(四)ノ14
オルフェ達の前に姿を見せたその獣は異質同体、人型獣に巨大な蜘蛛を掛け合わせたような、そんな見た目をしていた。
「こ、これは……」
オルフェは初めて見る異様な姿に絶句した。
腹部及び、そこから伸びる付属肢の八本の細長い脚は蜘蛛そのもの。
ただ大きさがとんでもなかった。地面に鋭く突き立てた爪から膝節までで、もう既にオルフェの背丈を超えていた。
胴体から頭部にかけては体毛がなく、裸の表皮は人とそう違わない。雌雄の区別となるのか、胸の部分は若い女性のように乳房が張っていた。
もちろんそれを晒されたところで、性的な欲望を刺激されるものでは決してない。頭の部分もまた、ほぼ蜘蛛なのである。
黒く真ん丸な単眼が八つ。正面の二つだけが大きく、残りの小さな眼は側頭部に均等に並んでいる。鼻は無く、口器からは鋏角が二本、左右にナイフのような形状で突き出ており、捕らえた獲物を挟み、切断する為のものだと分かる。
「な、なんなんっすか、こいつ」
ニクスが戸惑いの声を上げた。彼もまた、これまでに遭遇したことがないらしかった。
「アラーケニュだ。ニクス」
オルフェはその特徴的な見た目から、読書で知識としていた獣の名を口にした。
本によれば、アラーケニュの攻撃手段は主に二つ。その内の一つは、大きな鉤爪によるものである。八本の脚だけでなく、肩から伸びる両腕も、肘から先がゆるかな弧を描く鉤爪となっていた。
アラーケニュは両腕を開いて高く掲げ、ニクスを圧倒しようと威嚇してきた。
鉤爪を備えた腕は、ニクスの戦斧よりも長く、迫力も充分。ニクスはともかく、並みの者ならば対面しただけで恐怖に腰を抜かすだろう。オルフェもニクスの庇護下になければ、そうなっていたかもしれない。
やはり昼間とは違う。日の傾きと共に、それまで息を潜めていた獣が活発化する。
ニンフの森が秘めた本当の恐ろしさ。それがいよいよ牙を剥いてきたのだと、オルフェは深淵を覗いたかのように寒気立った。
「ふん」と、ニクスが呟いた。「まあ、なんでも良いっか」
ニクスは威嚇されたことで、返って闘争心に火が点いたようだ。出会いがしらの動揺は既に打ち消していた。
強さの自負故か、そもそもが眼前の敵に対して、オルフェほどには脅威に感じていなかったのかもしれない。
「叩き切っちまえば、同じっすもんね」
そう言って、ニクスは踏み込んだ。一気にアラーケニュとの距離を詰めようとする。ただその行為は、あまりに安易がすぎる。
「迂闊に近付くな!」
オルフェは咄嗟に叫んだ。
その声にニクスは反応した。途中で踏み止まり、素早く軌道を変えて横に跳ぶ。直後に何か、白いものが飛んできた。
アラーケニュの狙いは正確で、ニクスが避けた先にある野草に絡まった。それは粘液にまみれた糸だった。
「気持ち悪いっす。なにこれ」
ニクスは草葉に垂れ下がる粘糸に目をやり、不快そうに顔を歪めた。
やはり蜘蛛のような姿は伊達ではない。これがアラーケニュのもう一つの攻撃手段。口器から吐き出される粘糸は、相手に絡めて自由を奪い、捕える為のものである。
「次が来る!」
「あ、はいっす」
また飛んできた粘糸を、ニクスはしっかりと反応して躱した。どうたら弾切れの心配がないらしく、アラーケニュは次々と立て続けに粘糸を吐き出してきた。
身軽な上に怪力のニクスだからこそ、重い武器を手にしながらも躱せているが、その戦斧で受け止める訳にもいかず、この糸がかなり厄介なのは間違いない。
それでも、やはりニクスは流石である。タイミングを計り、粘糸を掻い潜って一気に距離を詰めた。腰を捻り、バルディッシュを大きく振りかざす。
しかし今度はそこに、両腕の鉤爪が待ち構えていた。
アラーケニュの動きは、昆虫ならではの俊敏さだ。近付こうとするニクスに対して、鋭く交互に腕を突出し、そして振り回した。
鉤爪を備えた腕はバルディッシュよりも長く、ニクスは間合いに入りきれない。
するとアラーケニュがまた口器を開いた。強引に距離を詰めようとしたニクスに、至近距離からの粘糸を見舞う。
鉤爪に気を取られていたニクスは、反応が遅れそうになった。それでも際どく飛び下り、また距離を取り直す。
ニクスが近くの木の幹を楯にして身を隠すと、追いかけるように粘糸がその木の幹にベッタリと絡みついた。
ニクスは攻め気に逸り、すぐにもう一度間合いに入ろうと試みた。しかしアラーケニュの反応が上回った。
粘糸が連射される。ニクスはまた、今度は別の木の幹の影へと飛び込んだ。
「ああ、もう! くそっ」
思う様に戦えず、ニクスは苛立ちに声を荒げた。
オルフェは息を潜めながら戦況を見つめ、そして不安を覚えた。ニクスは気付いているのだろうか。
一見ではニクスが攻めあぐねているだけのように映る。しかし実は、ニクスは追い詰められつつあった。
粘糸が草木に絡み垂れる。地面を汚す。見渡せば、周囲はあちらこちらが糸にまみれていた。それはニクスの動きを狭める為の罠だった。
長い腕と粘糸の飛び道具を持つアラーケニュに対して、ニクスはどうしても後手に回ってしまう。散らかった糸が、ニクスの躱す先の選択肢を奪っていく。
そしてアラーケニュは、次第にニクスの動きを先読みするようになっていた。どのように避けるかを見越して、粘糸を続けて吐き出してくるのである。
ニクスには最早、当初見せていたような余裕はなかった。
これがアラーケニュの狩り。蜘蛛としての特異性と人型獣の知性を併せ持つ異質同体。ゴブリンやオロべルスのように群れる必要のない獣の強さだった。
ニクスであっても、久しぶりの実戦の相手としては、これは厄介が過ぎる敵だった。




