恋をしたから わかれる為に 愛しあう
旅人が、何処までも続く草原を歩く。
朝の光に照らされるのは、古びたコート、煤けた帽子、底のすり減った靴。長いながい間旅をしてきたのだろう。
彼は近くの村で、昔話を聞いた。
ここからいくらか離れた地を支配する一族の息子が、長命種の娘と道ならぬ恋に落ち、この周辺に逃げてきたのだとか。
二人はこの辺りで暮らしているらしい。
今も、二人は幸せに、本当に幸せに暮らしているのか。魔物が出るため、村のヒトビトはこの辺りにあまり来ないという。だから、知らない。
彼は足早に草原を進む。
遠くに森が見えてきた頃、すでに太陽は頂点にさしかかっていた。
森の手前に緩やかな丘があり、そこに誰かが座っているのが見えた。
よく見れば、そこから少し離れた場所に木々に隠れて家が建っている。
「こんにちは、お尋ねしたいのですが」
彼が丘に辿り着いた時、そこで少女が昼寝をしていた。
小さな木のすぐ側で、幸せそうに寝息を立てていた。
起こすのは忍びないが、だが目的の為にと彼は少女に声をかけた。
そっと瞳が開かれる。
淡い空の蒼の双眸が、まだ眠たげに彼を見た。
「あらまあ、こんにちは。どうかなさったの? もしかして、道に迷ったのかしら?」
歌うように、少女は問う。
金糸の髪が風に揺れ、長くとがった耳が見える。
彼女は、長命種だった。
「いえ。あなたが、ヒトと結ばれたという長命の緑の友かを知りたくて」
「あら、えぇそうよ。短命の地を歩くかた。私が噂話の本人よ。そうね……よければ午後のお茶としません? 素敵な昼下がりに、よい紅茶があるのよ」
彼は少し考えた後、こくりと頷いた。
「ぜひ。ありがとうございます」
「嬉しいわ。ここは辺鄙なところだから、一人でお茶会をするのが寂しくて。今日は来客がある予定だったのだけれど、待てども待てども来る様子もなくて」
少女はふわりと優しく微笑むと、彼の手を引いて森の方へ、家がある方へと向かった。
家は木々に隠れるように建てられていて、その周囲は草原からは見えないが畑や外で食べれるようにか大きなテーブルやイスのセットが置かれている。
「どうぞ座って。少し、待っていてね」
家の中に入って、ほんの数分で彼女は戻ってきた。ティーセットと手作りらしいクッキーやマフィンなど、お菓子と一緒に。
「それで、なぜ私を探していたのかしら? 何かを聞きたいのかしら?」
彼の後ろをちらりと視て、彼女は聞いた。
「……教えて欲しいのです。突然見知らぬ旅人がぶしつけな質問と分かっていますが、それでも、私は知りたいのです。あなたはなぜ……すぐに別れるときが来ると知りながら、ヒトを愛したのですか? そして、今も愛し続けているのですか?」
「そうね……とても、とても難しくて、簡単な理由から、かしら」
彼女は、少しだけ寂しそうに丘を見た。
丘には、あの若木がある。
「あのヒトを愛したのは……恋をしたから、別れるために、愛したの」
彼は、その意味がかみ砕けずにぼうっと少女を見る。
少女は、その年には似合わない笑みを浮かべていた。
それもそうだ。見た目は少女に見えるが、彼女は長命の一族なのだ。聞いた昔話もずいぶんと前のこと。彼女は、彼よりも長い時を生きてきたのだ。そして、たくさんの別れを経験してきたのだ。
冷めてしまう前に、と少女が紅茶を勧めてくる。
分からぬまま、一口飲む。
紅茶は、少し苦かった。
「一目見て、彼に恋したわ。もちろん、ヒトと知ってたから、結ばれようなどとは思わなかった。長命の一族は、短命の一族と共に年を重ねられない。そんな当たり前のこと、子どもでも知っていたから」
しかし、彼女はヒトと結ばれた。
「それでも気になって、そのヒトと関わって、名を知って、強さを知って、優しさを知って、苦しさを知って、やっぱり恋を忘れられず、それまで以上に恋をしてしまった」
語る少女のその顔は、今でも恋をした乙女のもので、彼は少しだけ悲しげに見ていた。
「あのヒトも、私のことを好いてくれていたと知ったのは、ずいぶん後のことだったわ。彼からの告白だったの」
『いつも君のことを見ていた。私はほんの少ししかあなたと共にいられないが、それでも一生をかけて愛すから、共に生きて欲しい』
「もちろん、私もあのヒトも、家族に大反対された。あのヒトなんて、私とつきあっていると伝えたらその次の日に縁談を組まれたと慌てていたわ」
ふふっ、と笑うが、それでもその思いは複雑だろう。
「どちらも不幸になるのだからと、誰も私達を祝福してはくれなかった」
そうだろう。
置いていく側も、置いて行かれる側も、死と言う別離は死より痛いほど辛いものだ。
長命の一族はそれを文字通り痛いほど知っているだろう。短命の者達も、若さを失わない彼等と自らの違いを常に見せられる。
だから、長命の一族は短命の者たちと交わらないように生きている。
時折若い者が短命の者達がいる場所に好奇心で近づき、そして悲劇をへて故郷へと帰っていく。
誰も不幸になりたい者はいない。それでも、どうして惹かれあってしまうのだろうか。
「それでも、それでも……私達は恋をしてしまった。恋をしたその痛みは、苦しみは、諦めてしまったとき、いつまでも永遠に残り続ける。後悔を、したくなかったの。あのヒトと出逢ってしまったから。後悔をする別離より、後悔がないほどに愛しあって、その記憶と共にお別れをしよう、そう、あのヒトと誓ったの」
『あのヒト』のことを語る彼女の声色は、とても優しい。
「後悔を、していますか?」
「いいえ……私はあのヒトと別れるために愛しあって、なんの後悔もない。あのヒトが今ここに存在しない、それはとても寂しいことだけれど、いつまでも私の記憶の中で笑っている。私はあのヒトを愛した記憶を、いつまでも忘れない。忘れられないほど愛して愛された幸せはいつまでも色あせない。それに……」
彼女が丘を見る。と、目を見開いた。
何かあったのか彼もつられて見ると、丘の先、彼が先ほど歩いてきた道を馬車が走って来るところだった。
馬車から数人の子どもが手を振っているのが見える。その親もまた、こちらに手を振っていた。
「今はあの子たちの成長を、見守る楽しみもあるからね。おちおち泣いていられないわ」
手を振り返す彼女の笑みは、今まで見てきた笑顔の中で、一番輝いていた。
久しぶりに短編を書きました。