(五)ノ18
食事を終えたのか、アルゴルが立ち上がった。カウンター越しに父親のエウパボと短く言葉を交わしてから、席を離れた。
どうやらもう帰るつもりのようだ。食事のみで麦酒を飲んでいないのは本当らしい。
オルフェはアルゴルの動きを、少し離れたテーブル席から目で追った。
オレスタとヒュラーテスのテーブルは店の出入口から近くで、だからアルゴルはそのそばを通る必要があった。
アルゴルは二人に近付き視線を送ったが、しかしオレスタとヒュラーテスは応えなかった。
不機嫌な顔をさらにしかめてエールを飲み、アルゴルの方を見ようともしない。
ただアルゴルも、期待はしていなかったようだ。ヤンチャそうな見た目には似つかわしくない覇気のない表情のまま、アルゴルは二人の横を通り過ぎ、そっと店の外へと出ていった。
そしてそんな若者に、村の人らは誰も声を掛けなかった。気付かなかっただけの者もいるが、まるで存在を無視しているかのようだった。
オルフェはその光景を目の当たりにして、小さな憤りを覚えた。確かにアルゴルに落ち度があったかもしれないが、だからといってこのような仕打ちは間違っている。
そもそもが、娘を森に行かせてしまったのは、目を離したオルフェとエウリーケの責任で、アルゴルばかりが責められることではないはずだ。
陰湿ではないかと思った。
一体どうしたというのか、思い遣りに満ちた陽気さこそが、オルフェがこの村を愛する美点であるというのに。
「これは」オルフェは固い声で言った。
「良くないね。どうにかしないと」
エクニオス、とオルフェは少年へと顔を向け、そのままの口調で尋ねた。
「オレスタ、それにヒュラーテスはどうした? アルゴルとは特に仲が良かったはずなのに。あの二人こそアルゴルを庇いそうなものだけど、何故あんなに感じに?」
「うん、二人も無関係ではないからね」
エクニオスは言いにくそうに応える。
「どういうこと?」
「アルゴルが居眠りしたのって、オレスタとヒュラーテスと一緒に遅くまで飲んでいたからなんだ」
「ああ」
「それでね、二人も他の人たちから、ちょっと白い目で見られるようになったというか――、あっ、先生」
エクニオスは話の途中で何かに気付いたようだが、「遅く、なんてもんじゃないよ」とカーリスの声が遮った。
「明け方まで飲んでたみたい。エウパボと姉さんが店を閉めた後も、片付けをするからと理由をつけて残って、三人で飲み続けたようよ。だったらオレスタとヒュラーテスにも責任があるじゃないかってね。たださ、ねえ、ヘファイト、二人は何度も帰ろうって言ってたみたいなんでしょ? アルゴルが物見番なの分かってたから」
「ああ、アルゴルだけを叱るのは不公平だからな。だが、聞けばどうもそうだったらしい。まあ、そうなら、あのガキ共にしてみればやってられんわな。帰ろうと言ったところで、酔って調子に乗るアルゴルが聞くわけねえし」
「あの、さ」とエクニオスが口を挟もうとするが、それがまたもカーリスと被る。
「それに、あの子のほうが年長だもん。兄貴分のようなものだからね。強く言えないよね」
「なるほど」
オルフェは状況を理解し、頷いた。
アルゴルに明け方近くまで無理やり付き合わされた挙句、当人は物見番で居眠りをして騒ぎを大きくした。その所為でオレスタとヒュラーテスも肩身狭い思いをしているのであれば、二人からすれば確かに面白くないだろう。
これ以上、険悪なことにならなければ良いが――、オルフェはオレスタとヒュラーテスの様子を気にして顔を向けた。
すると、先ほどまでいた二人の姿がテーブルにない。
「あれ?」オルフェはエクニオスを見た。
「二人がいないけど?」
「帰ったよ」
「帰った?」
「うん、アルゴルの後を追うみたいだった」
「気が付いてたんなら、言えよ」
ヘファイトが咎めると、エクニオスは「言おうとしたけど」と、むくれ顔になる。
「ちょっと!」カーリスがテーブルを叩き、エクニオスにぐっと迫る。
「それよりあの子を追うみたいだったって、それ、本当?」
「うん、二人とも凄く険しい顔になって、走るように外に出て行った」
オルフェはヘファイトを見た。ヘファイトもオルフェを正面から見つめる。真顔になっていた。
何か、嫌な予感がする。
「先生」とヘファイトが立ち上がった。
「表の様子、ちょっと見てこようぜ」
「ああ」
オルフェも迷いなく立ち上がる。せっかくのスープとライ麦パン。まだ一口もしていないが、どうやらそれどころではなさそうだ。
オルフェはヘファイトと二人で、急いで店の外へと出る。出入口ドアの前で立ち止まり、周囲を見渡した。
日は完全に沈んでいるが、店内の灯りが及ぶので、多少の様子は伺える。しかしアルゴルや、オレスタとヒュラーテスの姿はない。
「先生」エクニオス少年が遅れて店から出てきた。
「カーリスさんが持っていけって」
ロウソクを灯した行灯を手にしていた。
オルフェは頷き、行灯を持つエクニオスを先導にして、三人でアルゴルの家の方角へと進む。
すると程なくして、険のある声が届いてきた。
若い男たちの声が重なる。言い争っていた。
怒鳴り声。
直後に高い音が響いた。そしてドスンと、今度は湿っぽくこもった音が続いた。
「チッ!」
いち早く状況を理解したらしいヘファイトが舌打ちをした。エクニオスを押しのけて、そして片足を引きずりながらも駆けだした。
「てめえらっ!」
ヘファイトが大声でがなる。
「何してやがんだあ!」
闇夜に野太く響く。さすがに迫力満点だ。
オルフェとエクニオスが後に続き、行灯の光が前方の人影を捉えた。地面に蹲る影と、それを両脇から足蹴にしていたらしい二人。
オレスタとヒュラーテス。表情までは伺えなくとも、近付いてくる巨躯のヘファイトの迫力に気圧されて、動きを一瞬だけ止めた。
二人は互いを見合うと、同時に駆けだした。やんちゃな盛りの若者からすれば、ヘファイトは天敵のように恐ろしい存在。こんな場面で出くわせば、それはもう逃げの一手である。
「おいっ!」ヘファイトはさらに声を荒げる
「待ちやがれや!」
その二つの影を追いかけるが、だが身の軽い若者に、びっこひきの中年が敵うはずもなく、二人の姿はあっという間に闇に溶けていった。
「このお!」
「ヘファイト、待って」
オルフェは強い声で、なおも深追いしようとするヘファイトを諫めた。
「あの二人は後でいい。それよりアルゴルだ」
「くそったれがあ!」ヘファイトは苛立ちを爆発させて立ち止まった。
「何してやがんだ! あのバカどもはよ」
オルフェは急いで地面に蹲るアルゴルの傍に屈んだ。
「アルゴル、アルゴル! しっかり」
オルフェの問いかけにアルゴルは「う、う」と呻くだけだった。意識は朦朧とした状態だ。
エクニオスが傍で照らしてくれるが、行灯の灯では頼りなく、はっきりとは見て取れない。
目を凝らし、顔や腕にあざの様なものが出来ているのが分かった。唇を切っており、血で顎から頬にかけて汚れていた。
顔を殴られ、倒れた際に地面に頭を打ちつけたか。
何てことを――
「エクニオス」
「う、うん?」
「店に戻ってエウパボとイーオを呼んできて。それからまだ酔いの浅い男手を何人か。診療所に慎重に運ぶ必要があるから、なるべく多くに声をかけて」
「あの、先生、アルゴルは?」
「早くっ!」
オルフェは彼にしては珍しく、一方的な切り上げ口調になった。頭を打った上に、無抵抗な状態で足蹴にされたのなら、体に深刻な痛手を負ったかもしれず、苛立ちに気が急いた。
エクニオスはたじろぎながら、「う、うん」と頷いた。
「分かった。行ってくる」
行灯をヘファイトに手渡し、エクニオスは踵を返して店へと駆けて行った。
オルフェはそれを横目で確認してから、またアルゴルの容体を気にした。




