14
野営の陣中に戻ってきた太郎彦は、あの斥候のことを山片に報告した。けっきょくは太郎彦も竹田軍の、それも下っ端である足軽のうちの一人にすぎないのだから、いくら情け深かろうと兵士としての責から逃れることは出来ぬ。
太郎彦からの報告をすべて聞いた山片は短く「捨て置け」と答えた。斥候一匹など、とるにはたらぬということだろう。
山片はそれよりも鹿毛の馬の存在に尋常ではなく興味をひかれた様子であった。
「おそらくそれは、高付の国にいた馬であろう」
戦国の世において、馬は移動する財産である。おおかた戦いの最中に逃げ出して、どこぞの百姓にでも拾われ、そこから売られたものであろう。あれだけ体躯のよい馬なのだから、きっと良い値で石村の城に買われたはずだ。
「なるほど、これが因縁というものか」
山片はひどく納得した様子であった。そして、あの鹿毛が相手なら、乗り手は太郎彦ではダメだと考えた。
「太郎彦、ここからはわしが金船号に乗る。異存はないな?」
太郎彦はうろたえて落ち着きなく体を揺する。
「はい、いや、でも……」
「落ち着け、別になにか粗相があったわけではない、ただな、太郎彦よ、お主はちいっとばかり金船を大切にしすぎる」
「それは山片様よりお預かりした大事な馬ですもんで、当たり前です」
「なるほどそれは当然のことよ、しかしな、戦場においては馬は刀や火縄といった道具と同じ扱いである、その道具にいちいち心を寄せていては戦いの時に迷いも出る、だからお主は金船を存分に走らせてやれぬのだ」
「おことばですが、山片様、おらほどうまく金船に乗れるやつぁいねえ!」
「上手いだけではダメなのだ、道具は時に、壊れても良いくらいの気概で思い切って振り切らねばならぬ。そうした時に太郎彦、お前の情の深さは邪魔になろう」
「でも、山片様、金船は道具じゃなくて、生きてるもんだ……」
「その通りである、だが戦場ではその理屈は甘えととられる」
つい、と山片は視線を落とした。
「太郎彦よ、今でも侍になりたいと思うておるか?」
「あの、いえ、あの……」
「臆さずとも良い。あの頃のお前は子供であったのだから、戦場がどのようなものか知らなかった、実際に足軽となってみてどうであったかを問うておる」
「おらは……自分は足軽よりも百姓に向いとると思っとります」
「正直者よの、太郎彦、よかろう、百姓になれ」
「良いのですか?」
「良いも悪いもわしが決めることではない、お前が決めることであろう。わしもあの頃は若かったが故、男であれば誰もが野心を腹に置いておるものと思うておった、だが最近はな、お前のように野心も邪心もない者もおるのだということをよく心得ておる、叱りはせぬ」
「そ、それはもしかして、おらを体よくここからおっぱらって、キンを取り上げようってことですか」
ふいと山片が顔をあげ、まっすぐに太郎彦を見た。
「取り上げるとは何事だ、あれは元よりわしの馬であるぞ」
「いや、まあ、それは、そうですが……」
「太郎彦、あきらめろ、あれは農馬になどなれぬ」
太郎彦は唇をぐっと噛んで下を向いた。山片はそれを見て、わずかに声音を緩めた。
「太郎彦、本当はわかっておるのであろう、金船号が何を望んでいるのか」
「わかって……おります。そして、その望みのためにはおらが乗り手じゃダメなことも……」
「ならば引け、ここから先は戦場、覚悟のないお前にはついてこられぬ場所ぞ」
「はい……」
「明日の朝いちばんで、お前は国に戻るがいい、そして金船のことは忘れよ」
「わかりました。でも今夜だけは……金船の側に居っても良いですか」
「好きにすればいい」
「ありがとうございます」
こうして太郎彦は金船と別れることになった。しかしこれは、戦向きではない彼の性質を考えればむしろ幸福だったのかもしれない。
太郎彦はその夜、金船の近くに藁をかき集めて作った寝床に潜り込んで眠った。そして翌朝、金船の鼻先を何度も何度も撫でて別れを惜しんでから、国に向けて戻りの道を行った。
おそらくこれが今生の別れになるだろうと、太郎彦も……そして金船も感じていた。




