4.魔王、逃げる
一通り、グラフィルナ火山の洞窟に生息している危険な生物の説明を終えると、魔王は満足気な表情で言う。
「分かったか? この火山の洞窟にはこんなにも危険な生物がひしめいているのだ! しかも火山は活動中で、いつマグマが噴出して来るか分からないような状態だ。
そんな場所に、お前は再び足を踏み入れたのだぞ?! 一度目は無理矢理に連れて来られたようなものだから致し方ないにしても今回は自らやって来た。それがどれだけ愚かな行為か分かるか?」
相変わらず、ノーローンは魔王の意図を読み取れないでいたのだが、それでも何かを返さなねばならないと考え、こう返した。
「はい。この洞窟が危険な場所であることは承知しています。ですから、ボディーガードを雇ったのです」
それを聞くと魔王は「ほお」と、腕を組む。
「しかし、そうまでして、何故、ここまでやって来た? そのリスクに見合うだけのメリットが、こんな場所にあるとは思えんのだがな」
その言葉に彼女はきつく口を結んだ。誤解を解くのなら、今、このタイミングしかないと決意を固めたのだ。
「メリットはあります! それは、魔王さん。あなたです!」
「んん? つまり、賞金が欲しいのか。お前はまだこの俺を倒せる気でいるのか?」
「違います!」と、それにノーローンは力強く応える。
「最前から何度も申し上げておりますが、わたくしはあなたにお礼がしたい一心で、ここまでやって来……」
そこまで言いかけて、ノーローンは思い直す。
“こんな言い方では駄目だ。もっと、直接的な表現でなければ。今まで、全然、伝わって来なかったのだから”
「……いいえ、お礼がしたいだけではありません。実はわたくしはあなたをお慕いしているのです。だから、危険を顧みずにここまでやって来たのです。
あなたにお会いしたかったから!」
そう彼女が言い終えた瞬間、これまでほとんどずっと不遜な表情ばかり浮かべていた魔王の表情が、彼女の見間違えでなければ、――いや、見間違えるはずもないほどはっきりと変化したのだが、歪んだのが分かった。
魔王は大いに動揺しているようなのだった。
「はっはっは! 何を馬鹿な。ど…… どうして、お前のような女が、こ、このボクを、お慕いすると言うのだ?」
ノーローンは返す。
「どうしても何も、あそこまで親切に助けていただいたなら、好意を抱いて当然です!」
――数週間前、
彼女、ノーローン・マイライフは魔王討伐の為にこの洞窟を冒険していた。ただし、それは彼女が自ら選んだ道ではなかった。
魔王の目の前にまで辿り着くと、頑強な肉体を持った戦士が彼女に向けて言う。
「分かっているな! お前自身の回復は後回しだ! 他のパーティメンバーを優先させて回復魔法を使うのだぞ!」
「ですが、わたくしが死んでしまったら、そもそもあなた達を回復させる事もできませんよ!?」
「つべこべ抜かすな! お前が雇われた身だって事を忘れるな! それに、どうせあの魔王を倒せばそれでこのミッションは終わりだ。帰りくらいなら、なんとかなる。お前がいなくても困らん」
「そんな! なんと無慈悲な!」
そう。
彼女はヒーラーとして、その冒険者パーティに参加していたのだが、ただ単に金で雇われたというだけでしかなかったのだ。仲間でも何でもない。
初めて見る魔王の姿は、怪しげな洞窟内の雰囲気の所為もあったのだろうが、彼女にはとても恐ろしく思えた。
「ああ! なんでこのわたくしが、こんなにも恐ろしい魔王と戦わねばならないのでしょうか?! わたくしはそもそも争いごとなど好まないというのに!」
それで思わず彼女はそう叫んだ。
魔王を倒す事に成功したとしても、出来高払いではなく、固定契約だったので、一切彼女の収入は増えないのだ。
パーティメンバーの一人が、それを聞いて言う。
「恨むんなら、バカでかい借金をしたお前の父親を恨むんだな! お前は借金のカタに黙って働くしかないんだよ!」
その時だった。
魔王が突然こう訊いて来たのだ。
「――その話、本当なのか?」
彼女は即座にこう答えた。
「本当です! わたくしは、こんな危ない場所になど来たくはありませんでした! どうかお見逃しください!」
冒険者パーティの男はその発言に怒った。
「おい! ヒーラー! 敵の魔王に許しを請いてるんじゃねぇ! 雇われた立場だってのが分かってねぇのか!」
そのままその男は、彼女を殴ろうとしたのだが、その刹那だった。風が巻き起こり、一瞬で冒険者パーティ全員を何処かへと消し去ってしまったのだった。
見ると、魔王が不敵に笑っている。
間違いない。魔王が彼らを消してしまったのだ。噂通り、目の前にいるこの魔王は凄まじい力を持っている。先の冒険者パーティは信じなかったが、自分達が敵うような相手ではなかったのだ。
魔王は言った。
「さぁ、次はお前の番だ」
「ヒッ」と、彼女は軽く悲鳴を上げた。恐怖から顔面蒼白になり震えている。
“――どうして、わたくしがこんな目に遭わなくてはならないのです?”
……実は、彼女は高貴な生まれで、家も元は金持ちだった。しかも彼女は将来は医師の道も嘱望されるほどに、回復魔法の才能に恵まれてもいて、本気で医師を目指していた訳ではなかったが、人々から感謝をされるそのスキルを彼女自身も好み、その技術を伸ばしていた。
当に彼女は、神の祝福を受けたかのような人生だったのだ。
その彼女の人生が狂ったのは、父親が儲け話に騙された事が切っ掛けだった。それで家も財産も失った上に、彼女は父親の借金を返す為に働かなくてはいけなくなったのだ。
回復魔法の才能に恵まれていた事が幸いしたかどうかは分からない。そのお陰で、彼女は肉体を売るような仕事には就かないで済んだが、代わりに危険なダンジョン攻略などのパーティのメンバーとして雇われるようになってしまったからだ。
つまり、彼女はヒーラーがいないか、または、不足しているパーティにヒーラーとして参加して、危険なミッションに挑まざるを得ない立場になってしまったのだ。
何故か、ヒーラー不足に陥っているパーティは粗暴な性質である場合が多く、彼女は何度も辛い目に遭った。
そして、その極めつけがこの魔王討伐である。普通に考えるのなら、難易度も危険度も最高レベルだろう。
「覚悟は良いか?」
魔王は凶悪な表情で手を彼女に向って翳した。
目の前が真っ白になっていく。
ノーローン・マイライフは、人生の終わりを覚悟した。
“ああ、短く不幸な人生でした……”
目を瞑る。
ところが、それから辺りの空気が柔らかくなるのを彼女は感じたのだった。しかも、人の話声や歩く足音までする。
“何でしょう?”
幻聴には思えなかった。
恐る恐る目を開けてみる。
すると、そこは何故か都市セーダンのど真ん中にある商店街だったのだった。治安の良い場所で、危険もない。
“何ですか? これ?”
状況を整理してみる。どう考えても、あの魔王が自分をこの街にまで飛ばしたのだ。理由はまるで分からないが。
“助かりましたの?”
しばらく経ってその現実を受け入れると、ようやく彼女は深い安堵を覚えた。
ただし、問題点もあるにはあった。彼女はそれほどお金を持っておらず、この街の物価は高いのだ。宿に泊まることもできない。彼女はどうしようかと思い悩んだ。
が、そこで彼女はポケットに重く硬い感触がある事に気が付く。しかも、たくさん。
“何かしら?”
そう思って取り出してみて驚く。なんとそれは金貨だったからだ。かなりの額で、それだけあれば当面の生活に困らないばかりか、残った借金を全て返せてまだ充分な額のお釣りがくる。
“――魔王が、これをくれたって事なのでしょうか?”
何故、そこまでしてくれるのかまるで分からないが、そう考えるしかない。
それから彼女は風の噂で聞いたのだが、自分を魔王討伐に雇っていた冒険者パーティはかなり遠くの街にまで飛ばされていたらしい。それだけ離れていれば、再び会う頃には契約期間が過ぎている。もう、魔王討伐に付き合わせられる事もない。
「わたくし、父が借金をつくってから……、いえ、それまでの人生にだって一度たりとも、これほどまでに優しく親切にしていただいた事はありません!
あなたをお慕いするようになるのは、当然の事です!」
まるで祈るような動作で、ノーローンは魔王に向ってそう訴えた。その真摯で真剣な表情を受け、魔王は固まっていた。
徐々に彼女が本気なのだと実感していっているようだった。そして、それが臨界点に達するなり、魔王の表情が急激に変化をし、真っ赤になると、何故か魔王は全速力で部屋の外に向って走っていってしまった。
「うわぁぁぁぁ!」と叫びながら。
「へ? ……逃げ、た?」
ノーローンは目が点になり、その横では人形のような少女が軽く溜息を洩らしていた。