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(四)ノ19

 沢の向こう岸側は場が荒れていた。二体のオーガに追い詰められたゴブリン達が、決死の反撃を試みている。その数はまだ二十匹以上ある。

 ただどれだけの頭数があろうとも、巨体を誇るオーガの敵ではなかった。


 ゴブリン達は次から次へと石斧やこん棒を叩きつけるが、オーガの鋼のような肉体にはまるで歯が立たず、ことごとくくが弾き返された。

 すると一匹が役に立たない武器を捨て、オーガの太い足に抱き付いた。すぐさま数匹が後に続く。

 さらには仲間の体を足掛かりに、巨体をよじ登って腰や腕、後ろ首にも縋り付いたりもした。

 ゴブリン達はとにかく巨躯の動きを封じようと、躍起になっていた。

 ただそれでも、オーガはまるで意に介さない。自慢の怪力ぶりを存分に見せつけた。

 体の小さなゴブリンなど上体を捩じり、腕を大きく振るえばそれだけで事足りた。一匹、また一匹と、小鬼達は肩にかかるフケのように、容易く払い落されていった。


 その中の一匹が、大きく飛ばされた。沢の中央辺りに落ちる。

 思わぬ形で、喧騒の場から弾き出されたゴブリンはすぐに起き上がり、これ幸いにと逃げようとした。

 しかしエルフがそれを見逃さなかった。跳ぶように行く手を阻み、立ち塞ぐ。そして怯むゴブリンを容赦なく切り伏せた。

 ゴブリンがうつ伏せに倒れる。やはりエルフはすぐに退いて、返り血を浴びるのを嫌った。


 エルフは仁王立ちになって、屍を晒すゴブリンを、まるで汚物でも見るかのように蔑む。

 その場でレイピアを宙に振い、刃に付着したじゅうの血を払い落とした。もう片方の手に持っていた短弓ショートボウを、ローブの中の背中に回して固定する。

 エルフは次の狙いを定めていた。視線が、オーガの巨躯へと向けられる。

 それまでは腕一本で振ったレイピアを両手で構えると、沢の中を駆けた。エルフは真っ直ぐに、オーガとゴブリンが入り乱れる場へと向かう。


 ゴブリンを相手にするオーガの隙を付く狙いが、エルフにはあったのかもしれない。

 しかしオーガの一体が、迫るエルフに気付いた。捕らえていたゴブリンの上半身を喰いちぎると、残りは棄てて、すぐに迎撃の体勢をとった。

 エルフはそれでも構わずに、懐に入り込もうと試みる。巨大な拳が振り下ろされた。

 間に合わない。エルフは寸前で踏み止まり、素早く横に躱す。

 オーガの拳は沢の水を激しく叩きつけ、水飛沫を爆発させた。その飛沫には丸石が無数に混じっていた。


 丸石の幾つかが命中し、エルフの動きが止まった。それを見て、一匹のゴブリンが襲い掛かってきた。

 エルフは体勢を崩しながらもレイピアを振う。弧を描いた剣先が、ゴブリンの鉤鼻を切り落とした。

 エルフは後退し、距離を取り直す。しかしすぐさま別のゴブリンが跳び付いてくる。


 ゴブリンは力は弱いが数が多い。そしてずる賢かった。

 立ち位置を変えたのだ。エルフという敵に対して、オーガの味方のように振舞えば、自分たちは生き残れると。

 オーガは力ばかりで知性に欠けて単純だ。それまで自分が蹂躙していた相手であることすら忘れてしまう。だから、容易くゴブリンの思惑に嵌まった。

 それはつまり、二体のオーガと二十匹以上のゴブリンを、エルフはたった一人で同時に相手することを意味した。旗色が一気に悪くなった。


 横からもう一体のオーガがエルフに迫った。両手を組み、頭上からハンマーのようにエルフ目がけて振り下ろす。

 躱したとしても、ゴブリンが待ち構えている。エルフは退かずに、思い切って懐に踏み込んだ。間一髪で拳を掻い潜る。

 レイピアで巨人の膝を切りつけた。皮膚が裂ける。だが浅い。

 エルフの斬撃は鋭いが、軽かった。彼女の細腕では、強靭な筋肉の鎧を纏ったオーガに、致命傷を与えるのは難しそうだった。

 エルフはオーガの背後へと回り込み、レイピアを構え直そうとする。しかし、すかさず横からゴブリンが石斧を振り下し、それを邪魔した。


 オルフェは岸辺に仰向けに横たわり、エルフの戦う様を見守っていた。

 あのエルフが相当な手練れであるのは疑いない。まさに八面六臂の活躍だ。

 しかし、これはいくらなんでも多勢に無勢。それにオーガとの相性も悪く、さすがに厳しそうだった。


 胸の上ではクロトが縋っている。怖くて仕方ないのだろう、必死にオルフェの匂いを嗅いでいた。

 そんな娘を少しでも安心させたく、オルフェは動くほうの左手を黒髪に乗せて、優しく撫でた。


「カロン」オルフェはそうしながら、傍らで片膝をつくカロンに、うつろな目を向けた。

「頼む。キミも、行ってくれ、ないか」

「いや、しかしよ」カロンは心配そうに、迷った声を返した。

「先生、大丈夫なのか?」

「大丈夫だ。今はエルフを倒そうと、じゅう達は躍起だ。私とクロトに、危険は及ばない」

「そうじゃなくて! だってよ、血が――。これ、止まってないんじゃないか?」

「ああ」

 そっちかと、オルフェは無理に笑って見せる。

「心配いらないよ。血はそのうち止まる。これは、命に係わるほどの怪我ではない、から」

 嘘をついた。

「本当か?」と、オルフェの言葉をすぐに信じてしまうこの男は、声に安堵の気配を滲ませる。

 そんな素直な反応に、オルフェは胸中で苦笑し、ゆっくりと頷いて見せた。

「もし、彼女エルフが突破されたら、また獣がこっちに押し寄せてくる。だからカロン、そうなる前、に――」

「先生」

 カロンはオルフェの言葉を遮り、視線を沢の向こうへと向けた。

 エルフは苦戦していた。

 ゴブリンだけならともかく、相性の悪いオーガが二体。堪えてはいるが、それがいつまで持つのか。

「今のうちに、逃げるのも手だぜ?」

「カロン」

 オルフェは声でカロンを咎めた。

 あのエルフが何者かは分からない。しかし少なくとも、オルフェ達は彼女のおかげで窮地を救われた。それは確かなのだ。

 オルフェ自身がなにか出来るわけではないが、それでもその恩人を置き去りにして、己が助かるつもりはなかった。

 カロンはオルフェの目を見つめ、「分かってるよ」と諦めたように苦笑いを浮かべた。

「言ってみただけだ」

 カロンは立ち上がった。乱れていた赤髪を、両手で引っ詰める。

「先生、どうか意識を、しっかり保っていてくれ。すぐに、本当にすぐに戻ってくるから」

 カロンはオルフェに懇願するように言った。オルフェが頷いて返すと、少しだけ表情を緩めた。

 そして、またすぐに引き締め直して顔を横に向けた。


「ニクス!」

 声を張る。カロンの視線の先では、ニクスがいつの間にか形勢を逆転させていた。ニクスが馬乗りに、変異種ホブを組み敷いている。

「無用だ!」

 ニクスは加勢を断り、振り上げた拳をホブゴブリンの顔面に見舞った。

「そうかよ」無精ひげの頬が不敵に歪んだ。

「手がいる。すぐに終わらせろ。先生を守ってくれ」

 カロンは言い放ち、駆け出した。大剣ツヴァイヘンダーを拾い上げ、沢へと入る。


 オルフェは遠くなるその長身の背中を見送った。カロンであれば、鋼のようなオーガの強靭な肉体も貫ける。ニクスもダメージから回復し、ホブコブリンを圧倒し始めていた。

 それにあのエルフ。彼女も取りあえず味方だと信じられそうだ。

 これで、なんとかなるだろうか。オルフェはほっと、小さな息を漏らした。


 胸の上では、クロトがオルフェの匂いを嗅ぎながら、幼い体を小刻みに震わせていた。

「ゴメンね……。怖い思いを、させて」

 オルフェは優しく娘の頭を撫でた。こんな小さな子が、と思った。

 たった一人で森の奥深くにまで入る。それがどれほど危険なことか、幼くとも実際にその場に立てば本能的に察したはずである。

 それでも引き返さずに進んだ。そうせずにいられないほどの何かが、この森にあったのだ。

 きっとクロトも、その正体までは分かっていない。

 分からないまま、失われた記憶の部分が、クロトを突き動かした。この子は、ニンフの森と決して断ち切れないもので繋がっている。

 オルフェは、クロトの行動原理をそのように解釈していた。

 だからか、クロトを叱る気にはならなかった。それに今はただ、娘の無事がなによりだった。


 思考が鈍くなっていた。背中の傷は熱を持っていて、なのに体が寒くて仕方なかった。

 沢の水に濡れたからだろうか。

 いや、違うな――

 オルフェは小さく苦笑を漏らした。

 血を流しすぎていた。

 このまま放っておけば、止まることなく流れ続ける。そして自力での止血は無理だった。

 もう持たないと、分かっていた。


「クロト」

 オルフェは呼びかけた。この名前を口にするだけで、愛おしさに心が満たされる。

 娘を持つというのは、親になるというのは、こんなにも素敵なものだと知った。

 それだけで、もう充分。幸せだった。

「今日はね、森で蜂蜜を採ってきたんだ」

 胸の上で、クロトが顔を上げた。その目はよく分からないと言っていた。オルフェは薄く笑う。

「すごく甘くてね、濃厚で……、美味しいよ。カロンのね、大好物なんだ」

 村に戻ったらさ、とオルフェは言葉を擦れさせた。

「イーオおばさんに、パンを焼いてもらおう。たっぷりと、蜂蜜をかけて……、食べよう。もちろん、ママも、一緒だ」


 だから帰ろう。エウリーの元に。


 ああ、やはり、とオルフェは思った。

 私はまだまだ、クロトと一緒にいたい。エウリーと三人の家族であり続けたい。

 帰りたい、あの村に。エウリーが、みんな待っている――


 やけに暗い。それはなにも空の所為ばかりではなかった。霞む視界で琥珀色の瞳を見つめた。

 心が未練に飲み込まれた。この瞳に、クロトがまだ知らないたくさんのものを、見せてあげたかった。

 瞼が重くて敵わない。

 眠かった。抗えずに、オルフェはゆっくりと目を閉じた。

 そしてすぐに、闇が意識を覆った。

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