3.魔王の罰
魔王を怒らせてしまったと、ノーローンは慄いていた。
どうすれば誤解が解けるのだろう?
彼女は今、まるでバスルームのような場所にいた。バスルームにしては少々広かったのだが、彼女にはそこにどうやって入ったのかまるで記憶がなかった。しかも、彼女は衣服を一切纏っていない。
まさか……
そう思う。魔王が自分を裸にしたのだろうか?
彼女は自分の肉体は、それなりに男から好かれると自覚していた。胸は大きく、太ってもいない。ややふっくらとしてはいるが、身体のバランスは良い方だと思っていた。魔王はそんな自分の身体を楽しんだのかもしれない。
ところがそこで声が響く。
「安心してください。あなたを裸にしたのは私です」
誰の声なのかは分からなかった。その声の質は高かったが、どこか冷淡で感情が感じられない。顔を向けると、その大きめのバスルームの隅にやや小柄な少女がいた。可愛らしい顔立ちをしているが、声の印象と同じ様に冷たい目をしている。人形のようだ。黒い髪は肩までいかないくらいの長さで綺麗に切り揃えてあって、まるでメイドのような黒い衣服を身に纏っている。或いは本当にメイドなのかもしれない。
「あなたには、今からそこに入ってもらいます」
その冷たい人形のような少女は、指で指し示しながらそう彼女に命じた。見ると、本当にここはバスルームだったのか、バスタブが置いてある。ただ、お湯は入っていない。
ここは、逆らわない方が無難だ。
そう判断すると、彼女は大人しくバスタブの中に入った。温かいお湯を期待させるからか、それともバスタブ自体が冷えているからか、その中はとても心細く感じた。
「そのまま、お待ちください」
人形のような少女がそう言った。彼女はその言葉にも大人しく従うことにした。
しばらく待つと、天井から何かの液体が垂れて来た。水ではない。緩い粘性がある。
「ヒッ!」
彼女はそう小さく悲鳴を上げたが、人形のような少女が「動かないで」と命じるので、じっと我慢した。
緩い粘性の液体は、熱を帯びていた。
まさか……
と彼女は思う。
“魔王さんは、これでわたくしに罰を与えるおつもりなのでしょうか?”
助けられた恩を仇で返しに来たと魔王は勘違いをしている。それで怒った彼は、自分にそれ相応の罰を与えるつもりでいるのだ。
“そんな! すべては誤解なのに!”
ノーローンは声を上げた。
「どうかお許しください! わたくしは、本当にただただあなたにお礼をしに来ただけなのです!」
しかし、その声に魔王は何も応えなかった。彼女の声の届かない場所にいるのかもしれない。
そう思っている間にも、バスタブに熱を帯びた粘性の液体はどんどん溜まっていった。もう身体の半分は浸されている。
“ああ! わたくしは、これからどんな酷い目に遭わされてしまうのでしょうか?”
彼女はその中で深い絶望を味わっていた。
……それから十数分後。
「これ、とても気持ち良いですわぁ」
バスタブの中で熱を帯びた粘性の液体に浸っている彼女はとろけていた。思わずそんな声を上げてしまう。
緩い粘性があるお陰か、その液体は適度に重く、その重さが余計な力みを奪ってくれた。加えて、その液体の熱が彼女を温めてくれている。やや高めの温度ではあったが、温泉好きの彼女にはそれくらいの方がちょうど良かった。
リラックスする為には、重感と温感が重要だと言うが、その粘性の液体は彼女をその状態にまで自然と導いてくれているらしい。険しい山道や洞窟を歩いて来た彼女はヘトヘトに疲れていたのだが、その疲れがみるみる癒えていくように思えた。
心地良く汗も出ている。
恐らくは、温泉やサウナと似たような効果もあるのだろう。
「もう充分にこの湯(?)を味わいました。そろそろ上がりたいのですが」
先の人形のような少女が、そんな彼女を見守っている事に気が付くと、彼女はそう告げてみた。
すると、
「そうですか」
そう少女は応える。出ても構わないのだと判断して、彼女がバスタブから上がると、少女は彼女についてる粘液をシャワーで洗い流してくれた。その後で、タオルも持って来てくれる。
これは、どう考えても罰ではない。
“気持ち良かったけど、喉が渇いたな”
と、受け取ったタオルで身体についたお湯をふき取りながら彼女は思う。そこで少しだけ不安がよぎった。まさか、脱水状態にして自分を苦しめようとしているのではないだろうか?
持って回った罰だが、考えられなくもないような気もしないではない。
ところが、そのタイミングで今度は冷たいドリンクが出て来たのだった。甘酸っぱく、やや塩分も感じる。美味しい。
「魔王様の特別製のドリンクです。汗と共に出てしまった身体に必要な栄養素が補給できるようになっています」
そう少女が説明した。
彼女は頷いた。その言葉通り、喉の渇きが癒えるだけではなく、元気になったような気がしたのだ。
なんだか分からないが、自分は“おもてなし”を受けているようにしか思えない。理由は不明だが、どうやらいつの間にかに魔王への誤解は解けていたらしい。
そう思って、彼女は安堵した。
バスルームの外に出ると、清潔な脱衣所らしき場所があり、そこには彼女の衣服が丁寧にたたまれてあった。どうやったのかは分からないが、この短時間で洗濯されていて、しかも乾いている。袖を通すと柔らかく、肌触りがとても良かった。
彼女は軽く感動を覚えた。
ここまでの厚遇を受けるのは、彼女は随分と久しぶりだったのだ。
彼女が衣服を身に付けると、先の少女が「こちらです」と言って脱衣所の外を示した。彼女は軽く頷くと言う通りに外に出た。
外はまるで何処かの新築の民家の廊下のようだった。火山の地下にある洞窟内とは思えない。幻術によるものではないかと疑ったが、壁に触れてみても本物にしか思えなかった。
少女は「魔王様が待っています」と言うと彼女を先導し始めた。
“ここまでしてもらって……、お礼をするつもりで来たのに…… わたくしは、魔王さんに、一体、どのようなお返しをすれば良いのでしょう?”
そんな事を心の中で呟きつつ、彼女は少女に付いて行った。
やがて開けた場所に出た。真っ白な部屋だ。殺風景ではあるが、何故か温かさを感じた。そして、そこには腕を組んだ魔王が待ち構えていたのだった。
「魔王様。彼女に処置を施しました」
少女がそのように言うと、
「うん。ありがとう」
“魔王”というイメージからはかけ離れた口調で魔王はそう少女にお礼を言った。少女はほんの微かに笑みをつくる。注意深く見つめなければ、気付かないくらいの微かな微笑み。
それを見て、彼女は不思議に思った。
――この二人は、一体、どんな関係なのだろう?
軽い嫉妬と不安。
それから魔王が自分に視線を向けたので、彼女は深々と頭を下げた。
「この度は、突然訪ねた無礼を責めることもせず、とても丁寧なおもてなしをしていただきまして、どう感謝の言葉を述べれば良いのかも分かりません……」
ところが、それを聞くと魔王は首を傾げ「おもてなし? なんのことだ?」とそう返すのだった。
そしてそれから、
「あの程度で済むと思うなよ! 我は言ったはずだ!
“分からせてやらねばなるまい”
と!」
そう告げるのだった。
魔王の言葉の意味が分からず、ノーローンは目を大きく見開く。
「へ?」
“まさか、これからわたくしを罰するおつもりでいるの?”
そう彼女は恐怖を覚えたが、今度も違った。
その白い部屋の壁に、突然映像が映し出される。何故か、トカゲが映っている。魔王は語る。
「このトカゲは、コヅメ・ファイヤー・リザードという。小さいが、顎の力がとても強い上に、その名の通りに火の魔法を使う。油断をすると大怪我をする。とても危険な生き物だ。
言うまでもないが、この火山の洞窟内に多数生息をしている」
説明を終えると、次の映像が出る。今度はウサギのように思える。ただし、目が怪しく青く光っている。
「ブルーアイ・ラビット。
このウサギはとても可愛らしい外見をしているが、油断はできない。異常に警戒心が高く、直接的な攻撃はして来ないが、自分達を狙う敵だと判断すれば、幻術を使って危険な場所に導いて人を殺す事もある。
言うまでもないが、この生き物もこの洞窟内に多数生息をしている」
その説明に彼女は目をキョトンとさせる。
一体、どうして魔王は突然、生物の説明をし始めたのだろう?
魔王の説明はまだ続いた。
「イビル・マンドラゴラ。
植物だが、動物を積極的に襲って自らの養分とする性質があり、高度な魔法も使う。当然、人間が犠牲になるケースもある。
普通は陽の当たる森の奥深くに生えているが、この洞窟内は魔石が豊富にある為、一部では繁殖している」
“何ですの? これ?”
ノーローンはただただ首を傾げるばかりだった。