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開けて三日、ついに山片正影率いる五千の軍兵は石村の領地へと至った。もちろん山片が跨るは芦毛の巨馬、金船号である。堂々とした体躯を火縄香る風に吹かれて立つ金船の姿は、それだけでも十分に圧巻であった。さらにはその背後に群れる五千の兵馬は雲霞のごとくワンワンとうなりをあげて進む。
それを見た石村城の兵たちは、いよいよ自分たちが追い詰められたのだということを知ったに違いない。それでも降伏のために門戸を開けたりしない態度はあっぱれではあるが、すでに落城同然であることは、誰の目にも明らかであった。もしもこの戦局をひっくり返す出来事があるとしたら禿川からの援軍がつくこと、ただそれのみ。
安芸山隊に合流した山片隊は、禿川から万が一にも援軍が届かぬように、城の外周ぐるりを囲むように配置された。
しかしそうした戦略など金船にはどうでも良いことである。かの馬は、あの鹿毛馬がどこにいるのかばかりを気にしていた。
(いる、この城に、ヤツはいる)
匂いで、そして気配でそれを感じる。
金船は対象である山片を乗せて陣中のあちこちを見て回るのが仕事であった。それ故に城のたつ山中をつぶさに見て回ったが、北西には山の斜面を利用した六段の石垣がそびえ、正面には見上げるほどの正門を抱えた高い垣を巡らし、容易にその中を覗かせてはくれぬ。その本丸は慎み深い処女のごとく容易には姿を見せてはくれない。
金船は垣の向こうから感じる人馬の気配に焦れてバクバクと足を踏み鳴らした。この癇癪をなだめようと、山片がぴしゃぴしゃと金船の首を叩く。
「落ち着け、金船号よ、山の上の水源をつぶし、水を絶てば、こんな城など三日とはもつまい」
「違う、城などどうでもよい」と、金船はさらに地団太を踏んだ。かの馬がなによりも望むのは、鹿毛馬と双肩並べて走ること、それのみであった。
あの鹿毛に出会う前の金船は、自分がこの世界に再び生を与えられた理由を長く考えていた。とはいっても馬の考えることであるから、人間が思うような複雑怪奇な異世界転生の物語を夢想していたわけではない。ただ真摯に、自分がこの戦国の世に存在する理由だけを探していたのである。
そして、あの鹿毛馬と出会った瞬間、金船は全身の血がふつふつと煮えあがるような興奮とともに、自分がここにいる理由を知った。
――こいつだ、こいつこそが理由ってやつだ。
金船の前世がいくら名馬といえど、もちろん無敗だったわけではなく、大敗を喫したことは一度や二度ではない。強い相手はいくらでもいた。
転生後の今も、忘れられず繰り返し夢に見る大敗は、しば3200メートルのコースを走ったあのレースだ。金船はいつも通り最後方につけて先頭馬の出方を窺っていた。3コーナー手前の緩い上り坂で前を行く馬たちを一気に追い抜かし、先頭に躍り出る作戦だ。しかし、この時のレース、先頭を行く馬が思いのほか強かった。走っても走っても、ゴリゴリと筋肉の際立った腰までしか追いつけなかった。
――もう少し、もう少しだけ早く。
そう願って走ったが、状況は最後の直線に入っても変わらない。ほんの半馬身がひどく遠い。
――ああ、負けた。
そう思った金船は、速度を落とす。後ろから来た馬たちが小さな風を起こしながら金船を追い抜かしていく――。
かように強い馬などいくらでもいる。しかし、それら全ては人間たちに組み合わせを決められたレースであった。金船自身の望みによって走ったことは一度としてなかった。
金船は一度でいいから自分が思った通りの強い相手に、命を削るようなレースを仕掛けてみたいと渇望していた。
その願望が、鹿毛馬の姿を見た瞬間にぎゅうっと膨れ上がり、はじけて、それからすとんと腑に落ちた――この馬こそが自分が求めていた相手であると。
その最高のライバルが石垣一枚向こうにいる、気配も感じる、それほど近くにいながら相手の姿すら見ることができないとは!
金船は強く焦れて馬沓を散らす勢いで足踏みをした。山片は少し強く金船の首を叩いてこれを嗜めた。
「どう、どう、落ち着け金星号よ、そんなに荒ぶらずとも、勝利は目前ぞ」
所詮は山片も人間、馬である金船の心の内など理解ができぬと見える。
「とりあえず本陣に戻ろう、美味い飼い葉を食わせてやる、落ち着くが良い」
山片は強く手綱を引き、金船の鼻先を石村城から引き離した。




