実話
ここでは雪の代わりに青色の三角柱が降る。
街灯に照らされて透き通る青色の光の中、私は自転車を勢いよく漕ぐ。急いでいた。一刻も早く家に帰らなくてはならなかった。
結局、家に着いたのは午後九時くらいのことだった。私は自転車をガレージに置くと、玄関の扉に飛びつくようにして家の中に入る。
私はゼエゼエと息を吐きながら、足元を見る。両親の靴は無い。そう言えば、ガレージにも車は無かった。
私は靴を脱ごうとするも、上手くいかない。手の親指が思ったように動かないのだ。そのまま靴と格闘すること二分が過ぎて、私は諦めて靴を履いたまま家に上がった。
リビングには明かりがついていたが、誰もいなかった。私は上着を脱ぎ捨てると、テレビの電源をつけた。画面が点灯するまでの間に私は冷蔵庫へと向かい、中に入っていた牛乳をコップに注いで飲む。続いてそのコップを流しに放り込んで、リビングに戻った。
テレビは無音で、
「本日の放送は終了しました。なお、明日の午前七時は明後日の午前九時となります。ご了承ください」
という文言を映し出している。そういうこともあるかもしれない、と私は思った。
気が付けば朝になっていた。
窓の外には青空が広がっている。三角柱はあの青空から滴るように降ってきているのかもしれない。しかし今は降っていない。視界は明瞭。
私はかねてからそうしているように、カーテンを引っ張ってカーテンレールをミシミシと鳴らした。その音が鳴って初めてこの家には電気が通るのである。
テレビでは朝の情報番組が、
「今話題の大豆式ギアボックス。差し迫ってプラグマティック」
と報じている。
私はそのまま玄関へと向かって靴を履こうとするが、靴が無い。そういえば靴を履いたまま家に上がっていたことを思い出したが、今は裸足だ。靴はどこにいったのだろうと疑問に思いつつも、私は裸足のまま外に出る。ここの周りの道路はゴムで舗装されているので、裸足でも大丈夫なのだ。
外には5mほどはあるであろう大仏が私を待ち受けていて、
「むらさき」
と言った。
確かそれは何かの合言葉であったのだけれども、私はそれに対応する言葉を思い出せなかった。大仏は五秒ほど待って、霧のように消えた。
私は歩いて駅へと向かう。朝のうちは自転車に乗ってはいけないのだ。ゴムの道は踏みしめるとやはり若干の弾力を感じる。銀色のワゴン車が後ろから走ってきて、私の横で小さく跳ねつつ走り去っていく。
信号待ちのあいだ、私はスマホで漫画を読んだ。
漫画の中で人類は滅んでいて、私は地球にただ一人残されたロボットだった。
そういえば、今日は誰とも人に会っていない。大仏は人ではないだろうし。
「歌詞が~分からない~。歌詞が分からないよ~」
女の子が歌っている。多分、歌詞が分からないのだろう。メロディはワンピースのオープニングで聞いたことがあった。
「お前はソーラーカーか?」
謎の比喩。
「墓穴の深さは愛の深さ」
謎の名言。
飛行機の中は賑やかだ。この飛行機はメルカトル島という南国へと向かう。私の横に座っている中学の時の同級生が、
「そういえば最近どうしてる?」
と私に問うた。私は、
「そこそこ元気だし、ヤハントルもまだ出来る」
と答えた。ヤハントルとは、雪山を仰向けで滑るのを指の力で止めるまでの制動距離を競うというスポーツだ。
メルカトル島は全てが砂浜と桟橋で構成されたリゾート地。重機を使って砂を運び入れる映像を以前ニュースかなにかで見た覚えがあった。
砂でできた滑走路に飛行機が着陸し、私は地面に降り立つ。アザラシが鳴いていた。
「六組の人はこっちに集合でーす」
先生が言っている。そうだ、私はここに修学旅行で来たのだった。
土産物店。色々な品物が置いてある。
周りの人々はみんな「面織物」というものをこぞって買っていく。聞くところによると、面なので体積がなくてかさばらないらしい。
私は「ふんまにそってヒルビョージ」というタイトルのDVDのケースを手に取ってみている。裏にはいくつかの映画のシーンの写真とともに「いぬむごスピリットで味を討て!」と大きく力強い書体で書かれていた。
すると、店の入口から全身が黒い男が入ってきて、私の方を指さした。私は男の指す先を見ようとして後ろを振り向くも、誰もいないし何も無い。何も無いのだ。先程まで物色していた商品棚も、「ふんまにそってヒルビョージ」も、空間も。男の方に向き直るも、やはりそこには何も無かった。
何も無い世界には何も無いので、やはり私もいなくなっている。ただ私はそこに漂うような心地で、
「いぬむごとは一体何だろう」
と考えている。
やがて気付いた。
「いぬむごとは、あれのことだ」
あれとは何であったろうか。ともかく、私は快哉を叫んだ。
朝食はトマトだった。
明日にはきっとトマトは二個になる。
という夢を見た。
実話です。