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(四)ノ12

「司祭様、お願いがあります」

 オルフェはテュケを抱きかかえたまま、パーン司祭に頭を下げた。

「どうか、ニクスを私に遣わし下さい。森に娘を探しに行きたいと思います」

「先生、あなたっ!」パーン司祭が声を張った。

「カロンを信じて、ただ待つだけなんて、私にはやはり無理です。ヘファイトの言うことは尤もでした。なのでどうか、ニクスを私の護衛に」

 険しい表情のパーン司祭の背後で、ニクスが「先生……」と呟いた。

 オルフェはまだ幼さを残すその若者へと訴えかける。

「ニクス、キミが一緒なら私は森に入れる。だから頼む。私を守ってほしい」

 このムーサイで、日の暮れた森であろうともじゅうに不覚をとる心配がないと思えるのは、カロンの他にはニクスだけである。

 オルフェはニクスに何年もの間、森で命を守ってもらってきた。彼の強さは掛け値なしに信じることが出来た。

 ただ同時に、そのニクスを森から遠ざけたいパーン司祭の思いも、もちろん理解している。

 なのでこの願いは、オルフェとしても心苦しさを伴うものだった。しかしそれでも最早、彼に頼るよりほかに、手がなかった。


「私が」とパーン司祭は、冷徹な声で言った。

「それを断ったら?」

「仕方ありません。それならば、私だけで探しに行きます」

 オルフェは迷いなく応えた。その意思の強さが、パーン司祭の厳しかった表情を、僅かに怯ませた。

「ダメだよ、イヤだよ。私……」

 テュケが、オルフェの胸の上で悲痛に訴えた。エウリーケも、泣きはらした顔を上げる。

 オルフェはテュケの頭を優しく撫で、エウリーケへと語りかけた。

「ゴメンね。でも約束する。クロトはちゃんと無事に帰らせるから」

 エウリーケは首を何度も横に振り、いやいやをする。グライア婆が言葉にならないままに呻いて、エウリーケをより深く抱きしめた。


「せ、先生よ、ならやはりよ、オレが一緒に行こうか?」

 ヘファイトが遠慮がちに申し出た。

「オレにも、責任を取らせて下さい」とアルゴル。

「あの、ボクも」

 エクニオスも触発されたかのように言った。

 彼らの思いに感謝しつつも、それでもオルフェは、静かに首を横に振った。それは決然たる拒絶だった。

 ヘファイトが声を詰まらせる。踏み込めないものを感じ取ったようだ。三人はそれ以上は何も言わず、そのまま素直に引き下がった。


 それはパーン司祭も同様だったらしく、「どうやら」と深いため息を交えて言った。

「私が止めても、聞き入れるつもりはないようですね」

「はい、申し訳ありません。司祭様」

 オルフェは揺ぎ無く応え、小さく頭を下げた。パーン司祭はさらに、ため息を重ねる。

 そしてオルフェを正面に見据えたまま、背後に控えるニクスへと問いかけた。

「ニクスはどうです? あなたは今はもう、先生の護衛の任を解かれています。これは命がけの務め。強要はしません。断る権利があります。それでも行く気はありますか?」

「み、見損なわないでください。そんなの、当たり前っす」

 ニクスは勢い込んで言った。パーン司祭は目を閉じ、「愚問でしたね」と頷いた。

「ですがニクス、あなたは何故に森に入るのか、しっかりと理解していますね?」

「もちろんです。先生を守ります。そしてクロトちゃんを無事に連れて帰ります。だから、司祭様っ!」

 ニクスの回答に、パーン司祭は深く頷いた。

「あなたを信じます。今回だけです。森に入るのを認めましょう」

「ありがとうございます」

 オルフェはニクスと二人で異口同音に感謝し、パーン司祭へと頭を下げた。パーン司祭は硬い表情のまま、ニクスを促す。

「ニクス、急ぎます。すぐに支度をしてきなさい。ただし準備に抜かりのないようにするのですよ」

「はいっ!」

 早くも気合いの入ったニクスは、目に力強さを宿していた。


 快活な返事を残して司祭館へと駆けるニクス。その背中を、パーン司祭は顔を横に向けて見送り、それからまたオルフェへと戻した。

「先生は森からのお戻りですから、そのままで大丈夫ですね。お疲れでしょうが、どうか気持ちを切らさないように」

「ええ、感謝します。司祭様」

「言っておきますが、私はまだ、完全に納得したわけではありせんからね」

 パーン司祭はようやく表情を緩め、皮肉めいた笑みを口元に浮かべた。

「ただこうなったからには、私も腹を括るしかないようです」

 そう独り言ちると、パーン司祭は両手を強く叩き合わせた。場にいる者の視線を、一斉に自身へと集中させる。


「では、それぞれに指示します。先生はニクスの準備が整い次第、森にクロトちゃんの捜索に。先生、あえて刻限は決めませんが、なんとか日が完全に暮れる前には見つけ出してください。それからカロンとも合流して、必ず一緒に戻るように」

 オルフェは無言で頷くと、テュケの両肩を緩く掴み、彼女をそっと、体から引き剥がした。

 テュケは涙に濡れた目で心配そうに見上げてくる。オルフェはその瞳に、しっかりと頷いて見せた。

 優しく、そっと押し離す。

 テュケは促されるままに、エウリーケを抱くグライア婆の元へと短く駆け、老婆のその首に腕を巻きつけた。

 パーン司祭はそれを見届けてから、今度はヘファイトたち三人へと顔を向ける。


「アルゴルとエクニオスには伝令に走ってもらいます。まだクロトちゃんが、村に隠れている可能性も完全には捨てきれません。村人が何処を探したかを聞いて回り、探させていない場所を割り出すのです。ただし捜索は、終時課の鐘を私が鳴らすまでとします。取り仕切りはヘファイト、あなたにお任せしますよ」

「お、おうっ!」

「分かりました」

「うん」

 ヘファイトが応じ、アルゴルとエクニオスの二人も揃って力強く続いた。


「村のみんなも、そろそろ腹が減って疲れがでる頃だね」とイーオが言った。アタシにまかせな、と自身の豊満な胸をドンと叩く。

「店に戻ってなにか旨いもんでも作って、配ってやろうかね。もうひと踏ん張りしてもらわないと」

「そうですね。是非そうしてください」とパーン司祭は応え、ならばこの際なので、と続けた。

「教会の貯蔵倉庫を解放してしまいましょう。必要な食材はそこから持ち出してください」

「えっ? でも良いのかい?」

 イーオが心配そうに聞き返すと、なあに、とパーン司祭は開き直ったように、少し悪い顔になった。

「上にはネズミに齧られたとでも報告しておけば、なんとかなるものです」

 赴任司祭としてあるまじき発言に、ハルモニアが咎める目をした。ただそれも束の間だった。生真面目なはずの助祭も、すぐに共犯の覚悟を決めていた。


「ならアタシらも」と、グライア婆がしわがれた声で言った。「イーオを手伝おうかね。どうだい、二人ともやれるかい?」

 老婆に縋るエウリーケとテュケの二人は、弱々しいながらも「うん」と応えた。すかさずイーオが「いや」と、首を横に振った。

「人手はどうとでもなるよ。お婆、二人は休ませてあげて」

「でも」とエウリーケが、涙声で返した。

「みんな、クロトの為にしてくれているのに、私……」

「なに言ってんだい。そんなの当たり前じゃあないか。それにメシ作るくらい、手間なもんか。いいからさ、エウリーちゃんも、テュケちゃんも、少しでも気を休めて。でないと、心だけでなく体も持たなくなるよ」

「それならば如何です?」パーン司祭が提案した。

「お三方は司祭館においでなさい。ハルモニアが美味しい紅茶を淹れます。それを飲めば、少しは人心地がつくというもの。私と一緒にお話でもしながら待ちましょう」

「司祭様」ハルモニアが落ち着いた声で応えた。

「そういえば勿体ないからと、まだ開封していない茶葉が仕舞い込まれたままです」

「あれは、私の取って置きの――」パーン司祭は咄嗟に返そうとして言葉を詰まらせた。それからすぐに「いえ」と、気を取り直す。

「そうですね。確かに使うのなら、今ですね。ええ、良いでしょう。ハルモニア、開けてしまいましょう。その代わり手抜きは許しません。とびっきりに美味しく淹れてもらいますよ」

「はい、承りました」

 ハルモニアは、ごく微かな笑みを口元に浮かべて頷いた。同時に彼女の後方の司祭館から、ニクスが飛び出してくるのが見えた。

 肩から布袋を斜め掛けにし、自身の背丈ほどもある柄の長い戦斧バルディッシュを手にしていた。


 その姿を認めて、オルフェは自らに気合いを入れた。オルフェはテュケを、そしてエウリーケを見た。二人ともかける言葉はなく、オルフェの身をただ案じて、心配そうだった。

 オルフェは、大丈夫だからと、薄く笑って見せた。

「お婆、ごめん。二人を頼むね」

 二人を抱くグライア婆にオルフェは託した。老婆は頷き、優しい目を向けた。

「こっちは心配せんでええ。先生は自分の成すべきことをしっかりとな」

「うん」

「ええか? クロトはもちろんだが、先生もぞ? ちゃんと無事に戻ってこんといかん。エウリーもテュケも、みんなが帰りを待っておる。アタシもじゃ。お願いぞ。どうかこの年寄りに、寂しい思いをさせんでおくれ」

「うん……」

 オルフェは応えながら、胸が一杯になった。ダメだなと自分を戒める。

 グライア婆を前にすると、その懐の温かさに、可愛がってもらってばかりの子供の頃の感情が蘇ってしまう。


 ニクスが駆け寄ってきた。オルフェは大きく息を吐き、感傷から心を引き戻した。

「先生、お待たせしたっす!」

 すぐ目の前で立ち止まったニクスへと顔を向ける。

「よし、行こうか、ニクス」

「はい!」

 オルフェはもう一度、気を奮い立たせ、ニクスと共に森へと向かった。

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