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 色の濃い鹿毛は月光に濡れてテラテラと光っている。固く盛り上がった肩と、がっしりとした尻周りの筋肉がいかにも強い。鹿毛もまた、その生命の絶頂にあった。

 恐らくは石村城から放たれた斥候だろうに、その馬は闇の中をゆっくりと歩いて金船の正面に立った。その背に乗った気の弱そうな兵は「しっ、しっ」と盛んに舌を鳴らし、手綱を精一杯に引っ張り回しているが、鹿毛馬をおしとどめることはできない様子であった。

 金船が落ち着きなくしっぽを振り回す。その気配に気づいた太郎彦は馬の背に貼りつくほど身を沈めて手綱を強く握った。鹿毛馬もまた、視線をすっと遠くに向けて足元を踏ん張った。哀れな斥候もこれに気づいて大慌てで手綱を強く握りなおす――走るための準備は整った。

 金船が用心深く、鹿毛馬の隣に並んだ。影の方も、まるで並んで走り出すことが当たり前であるかのように、おとなしく立っていた。

 あとはスタート前のファンファーレだ。これは太郎彦の怒声がその役を果たした。

「貴様、石村の兵か! ここで何をしていた!」

 何をしていたか、斥候なのだから山片隊の動向を探っていたに決まっている。この兵はすっかり震えあがって、「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。それがスタートの合図だった。

 グッと大地に膝を沈めて鹿毛が走り出す。一呼吸遅れて金船が小石を蹴り上げて走る。二頭の馬は月下に吹く二条の黒い疾風となった。

 先を走るのは鹿毛の馬だ、その背には兵が一人、落馬せぬようにと必死の形相でしがみついている。

 金船はその後ろを走る。遅れているのではない、わざと鹿毛馬の尻が見える位置につけているのだ。一足ごとに大きく動くかの馬の尻を見て、金船は「なるほど、早いな」と思った。早いからこそ、邪魔者にしかならない騎手を背に乗せているのがもったいない。

 鹿毛の馬にしがみついた兵はろくに馬と動きを合わせることすらできぬ未熟者と見えて、ときどき大きく尻が浮く。対する太郎彦は胸を金船の背にぴったりと引き寄せて、まるで馬具の一部であるかのように上手く金船の体になじんでいる。このまま金船が急に速度を変えるようなことがあっても、動きをうまく合わせてくれることだろう。

 惜しい、あまりにも乗り手の力量が違いすぎる――このまま追い詰めてやれば鹿毛はさらに速度を上げるだろう。しかし背中に乗ったお荷物野郎は、きっとそれを御しきれはしない。むやみに手綱をひき、馬の首にしがみついて大騒ぎになるはずだ。そうすれば隙ができる、そこをついてぬかすのはたやすい。

 しかし……それは本当に『勝った』ということになるのだろうか。

 金船はカツカツと蹄を鳴らして速度を落とし、首を立て、ついには完全に立ち止まった。鹿毛馬は当たり前のようにガツガツと蹄の音を響かせて、月下の草原を走り去ってゆく。勝負は一時お預けというやつだ。

 金船の背の上で、太郎彦がささやいた。

「いいのか」

 ブルブルと鼻息を吐く金船に後悔はなかった。ここであの鹿毛に勝つことができたとしても、所詮は乗り手の差であろうと評されるに違いない。気高い金船にはそれが許せなかったのだ。

 太郎彦はそうした金船の気高さを十分に心得ている。

「あれは石村城の者だ。いまからおらたちはそこに行くんだから、きっと、そん時は本当の勝負になるだろうよ」

 意味が通じたのか通じなったのか、金船はきっと視線をあげて月を見た。月は明るく、青く、空の真ん中にぽっかりと浮かんでいた。

 きっとこの月は、あの鹿毛馬が向かう石村城からも見えているに違いない。夜空を丸く切り抜いたようにくっきりと、美しく。

 太郎彦も金船に倣って空を見上げる。彼は、あの斥候のことを報告するべきかどうか、その判断を悩んでいた。

 ここで起きたことは、あの夜空に浮かぶ月しか知らぬこと――太郎彦さえ口をつぐんでおけば、あの斥候はここにいたことさえ知られず、石村城までたどり着くことができるだろう。しかし、見逃したところで彼が城に持ち帰るのは、石村城を攻めるための増援が寄越されるという、絶望をさらに上塗りする情報だと、それを思えばむなしいばかり。

「なあ、お月さんよ、あんたは、黙っていてくれるかい」

 月に問うても返事などあるわけがない。ただ太郎彦のむなしさが深まるばかり。

 どこか遠くでコオロギが鳴いている。静かな、明るい夜だった――。


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