(五)ノ21
言い淀むテュケと、話をすべきと諭すカロン。エウリーケはテーブルに頬杖をついて、二人のやり取りを見守った。
するとエウリーケの隣で、バンバンと乾いた音が鳴った。見ると、クロトがテーブルを手で叩いたようだ。
「ど、どうしたの? クロト」
唐突な娘の行動に戸惑い、エウリーケは意図を訊ねた。
どうやらクロトは眠気が飛んだらしい。カロンを指さし一つ頷くと、今度はテュケへと顔を向けた。そして胸を張って両腕を組み、目を閉じて深く頷いた。
大人三人でその姿を見て、そして同時に小さく笑った。クロトが何と言ったのか、皆が理解したのだ。
「ほら見ろ」とカロンが言った。
「クロトはオレについたぞ」
「聞いてやるから、話してごらん、だって」とエウリーケが促した。
「クロトちゃんに、そう言われるとね」
テュケは苦笑して、そしてようやく観念した。
「あのね、クロトちゃん」とテュケは語り始めた。
「今日、クロトちゃんたちと別れた後、カロンと樽ワインを納めに行ったのだけど、そもそも今回はいつもの分とは別で、追加で頼まれたものだったのね」
「そうね」とエウリーケは言った。
「だからテュケちゃんが急遽、こうしてその役目を担ったわけだし」
「うん、そうなの。で、なんで追加が必要になったかというと、繁華街に飲み屋さん新しく出来て、その女店主さんが相当なやり手な人みたい。まだ始めて一年経たないのに、もう凄い人気のお店なんだって」
「まあ、やり手なのはそうかもだが、繁盛の理由は明白だ。とにかくとんでなく美人だったぜ。文句なしのな。で、その美人の店主目当てに男どもが毎夜群がってくるってわけだ。当然、酒も飛ぶように売れる。それで――」
「ちょ、ちょっと待って」エウリーケは思わずカロンの話を遮った。
「え? テュケちゃん、じゃあその飲み屋さんに行ったの? 繁華街にある」
「うん、葡萄酒卸売商に頼まれて。馬車があるなら瓶詰を済ませたワインをついでに持って行ってくれって。駄賃もくれるっていうから」
「ダメじゃない。繁華街は治安が良くないと聞くわ。危ない目にあったらどうするのよ」
「まだ、明るかったし。カロンもいたから良いかなって」
「良いかなって、もう」
エウリーケは眉根に皺を寄せてテュケを睨む。大切な義妹の身に、もし何かあったらと、そう思うだけでも心が波立つ。
「まあ、ともかくよ」とカロンが話を続けた。
「テュケと店に行ったら、そこに美人の女店主がいたってわけだ。ダイタロスにある酒が、その店一つで飲み尽くされたってのは、まあ誇張だが。だがそう言いたくもなる。それくらいの美貌だぜ。ホント色気が半端なくてな。あれは、マジでたまらん」
カロンが鼻の下を伸ばし、クロトを含めた女三人が、冷めたじと目を向けた。
「な、なんだよ」
「べつにー」
エウリーケが無感情に言うと、その隣でクロトが軽蔑した顔で、ふんと鼻を鳴らした。
「でも、まあ」とテュケは、その場に居合わせたからか、カロンを庇うように言った。
「カロンがそう言うのも、ちょっと分かる。久しぶりに会ったけど、ホントにキレイだった」
「久しぶり? じゃあ、やっぱりテュケちゃんの知っている人だったの?」
そう、とテュケは頷いた。
「実はね――」
「お待たせです」突然、横から別の声が加わった。
「蜂蜜酒をお持ちしました」
宿屋の女の子がテーブルの脇に立っていた。話に夢中で気が付かなかった。
女の子はカロンの前のテーブルに、ミードで満たされたグラスを置いた。
「きた、きた!」
カロンの興味が、たちまちその蜂蜜酒に移った。
「ちょっと、カロン」
「まあ、待て」
カロンは抗議するテュケを手で制して、グラスを持ちあげる。そして鼻を近付けて息を深く吸い込んだ。
「ああ」と声を上げた。カロンを虜にするのは、飲み屋の美人よりも、やはり蜂蜜なのだ。
「甘い……、蜂蜜の香り。最高だぜ、お前」
グラスの中の黄金色の液体に愛おしむ目を向け、頬を染めながら恍惚に表情を溶かす三十男。エウリーケ達には免疫があるが、宿屋の女の子は「うわあ」と、その気持ち悪さに思わず顔を歪めた。
そして一口。
ただ、次の瞬間、カロンはウットリとしていた目を大きく見開いた。そしてそのままで動きを止める。
「どうしたの?」エウリーケが伺う。
「あ」
「あ?」
「甘くない。全然……」
カロンは手を震わせながら、グラスをテーブルに置いた。
その様子に、テュケが「ああ、考えてみたら、まあ、そうか」と何かに気付いて言った。
「蜂蜜の糖分を発酵させてお酒にしているのだもの。そりゃあ、甘味は失われるだろうね」
「そんなあ……」
カロンはグラスから手を離し、がっくりと肩を落として項垂れた。
期待が大きかった分だけ、よほどのショックだったのだろう。
ハ、ハハッ……、と力なく笑い、そのまま顔を上げようとしない。大事な話の途中だったはずだが、もうそれどころでなくなってしまった。
三十男のあまりの落ち込み様に、宿屋の女の子は自分がおススメした手前、責任を感じたらしく、母親に頼んで蜂蜜の原液をミードに加えてもらってきてくれた。
そして、ただそれだけで、カロンはあっという間にご機嫌に戻った。
十一歳の女の子にそこまで気を遣わせるなんて、どんな大人だよ! とエウリーケは珍しく、心の中で毒を吐いた。




