の言葉を雨あられと注いでくれる。
金船が求めていたものは、まさにこれであった。
たとえいかな駿馬であろうと一頭で走っては、自分がどれほど早いのか実感することはできない。他の馬と並走し、これを完膚なきまで引き離して初めて、自分の走りの素晴らしさが認められるのだ。
耳の間を台風のように吹き抜ける風と、そして全身に血が巡る感覚と――金船は思う存分に走った。どれくらい走っただろうか、さすがに疲れた彼が足を止めたときには、並走していたはずの鹿毛はすでにはるか後方で草を食んでいた。
背から這い降りた山片は惜しみない賞讃の言葉を口にする。
「素晴らしい! 体力は底なしかと思われるほどあるし、その体力を十分に生かすだけの筋力も備えている、きっとお主は、戦局をひっくり返す怪馬となるであろうぞ!」
山片の言葉の中身はわからなかったが、自分が褒められているのだということはわかった。だから金船は誇らしげに鼻を鳴らしてこれに応えた。
遠く、山陰に日は沈もうとしている。火照った体を冷ますように吹く夕暮れの風が心地よかった。
その一か月後、金船は初陣を経験することとなる。




