8.感情のない少女
酷い扱いを受けていた。
感情の機能が1%以下にまで抑え込まれていた所為で、ユアはそれを辛いとも苦しいとも思っていなかったのだが、知識としてはそれが酷い扱いなのだと理解していた。
彼女は人さらいの手によって、冒険者達に売られてしまったのだ。
罹っていたミザネラ病が全快した後、普段、はしゃぐ性質ではない彼女にしては珍しく街で破目を外し、遅くまで遊んだその帰り、人さらいに彼女は捕まってしまった。
彼女は人さらいに捕まって直ぐに感情停止の毒を打ち込まれ、喜怒哀楽も好き嫌いもない、命令された事には何にでも従う奴隷人形にされてしまった。そして、人さらいの手から奴隷商に卸され、そこで冒険者達に買われたのだ。
冒険者達がユアを買った理由は明らかだった。彼女を肉の盾にする為だ。ミニア族は魔法耐性が強い。魔法による攻撃を無効化できる。もっとも、完全に無効化できる訳ではなく、多少はダメージを負ってしまうのだが、感情が機能しない状態の彼女はその苦痛を拒絶できなかった。
苦しいと感じている。痛いとも感じている。しかし、それを拒否するべきものだとは認識ができない。
冒険者達に買われてから、彼女は何度かダンジョンの攻略に使われた。死を覚悟するような体験をしたが、彼女はそれでもなんとか生き延びた。そして、ある時、彼女は魔王討伐に駆り出されたのだ。
魔王が棲むとされる火山の洞窟は、魔法系の危険な生物がたくさん生息している。魔王自身も魔法が得意だ。だから彼女の魔法無効化の能力が役に立つと思われたのだろう。
「ハハハハハ! 覚悟しろよ、魔王!
俺達はほとんどノーダメージだ!」
そう愉快そうに笑う冒険者達の最前列に、ユアは立たされていた。既にボロボロになっている。その先の暗がりに魔王はいた。表情は分からない。
「このミニア族の女には、魔法攻撃は効かんのだ。お前は強力な魔法を使うそうだが、俺達にはだから意味がない」
冒険者の一人が、そう嘯く。
だがそれはハッタリだった。繰り返すが、魔法を無効化できると言っても完全にゼロにできる訳ではない。そして何度も魔法攻撃の盾になって来た彼女には既にかなりのダメージが蓄積されていた。これ以上魔法攻撃をくらえば、流石に危険だ。
しかも、相手は凄まじい魔力を持つとされる魔王だ。下手すれば、彼女は死んでしまうかもしれない。
“この人達は、ここで私を使い捨てる気だ”
ユアはその冒険者達の態度から、そう理解した。
この魔王討伐に成功すれば、1000万マネーの賞金を得られる。自分はどうやらかなりの高額だったらしいが、今までに他のダンジョンで稼いできた額も合わせて、充分に費用対効果が出るのだろう。
“私の減価償却はここで終了……”
つまりは、それは彼女の死を意味していた。
自分を回復させる為には、抗魔法効果を除きつつ、回復魔法を使わなければならない。その手間を彼らはいつも面倒がっていた。だから、それくらいは予想できた。
「……なんで、ミニア族の女なんかを回復させてやらなきゃならないんだ?」
「そう言うな。高額な備品だ。手入れはちゃんとしなくちゃな」
「なら、お前がやれよ」
「嫌だよ。共通備品の整備は、お前の仕事だろうが」
そんなような会話を何度も彼女は耳にしたのだ。
もし感情が活きていたなら、どれだけ傷ついていたか分からないが、感情がほぼ死んでいた彼女は、それにほとんど何も感じなかった。彼らもそれを分かっていたのだが、もし仮に分かっていなかったとしても同じような事を言ったかもしれない。
「ここで捨てちまうのなら、もっと、やっておけば良かったな」
下卑た笑いを浮かべながら、後ろにいる冒険者の一人がそう言ったのが分かった。
“ああ、やっぱり死んでしまうんだ”
それを聞いて、彼女はそう思った。
だがその時だった。
「……その女の子は、感情を麻痺させられているのか?」
そう言いながら、魔王が彼女に向って近付いて来たのだ。その声は今にも泣き出しそうで、実際に彼は今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。
いつの間に近付いたのだろう? 気付くと彼は彼女の目の前にいた。そして、ボロボロになった彼女の頬を優しく撫でる。
その魔王の行動に冒険者達は慌てて身構えた。既に間合いの内に入っている。臨戦態勢を取ったそんな冒険者達には構わず、魔王は言った。
「感情が麻痺していても、痛みは感じるんだ。ただ、その痛みを“嫌だ”とは思えないだけで………」
そう言いながら、魔王はユアの抗魔法能力を解除すると、彼女に回復魔法を使った。
いつも冒険者達はとても苦労して、彼女の抗魔法能力を解除しているのだが、魔王はいとも容易くそれをやってのけてしまった。
その時、ほぼ感情が死んでいる状態で、彼女は彼の優しさと怒りとを感じていた。
「なんて可哀想な事をするんだ!」
そう言って、魔王は冒険者達を睨め付けた。それに冒険者達は多少はたじろいたが、直ぐに強気を取り戻すと、
「ハッ! 随分器用な野郎だな! だが、戦闘力には無関係だ。さっきも言った通り、俺達はノーダメージだぞ!?
今からお前を……」
そう冒険者の一人が言いかけている間で、魔王は薙ぎ払うような仕草をした。風が巻き起こり、一瞬で冒険者達の姿が消える。
後で聞いた話だが、この時この冒険者達は遠く南の国にまでこれで飛ばされたらしい。“この女の子に二度と会わせない”。そんな想いで、魔王は彼らを飛ばしたのだろう。彼が最も激怒したのが、この一件だった。
魔王は優しくユアの頭を撫でると、それから手を握り、瞬間移動で自分の部屋にまで連れて行った。部屋は、普通の民家の部屋とそう変わらなかった。
そして、そこで彼はこう言ったのだ。
「大丈夫。安心して。感情は麻痺しているだけだから。直ぐに治してあげるから」
感情が死んでいるユアにそう言っても、彼女はほぼ何も感じられない。だが、彼女はその時の彼の表情を今でもよく覚えている。
とても寂しそうで、とても辛そうで、とても優しい。
そんな表情を彼は浮かべていた。
それを不思議に感じはしたが、それでも、なんとなくユアは察していた。
“本当は、この人は私を戻したくないんだ”
彼は何処かから薬を持って来ると、その薬を彼女に飲ませた。感情の麻痺を回復させる薬だろう。
その薬を飲み込むと、まるで頭の中の歯車が噛み合うように彼女は死んでいた自分の感情が再び機能し始めるのを感じた。
が、魔王はそんな彼女の様子を見て、とても慌てたのだった。
「あれ? おかしいな。この薬で治るはずなのにな」
ユアはそんな魔王を安心させてやらなくてはいけないと思い、口を開いた。
「大丈夫です。感情は元に戻って……」
が、そう言いかけたところで、機転が彼女に働いた。こう続ける。
「半分ほどは戻っています」
実は完全に回復していたのだが。
それを聞くと、安心したような表情を魔王は見せる。が、それから直ぐに表情を豹変させるとこう言った。
「そうか。では、街まで送ってやろう。安心しろ。安全な場所にまで連れて行ってやるからな」
その明らかに今までとは異なった態度の魔王を見ながら、ユアは“ああ、これは本当のこの人じゃないのだな”とそう思った。きっと、他人と接する為につくったペルソナ。そして、その時、それにユアはこう返したのだった。
「いえ、感情は半分は死んだままです。今のまま街に行っても、また誰かに利用されてしまうでしょう。
どうか、このままここにいさせてください。街に戻ったら、また酷い目に遭わされてしまいます」
魔王の性格上、その彼女の“お願い”を拒絶する事ができないのは明らかだった。そして、彼はユアがここで暮らす為の準備をしてくれたのだった。
「……どうして、魔王さんはあなたの感情が戻っていないと思ったんですの?」
ユアの話が終わると、ノーローンはそう尋ねて来た。
「私の表情が変わらなかったからでしょう。実は私、元々、素で無表情なんです」
彼女はそう答える。
「詐欺じゃないですか!」
と、それにノーローン。
そんな彼女を気にせず、ユアはこう返す。
「私、自分の無表情にコンプレックスを抱いていたのですが、産まれて初めてそれに感謝をしました」
そして、こう続ける。
「魔王様にとって、感情が死んでいる私という存在は手放したくはなかったはずでしょう。感情がないという事は“嫌悪”もないという事ですから、自分が嫌われる事もない。
でも、それでも魔王様は、躊躇なく私を助けようとしてくれた。あの時の寂しそうな表情を、今でも私は忘れません。
――だから私は、魔王様の為に尽くそうと心に決めたのです」
それから魔王のいるだろう方に目を向けると、彼女はこう言った。
「あの時、魔王様は孤独感に苛まれ、恐らく精神的に限界を迎えていたと思います。私が残って、本当に良かったと思います」