表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/76

(四)ノ31

 ルリビタキが木枝から飛び立つ。すうっと高度を落とし、オルフェたちのすぐ目の前を横切った。その際に短く鳴いた。

 もし言葉が通じたのならば、「しからば御免」とでも言ったのかもしれない。

 村までの案内の役目を終え、青い小鳥は森へと返す。

 カロンが足を止めて、その姿を目で追った。カロンに背負われているオルフェも、自然と同じようにして見送った。

 ルリビタキが咥えたヤコウダケの光が遠のく。無事に村まで導いてくれたその光は小さく淡いもので、あっさりと闇の森の中へと溶けて消えてしまった。


「じゃあな」と、カロンがかすれ声で呟いた。

 唯一の明かりを失い、周囲は真っ暗で彼の表情は伺えない。ただその一言は、感謝と労いの意を込めたものだった。

「行きましょう」

 ニクスが促し、それでもカロンはすぐには反応しなかった。やがて「ああ」と、応えた。

 向き直り、再び歩き出す。その僅かな間は、名残り惜しかったからだろうか。


 村はもう目の前。カロンとその背におぶさったオルフェ。ニクスと腕の中で眠るクロト。

 四人は遂に、ニンフの森を抜けた。


「村だあ」

 ニクスが気の抜けた声を上げる。

 ほう、とオルフェは息をついた。水の音が明瞭になった。レーテ川の流れが絶え間なく、静かに囁くように奏でている。

 そして空気が変わった。

 ああ、そうだ。この匂い。オルフェはそっと、深く息を吸った。帰ってこれたのだ。ムーサイの村に。空気を貯めた胸の内に、言いようもないほどの安心感が広がる。


 何も遮るものがなくなった空を、オルフェは見上げた。星が無数に煌めき、月が丸くぼんやりと浮かんでいた。

 その下でキュレネー山脈の稜線が、より一層の黒い影となって塗りつぶされている。

 村は起伏に富んだ丘陵地で、その家屋はどれも灯りが灯っていない。暗がりにひっそりと佇んでいた。

 ただムーサイの村は、決して寝静まっているわけではなかった。

 目の前を流れるレーテ川は、雄大な水面を今はオレンジ色に揺るがせる。石の橋脚の上を渡る木造橋が照らされ、その姿が浮かび上がっている。

 松明だ。いくつもの松明が、物見櫓ものみやぐらとその麓に集まっていた。


 そして人の姿があった。一人や二人ではない。レーテ川を挟んだ対岸に、大勢が群れている。この数は、ムーサイの村人のほとんどではなかろうか。

「あ、先生だ!」

 村人の誰かの声が対岸から届いた。オルフェたちに気付いたようだ。

 それを皮切りに、おーい、おーいと、次々に呼ぶ声が続くようになった。松明の火が一斉に、右に左にと揺れた。


「これは――」

 思いもよらぬ光景を目の当たりにして、オルフェは声を詰まらせた。

「おいおい」と、カロンが苦笑交じりに言う。

「随分と大層なお出迎えだな」

「ええ、ホントっすよね。わあ、みんな来てくれたんだ」

 ニクスが嬉しそうに応じた。

 ただオルフェのほうは、申し訳なさのほうが勝った。

「心配をかけてしまったな――」

「え? 先生、ダメっすよ。そんなこと言ったら、かわいそうっす」

「かわいそう?」

 意外に思い、オルフェは聞き返した。「ええ」と、ニクスは当然のように言った。

「ホントはみんなだって、森にクロトちゃんを探しに入りたかったんっすよ。でも、司祭様や先生が絶対にダメって言うから。だから我慢したっす。せめて心配くらい目一杯にさせてあげましょうよ。それも出来ないなんて、そんなのかわいそうじゃないっすか」

「なんだよ、それは」カロンが短く笑った。「でも、まあ」と続ける。

「そういうことよな」

「ええ、そーいうことっす」

 ニクスも言ってから、フフッと笑った。オルフェは、なんと返せば良いのか戸惑った。訳の分からない理屈だ。


「じゃあ、先生」

 カロンは「よっ」と、背中のオルフェをおぶり直した。

「せっかくだ。胸を張っていこうぜ」

「ん? ああ、――いや」

 オルフェは頷きかけて思い直した。先ほどのニクスの訳の分からない理屈が、遅れてすうっと腑に落ちてきたのだ。

 なるほど、そういうことか。確かにそうだった。この村の人たちの性格を考えれば、心配するなというほうが酷な話だ。

「カロン、私を下ろしてくれないか?」

「え?」と、カロンが意外そうに返す。

「いや、しかしよ。先生、大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。このままでは私もキミも胸を張れないじゃないか。自分の足で歩いて、出迎えを受けたいんだ」

「ああ」と、カロンは声をあげた。

「そうか……。まあ、そりゃあ、そうだよな」


 オルフェの気持ちをカロンはくみ取ってくれた。

 ムーサイの村の人たちの思いを、オルフェは堂々として受け止めたかった。おんぶされたままでは格好がつかない。

 カロンが屈み、オルフェは背からおりた。自分の足で大地を踏みしめる。力が入らない。よろめくと、すかさずカロンの手が伸びてきた。

「先生……」

 背後からニクスが心配そうに声をかけてくる。オルフェは振り向き、小さく頷いた。


 痛みは――、正直よく分からない。今さらだ。

 だから、大丈夫。歩ける。

 自分に言い聞かせて、姿勢を直す。

 足を一歩前へ。そしてまた一歩。

 ゆっくりとだが、着実にオルフェは前へ前へと歩みを進めていく。

 レーテ川は森と村とを別つ境界線。そして木造橋は、その二つをつなぐ唯一の道である。

 約三十メートル。森から、そして村へ――


 息はすぐに上がった。松明の火がブレて見える。見知った顔が並んでいるはずだが、今はどれが誰だかは分からない。ただ、呼び掛けてくる村の人たちの声が、オルフェを気丈にさせた。

 そしてオルフェは、木造橋を渡り切った。村へと帰ってきた。自分の足で。

 待ちかねた村人たち。オルフェたち四人を中心に、いくつもの輪が重なった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ