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石村城といえば、安芸山氏が箕川に向かう中途にある城だ。その城主はどうやら急ぎ禿川と同盟を結び、己が領地を踏み荒らそうとする安芸山隊を迎え撃とうとしているらしい。
安芸山の隊は先鋒として軽量に組んである。それだって二千五百の兵を有する大部隊ではあるのだから石村城を攻略するに不足はない。しかし、禿川からの援軍が石村城に差し向けられるようなことがあれば手薄である。
つまり山片隊五千の兵力を合流させて、禿川の出方を見ようという作戦である。
野営のたき火を囲んで、足軽たちはさっそく賭けを始めた。
「禿川だって義ってもんがあらぁな、援軍をよこすだろうさ、俺ぁ来る方に五文だ」
「いやいや、こっちの兵力を考えたら、千や二千の援軍を寄越したところで屁の役にもたちゃしねえ、禿川もそれを知ってんだから、無駄な援軍など寄越さんだろうよ」
「まてまて、義を通し、俺たちを討つために全軍こっちに寄越すって手もあるぞ、三文で」
「そんなことしたら竹田の殿様が引き返してきて、後ろから討たれるだろうに、禿川がわざわざそんなワナにはまるもんかねえ」
少々浮かれ過ぎかとも思うが、これが士気につながることを思えば強くは叱れない。太郎彦は見ぬふりをしてそっとたき火のそばを離れた。飽きも深いこの季節、日のそばを離れれば夜風が冷たく肌に沁みる。
実際には援軍など来ないだろう。禿川は自分に向かって進んでくる武田隊二万との戦闘に備えて兵力を手元に置いておく必要がある。禿川がなんといって石村の城主をたぶらかしたか知らないが、まず援軍をよこすとは考えにくい。
つまり石村城は安芸山隊を足止めするために置いた小石であって、きっと切り捨てられるに違いない。山片隊では末端の足軽に至るまでもがそれを知っている。だから戦勝の気配に浮かれて、くだらぬ賭け事遊びなどを始めたわけだ。
ただ一人、太郎彦だけは……これから向かう石村城のことを思って胸を痛めていた。すでに安芸山隊は石村を城内まで追い詰め、くだんの城は籠城戦に突入したという。
こちらでは誰も禿川の援軍など来ないことを知っているというのに、哀れな石村城では今も、明日になれば援軍が来るはず、ここさえ乗り切れば禿川の助けが入るはずと信じて戦っているのだろう。時にはちらりと頭をよぎる「もしかしたら見捨てられたのかもしれないむという疑心を押し込めて無理矢理に禿川の援軍がつくことを信じ、残り少なくなってゆく兵糧を眺めて暮らすのは、どれほどに心細いことだろうか。
くさくさした気持ちを吹き飛ばすために、太郎彦は繋いであった金船を野に引き出した。その背に鞍を置き、ヤッと飛び乗る。
なんだか無性に走りたい気分だった。
馬たちは昼の移動で疲れている。本来ならば来るべき戦闘に向けて体力を温存してやるべきだ。それに早駆けさせようなど、太郎彦もまた、此度の戦に対して慢心があったに違いない。
金船の方は、時ならず訪れた早駆けの準備に興奮して、何度も何度も頭を振り回した。昼間のノタノタと這い回るような進軍に倦みきっていたのだから、カツカツと蹄で足元を踏んで喜びの足踏みをした。折よく中秋の名月を過ぎたばかりの月は明るく野を照らし、金船が踏んだ足元から胸をすくようなフジバカマの香りがたった。
「やぁ!」
太郎彦の号令とともに金船は走り出す。月が藍色に染めた明るい夜空の真っ只中を切り抜いて、まっ黒い人馬の影が浮かんだ。
「キン、おらが許す、今だけは好きに走れ!」
太郎彦の言葉に、金船は喜んで首を下げた。そのまま一歩を大きく、ダクっと踏み込み、全速力で。
金船はいま、生きている喜びを存分に感じている。肺が大きく膨らみ、長い鼻道を通ってゆく呼吸が熱い。
もっと早く……もっと、もっと早く……。
金船は人間の戦の勝敗などどうでもいい。かの馬はただ、自由に走りたいだけだ。
金船は努力や規範といったものを嫌うタチで、普段から訓練の始まる時刻になるとふいと牧草地のどこかへ隠れてしまったり、逃げ出したりして人間たちを困らせた。その割に走ることは好きなようで、競い馬になると誰よりも先に飛び出して先頭を走る。そんな金船が、ここ何日も戦という人間の都合に付き合わされてポクポクと並足で歩いていたのだから、膝が震えるほど走ることに飢えていた。
がむしゃらに走る。飢えが満たされていくような充足感に身が熱くなる。熱い呼吸を吐き出し、冷たい夜風を吸い込むひと呼吸ごとに、生き返ってゆくような心地だ。
ふと、研ぎ澄まされた鋭敏な神経の片隅に『他の馬』の気配が引っかかった。同じ厩舎の顔馴染みではない、しかしまるっきり知らぬ馬というわけでもない……あの鹿毛馬だ!
金船は立ち止まり、あたりの気配を探った。明るい夜空の底に沈んだ地上は暗く、灌木の茂みの陰に、ついついと立ち上がったススキの原の中に、何者かが身を隠すに十分な闇があちこちにわだかまっている。月の青い光を透かして、金船は闇の中に目を凝らした。
ほど近く、柔らかい穂を静かに揺らすすすきの中に、その馬はぬっと立っていた。




