6.この魔王はかなり面倒くさい
「――さてと、」
ノーローンとの会話をそう言って切り上げると、ユアは魔王が逃げていった方に視線を向けた。笑顔を見せたのは一瞬だけで、今はもう元の無表情に戻っている。
「あなたがちゃんと分かってくれたことを、早く魔王様に伝えてあげなくては。もう落ち着かれた頃でしょうし」
ノーローンは“ちゃんとは分かってはいなのだけど”と、心の中で愚痴ったが、それを口には出さずにこう言った。
「誤解を解いてくれるのですね。ありがとうございます」
それに彼女は「ちょっと違います」と返す。
「魔王様が気に病まれているから、私は伝えに行くのです。
魔王様は、変な行動を執ってしまってあなたから嫌われていないだろうかと不安になってもいるはずですし、あなたを傷つけてしまったのではないかと罪悪感に苛まれてもいるはずですから」
そう言われて、ノーローンは“魔王様のことを一番分かっているのは自分だ”と誇示されたかのような気分になっていた。実際、その通りなのかもしれないが。
それから「では、しばらくここでお待ちください」と言うと、静かだが、やや速めの足取りでユアは部屋から出て行く。一人残されたノーローンは、その殺風景な部屋でなんだか落ち着かない気分になってしまった。
そんな中で考える。
“魔王さんも不思議ですけれども、あのユアとかいう彼女も不思議ですわね。一体、何者なのかしら?”
これまでの行動から考えて、魔王はとんでもなく人付き合いが苦手であるようだ。しかし、そんな魔王が、あのユアという少女だけは自然と受け入れているように思える。
“あそこまで臆病な魔王さんを、どうやって彼女は安心させたのかしら?”
彼女はどうしてもその秘密を知りたかった。そうでなければ、魔王と近しい関係になるなどできそうにもない。
“もしも、あそこまでお優しく凄まじい力を持った人と仲睦まじい関係になれれば、人生は安泰ですわ!
絶対に、逃しはしません!”
拳を握り締める。
……どうも、彼女が魔王に近付こうとしている理由には、純粋な好意以外もあるようだった。
或いは、予想もしなかった不幸が自分の人生にいきなり降りかかって来た彼女は、必要以上に“安定”を望む傾向にあるのかもしれない。
それからしばらく時が過ぎ、ノーローンが待ちくたびれ、自分から二人を捜しに行こうかと悩み始めた頃に二人は戻って来た。
ただ、ユアは直ぐに彼女のいる部屋に入って来たのに、魔王は部屋の外から中の様子を窺っている。
ドアの隙間から辛うじて顔が見えていたのだが、怯えているように見える。
そんな魔王の様子を見てか、ユアがなだめるように言う。
「ほら、魔王様。大丈夫ですよ。事情は私が説明しておきましたから。彼女も全然、怒っていないでしょう?」
その言葉を受け、ノーローンは魔王の警戒心を解く為に、ニコニコと作り笑いを浮かべるしかなかった。
“……わたくしは一体、何をやっているのでしょう?”
と、心の中で呟いてしまう。
結局、それからまたちょっと待ち、ユアに説得されるような形でようやく魔王はその部屋に入って来た。
「じ、事情は、ユアから聞いた。ボ……、我…… こ、この俺に感謝をするとは中々殊勝な心がけだ」
照れているのか、怯えているのか、顔を真っ赤にしながら魔王はそう彼女に向って言った。
表情も口調もコロコロと変わったが、最終的には不遜なタイプに落ち着いたようだ。
どうやら逡巡した挙句、これまで彼女に接して来たのと同じ“魔王のキャラクター”でいくことにしたらしい。
或いは、この男は、素の自分では、自分を好きだという相手に真っ当には向き合えないのかもしれない。
「と、とにかく、わざわざここまでお礼を言いに来るとはご苦労だった。直ぐにお前を街まで送ってやろう」
そう言うと、魔王は手を彼女に向って翳した。
“へ?”
と、それを聞いて彼女は危機感を覚えた。
“まずいですわぁぁ!”
決して嫌いだからではない。魔王は他人と接しているという緊張感に耐えられないのだ。それで、早くに彼女を遠ざけてしまいたいと思っている。
それは彼女にも分かった。だがしかし、どうすれば、それを防げるのかまでは分からなかった。
「すいません! まだ、お礼をしていないので、帰る訳には……」
そう言ったが、魔王は「安心しろ。手間賃くらいはやろう」などと返して来る。
“そうではなく~!”
と、彼女は心の中で地団駄を踏んだ。
そもそも、“お礼をしたい”と言っているのに、手間賃も何もない。
“このままでは、なんの成果もないまま、また街まで送られてしまいますわ! ここまで来るのは、大変ですのに~!”
そう彼女は涙目になっていた。ところが、そこでユアがこんな助け船を出してくれたのだった。
「魔王様。彼女は危険を顧みず、あなたにお礼がしたいばかりにここまでやって来たのです。直ぐに帰してしまっては可哀想です。しばらくここで休ませてあげてはどうでしょうか?」
すると魔王はあっさりと「なるほど、それもそうだな」などとそれを認めてしまったのだった。翳していた腕を下げる。
“ん?”
と、それを受けてノーローンは何かおかしいと思う。
小声でユアに尋ねた。
「あの……、やけにあっさりとあなたの言葉に従いましたわね」
ユアは小声で返す。
「魔王様は、私の言うことは大体聞いてくれます」
そのやり取りを魔王はやや不思議そうな顔で見守っていた。声までは聞こえていないはずだが、何か話しているのは気付いているようだ。
“これは……”と、ノーローンは頬をひきつらせる。思った以上に、二人には信頼関係があるようだ。ノーローンは魔王に向ってこう言ってみた。
「そうですわ! 魔王さん。何もできないわたくしですが、料理くらいならばできます。今晩は、どうかわたくしに手料理を振舞わせてはいただけないでしょうか?」
この少女に勝つには強引に攻めるしかない。そう思ったのだ。
それを聞くと魔王は即座に答えた。
「それには及ばん! 寛いでいるが良いぞ。ここには柔らかいソファもデザートもドリンクもある」
通じない。
“お礼がしたいって言っている女の子(?)を、寛がせちゃ駄目でしょーが!”
心の中でそう彼女はツッコミを入れた。
彼女は魔王の反応に困っていたのだが、今度もユアが助けてくれた。
「魔王様。今晩、私は料理作りを楽しみたいのですが」
魔王は即座に返した。
「そうか。では、作るが良い」
「彼女も料理がしたいと言っているので、是非、一緒に」
魔王はそれを受けて、ノーローンに視線を向けた。彼女はチャンスを逃してはいけないとコクコクと頷く。
「分かった。では、一緒に作るがいい」
その反応に、またノーローンはおかしいと思う。
また小声でユアに尋ねた。
「どうして、魔王さんは、あっさりと料理作りをお認めになったのですか?」
小声でユアは返す。
「魔王様は、“料理を作ってあげる”というような言い方をした場合は必ずお断りになるのです」
「何故です?」
「簡単です。家事をさせたりすれば、“嫌われてしまう”と思っているからです。
ですから、こちらが家事などをしたいと思った時は、“料理が好きなので、料理がしたい”といった言い方をする必要があります」
それを聞いて、ノーローンは思い切り顔を引きつらせた。
そして、
“この魔王さん…… もしかして……、いえ、もしかしなくても、かなり面倒くさいのではないでしょうか!”
そう心の中で呟いたのだった。