(二)ノ2
ムーサイはキュレネー山脈の麓、ニンフの森に隣接する丘陵地帯の農村である。
村で一番高い丘の上には、素朴ながらも石造りの教会が古くからあり、司祭の赴任が途切れることはなかった。
現在の派遣元は、ムーサイから徒歩で一日ほどの距離にある交易都市ダイタロスの大修道院からで、その大修道院長がこの村の領主であった。つまりムーサイは小教区の村である。
礼拝堂の鐘塔は緑青の八角形屋根を頂きに、村のシンボルとして今日も空へとそびえている。
そして、その脇に控えた館。教会よりかはやや時代は下るが、これもまた何世代も前からの古い建物だった。
アーチ状の格子窓を並べた白い石の壁に、切り妻に葺かれた臙脂色のスレート屋根。
かつてマナーハウスとして建てられたそれは、今は『アスクレラスの診療所』と呼ばれていた。
少し遡った話になる。
村の教会に、アスクレラスという女性が二人の子供を連れて流れ着いたのが、今から十五年程前。薬師であった彼女は、パーン司祭の強い要望でこのムーサイに根を下ろし、そして診療所を開いた。
礼拝堂の傍らにある古いマナーハウスを改修し、診療所に用いることが出来たのは、偏にパーン司祭の尽力によるものである。
マナーハウスとは、領主が視察の為に村に滞在する際の邸宅だが、ただ、その領主がこの村に訪れるのは稀でしかなかった。歴代の領主は何れもそうであった。
気まぐれに立ち寄りはしても、村は畑と家畜ばかりの田舎で、馬車でなら半日でダイタロスに着くのだ。つまりは留まり続ける必要がなかったのである。
だからマナーハウスは領主だけでなく、村人からも本来の役割を忘れられ、長い年月をただの景色として、そこにあるだけの存在へと成り下がっていた。
それでも唯一、これまで赴任してきた司祭だけが違った。いつ来るとも分からぬ領主の為に、健気にも維持管理し続けていた。それが赴任司祭の役目の一つでもあったからだ。
おかげでこの館は、老朽化こそしていたものの、建物としての機能は失われずに済んだ。
石積みの壁は堅牢さを保ち、窯のモルタルは何度も塗り直された。井戸の水も澄んだままに、手押しポンプを定期的に交換した。
それに領主の為の館であっただけに広さも申し分なく、アスクレラスは子供二人との生活スペースを確保しながらも、診療所としてその多くを割り充てることが出来た。
そして診療所は村に馴染むものとなっていった。
献身的なアスクレラスのおかげで、村人の健康状態は飛躍的に改善され、それを最も喜んだのはパーン司祭だったのかもしれない。
それまでの村人は怪我を負い、病に冒されれば、教会を頼るしかなかった。パーン司祭は患部に塗油し、神に祈りを捧げた。
随分とスピリチュアルなそれは、時に効果を見せたりもしたが、神は奇跡をそうは起こしてくれない。なんら改善がないままに教会を後にする患者と、その身内の落胆した背中を何度、見送ったことか。
だからパーン司祭は、施しを求めてきた女性の身の上を聞いた中で、彼女が薬師だと知ると、村に留まるよう懇願したのだった。
彼女は村人から愛された。診療所は『アスクレラスの診療所』と皆が親しみを込めてそう呼んだ。
アスクレラスはオルフェの母親であった。その彼女は、今はもういない。