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(五)ノ12

 交易都市ダイタロス。その名が示す通り、交易で栄えてきた都市である。

 大修道院の麓に物資を運ぶ為の運河が引かれ、商人が拠点を置けば、そこに人が集まる。

 外周を囲う城壁は、都市が拡大する度に長く伸び、見上げれば首が痛くなるほど高くなっていった。

 ダイタロスは活気に溢れ、視界は群れた人と、石積みの建造物とで埋め尽くされる。

 何もない平野から、城壁を一枚挟んでいきなりそうなのだから、慣れぬ者はまるで別世界に足を踏み入れたかのような、そんな感覚に陥ることだろう。


「じゃあ、義姉さん、また後で」

 城門近くの宿屋の前、部屋を確保したテュケは馬車に乗り込んで言った。エウリーケは路上に立ち、頷きを返す。

「いってらっしゃい。気をつけてね、テュケちゃん」

「ありがとう、エウリー義姉さんのほうも。クロトちゃん、バイバイ」

 テュケは荷台から身を乗り出し、見上げてくるクロトに向けて小さく手を振った。クロトも小さな丸い手で同じように振って応えた。


「よし、行こうぜ」

 カロンが御者台で綱を握って波立たせ、二頭の馬を促す。

 馬車はエウリーケとクロトを残し、テュケとカロンを乗せてゆっくりと動き出した。

 葡萄酒ワインの納品に向かったのだ。ついでにカロンは森で仕留めたじゅうの毛皮などを売るつもりだと言う。

 例えば双頭犬オロベルスならば黒い毛皮はもちろんだが、牙や骨なども装飾品や占術の道具として需要があるらしく、意外と良い値がつくのだとか。


「クロト、私たちも行こうか」

 馬車の姿が見えなくなると、エウリーケはクロトの手を取った。医療品の買い出しが、ダイタロスでのエウリーケの役目だ。

 行く先は決まっていた。城門から真っ直ぐに伸びる大通りを抜けた先に大修道院があり、そのすぐ近く、運河沿いのメルクリウ商館である。


 エウリーケはクロトと手をつなぎながら、大通りを練り歩く。

 地面は石畳が隙間なく敷かれ、その両脇に蟻の隊列の如く建物が整然と並んでいた。

 石積みの建物は、どれも小ぢんまりとしていて、三階、四階建てと縦に長い。その一階部分を通りに面して開放し、店とするものが殆どだった。

 加えて路上にも屋台、あるいは小さな台を置いたり、ゴザを敷いただけの露店も犇めいており、呼び込みの声が、威勢よくあちらこちらで飛び交っている。


 やっぱり凄いなと、エウリーケは感心した。

 雑多で、人が繁殖期過ぎのムクドリのように群れていて、目に映る景色、耳に届く音、肌に触れる空気と鼻孔をくすぐる匂い、その何もかもがムーサイの村とは違う。

 通りは騒がしく、様々な物で溢れ返っていた。

 舶来品の使い勝手の良さそうな食器に、可愛らしい小物、奇麗な布地などは見ているだけでも楽しい。

 果物は新鮮で色とりどり。瑞々しい野菜がうず高く積まれていて、内陸でありながら運河で運び込まれる為に、まるで港町のように豊富な種類の魚介類が無造作に並ぶ。

 不機嫌そうな顔をした奇妙な姿の魚と目が合ったらしく、クロトが負けじと睨み返していると、今度は食欲を刺激する匂いが漂ってくる。これは羊肉の串焼きだ。

 何でも売っている。本当にこのダイタロスで、手に入らない物はないのではと思えるほどだ。


 そんな雑踏の中には、厳しい表情をした男の姿も散見した。

 腰から剣をぶら下げ、揃いの軽武装に身を包む彼らは、警吏けいりと呼ばれていた。教会や商人らに雇われ、街を巡回し警護する。

 こうして警吏があちらこちらで目を光らせているので、おかげでエウリーケは、幼い娘と二人だけでも出歩くことが出来た。

 ただムーサイの村ならば、警吏など必要ない。だから村にいるような安心感はなく、エウリーケはクロトとつないだ手を決して離そうとしなかった。


 クロトが、エウリーケの手をぐいっと引っ張る。ダイタロスに入ってからというもの、クロトのテンションは高かった。

 長い時間、馬車に揺られ続けていたのに、その疲れは吹き飛んだみたいだ。

 好奇心に目を輝かせ、視線は常にキョロキョロと落ち着かない。エウリーケを引き連れ、駆け出さんばかりの勢いで右に向きを変え、すぐに左へと興味を移して動き回った。

「もう、クロトってば」

 エウリーケは、日頃は聞き分け良く大人しい娘の、子供らしくはしゃぐ姿が嬉しかった。

 せっかくなのだから、楽しまなきゃ。

 オルフェもそう言ってくれていた。オルフェも一緒のほうが――、とは考えないようにしよう。

 するとそこへ、威勢の良い声がエウリーケに向けて飛んできた。


「ちょっと! そこのキレイなお嬢さん」

「私のことかしら?」

 エウリーケは、すかさず反応して顔を向ける。

 声の主は露天商の女性だった。エウリーケよりかは少し年上か。ただ『おばさん』と呼ばれるにはまだ抵抗のありそうな、そんな微妙な年ごろに見えた。

 小柄で痩せているが、一目でエネルギッシュな人物だと分かる。商売人らしく表情筋が鍛えられ、大げさなほど豊かに、目や口が動いた。

「そう! お嬢さん。ウチはあなたみたいなスタイルの良い美人さんにお似合いなものばかり。ちょっと見てってよ。お願い! さあ、さあ、是非!」

「あら、美人なんて、そんな」

 エウリーケは謙遜しつつも、細めていた目を意識的に見開いて、頬に手を添え上品な声を作る。

 オルフェもよく褒めてくれるが、背のコンプレックスが最も強かった子供時代に一緒にいた所為か、そんなはずがないと、どうしても素直に受け止められない自分がいる。

 しかし今は賑やかな空気に当てられていた。見え透いたお世辞であっても、なんだか弱い。


「クロト、ちょっと見てみようか?」

 今回は路銀が浮いた分、エウリーケの気も少し大きくなっている。ちょうどクロトにも、何か買ってあげたいと思っていた所だった。

 エウリーケはクロトを連れて、誘い込まれるままに近付いた。そしてすぐに「ほう」と、感嘆の息を漏らした。

 簡素な作りの腰高台の上に、ネックレスやイヤリング、ブローチといった装飾品が並ぶ。小さいながらも宝石もしっかりと埋め込まれ、赤や青、あるいは無色に日の光を浴びて、控えめな輝きを見せていた。


「キレイね」と呟くと、すかさず「でしょう!」と押しの強い声が返ってきた。

「安くしとくよ。お一つ、どう? どう?」

 薄利多売が基本の露天商。エウリーケのような、見るからに余所からの田舎者でも手が出せる程度なのだろう。

 宝石それ自体は小さすぎて、恐らくほとんど価値がない。

 ただそれでも、宝石の周囲を飾る銀の細工はとても緻密で見事だった。

 露店に無造作に置かれた代物でこれなのだから、ダイタロスの職人の技術水準がいかに高いかが伺いしれるというものだ。


「クロト、ほら」

 エウリーケはクロトが見やすいようにと抱き上げてやった。

 すると露店商の女性が、「おや」と表情を柔らかくした。視線はクロトの黒い髪へと注がれる。

「これはこれは可愛いお嬢ちゃんだ! その髪、すっごく素敵じゃない」

「そうなの、可愛いの」とエウリーケも、クロトに関してはまったく謙遜しない。

「私の娘よ」

 エウリーケが自慢気に言うと、露店商の女性は「え?」と意外そうに口をすぼめた。

「でも、だって……」

 戸惑った表情で、エウリーケとクロトの交互に目を向ける。何が言いたいのかは分かる。

 黒い髪、ごく浅い褐色の頬。そしてそれこそ宝石のような琥珀色アンバーアイ

 母娘として、似通うものを見つける方が難しい。それでもエウリーケは目を細め、にっこりと笑ってみせた。

「そっくりでしょ? 私たち」

 柔らかい声で、揺ぎなく尋ねる。露天商の女性は気圧されたみたいに、「え、ええ、まあ」と応えた。

「そりゃあ、すごく、とても……」

「ありがとう。よく、そう言われるの」

 エウリーケは笑顔のまま、抱えていたクロトをそっと下した。

「ゴメンなさい。やっぱりまだ、色々と見て回りたいから。それから考えるわ」

「そ、そう……ですか」

「じゃあ、行こうか。クロト」

 エウリーケはクロトの手を取り促した。小さく頭を下げて、その場を離れる。

 露天商の女性は、引き留めようとはしてこなかった。

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