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(三)ノ3

「今度は私が攻め手の番だ。受けてくれ」

「了解っす」

 オルフェの申し出に、ニクスは気安く応じた。パーン司祭はそんな二人のやり取りを、石のベンチからハルモニアと肩を並べて見守った。

「ニクス、一つ言っておく」

 オルフェはそう前置きしながら、短剣を逆手に構える。

「私は年下が相手だろうが容赦しない。そういう大人だ。全力でいく」

「大丈夫っすよ。先生の攻めなんて絶対に当らないんで。遠慮いらないっすよ。あ、この遠慮なくは言葉どおりに」

 ニクスは余裕綽々といった態度で、木刀を中段の構えに取った。

「言ったな!」

 オルフェは地面を蹴った。グンと間合いを詰め、迷いなく短剣を叩きつける。

 ニクスはそれを木刀で簡単に受け止めた。オルフェが力で強引に押し込もうとしても、相手は怪力の持ち主。石像のように微動だにしない。


「むん」

 ニクスは唸り、腕力だけでオルフェを体ごと押し飛ばした。体勢を崩しかけ、それでも踏み留まって、すぐに引いて距離をつくる。

「もっと腰を低く。下から切り上げるイメージで」

 ニクスが声を張り、オルフェは、ふうと息を吐く。


 再び間合いを詰め直す。アドバイスを実践しようとする意識は伺える。

「そう、良いっすよ。先生、その調子。そのまま回り込んで背後を取って」

 オルフェは横にステップして、ニクスの左手側から背中に回ろうとした。ニクスは素早く反応してそれを許さない。

 もう一度、今度は反対側から試みたが、また同じだった。

「このっ!」

 オルフェは焦れた。回り込むのを諦め、ニクスの正面から打ち込むが、ただそれは、当然のように軽くいなされてしまう。


「ダメじゃないっすか。そんなの当るわけがないでしょうに」

「背後に回ろうとするのが分かっている相手に取れたら苦労はしない」

「さっき取ったっすよね? オレ。先生の背中」

 ぐっ、とオルフェは言葉を詰まらせた。そして「可愛くないぞ!」と憤慨し、ニクスに突撃を敢行する。

 破れかぶれに短剣を振り回す。ニクスはやれやれと、ため息をついた。

「ほい、ほい」と、造作無く受け止めていく。


 二人は何年も一緒に森入り、そして命を預け守ってきた間柄だ。強い信頼関係がある。オルフェは躊躇しなかった。

 それに散々に翻弄され、悔しさもあるのだろう。日頃の柔らかな物腰も、ニクスが相手だと地金が出やすい。


 ただ確かに雑な打ち込みであったが、それは最初のうちだけだった。

 次第にオルフェは集中力を研ぎ澄ましていく。無駄な動きが淘汰され、攻撃が鋭さを見せるものに変わった。


「ほう」

 パーン司祭は呟いた。良い動きだと思った。実際、余裕だったはずのニクスも、いつしか無口だ。

 しかし、体力の方がやはり続かない。オルフェの息が上がる。

 いつの間にか、ニクスの目つきが変わっていた。獲物を仕留めんとする肉食動物のような情のない険しさ。

 オルフェの動きが寸時、止まった。次の瞬間。


 ひゅんと、空気が裂かれる。

「へっ?」

 間一髪であった。

 オルフェが首を僅かにずらしたのは、ただ本能的なものでしかない。そのすぐ真横を、頬を掠るようにして木刀の切っ先が宙を貫いた。


 ニクスが予備動作もなく放った鋭い突き。オルフェはそれを、自覚もないまま辛くも躱した。

 束の間、時が止まったかのように場が固まる。

 二人の間を風が流れ、落ち葉が舞った。

 それで思い出したかのように、オルフェは止めていた息を吐いた。すると急に力が抜けた。

 腰が落ちて地面へと両ひざをつく。


「あっ!」

 我に返ったらしく、ニクスが声をあげた。

「ニ、ニクスぅ」オルフェは声を大きくする。

「な、なんてことを。今は私が攻め手のはずだろ」

「いや、悪かったです。あまりに隙が大きかったので、それで、つい」

「つい? はずみで反撃してしまったと言うのか?」

 死んだかと思った、とオルフェは青ざめた顔で、自分の左胸を手で押さえた。

 ただ、血の気が引いているのはニクスも同様だ。あたふたと跪坐になり「ホント、申し訳ないっす!」と、頭を下げた。

 オルフェは、ツーンとそっぽを向ける。どうやら謝罪を受け入れるつもりがないらしい。

「先生ぃ……」

 ニクスは困り顔になる。しかしすぐに「ああ、そうだ」と声を弾ませた。

「先生、頂きもののビワがあるっすよ」

 ニクスが顔を覗き込むようにして言うと、オルフェがピクリと反応した。

「先生、好きでしょ? ビワ」

 そっぽを向いたままのオルフェだが、目がニクスへ泳ぐ。

「後でおすそ分けしましょうか? いるっすよね?」

「――いる」


 不貞腐れた態度のムスッとした声で、ぼそりと応えるオルフェ。するとパーン司祭の傍らで、ハルモニアが肩を震わせた。

 堪え切れない様子で吹き出す。

「あっ」

 ハルモニアは口を手で隠し、恥じたのか短く咳払いをした。

「楽しいでしょう? あの二人を見ていると。毛並みの違う兄弟ネコがじゃれているみたいで」

 パーン司祭は、そんな彼女をフォローした。ハルモニアは「あ、いえ」と、曖昧に返事をする。そしてすぐに気を取り直して、「ただ」と言葉をつなげた。

「少し意外には思いました。オルフェ先生は、もっとこう、なんと言いましょうか、落ち着いた大人といった印象を持っておりましたので」

「ああ、先生は負けず嫌いですよ。強情だし、すぐにムキになる。落ち着いているなんてとんでもない」

 それではまるで、とハルモニアは言った。「子供のようではありませんか」

 パーン司祭は「ええ」と、頷いた。

「そうですね。子供じみてますね。ただ、男なんてみんなそんなものですよ。女性は年齢を重ねれば心身ともに成熟していきますが、男は違います。見た目がどんなに立派になろうとも、取り繕った上辺を剥いでしまえば、いくつになろうが心は子供のそれとさして変わるものではありませんから」

 ハルモニアはパーン司祭へと横目を向けた。値踏みでもするかのように、視線を上に下にへと動かす。

「なるほど」

 そして独りごとを口先で呟いて、前へと向き直った。

 パーン司祭は聞き咎めた。

「何です? ハルモニア。今、私を見て何を納得したのですか?」

「いえ、別に――」

 ハルモニアの口調は平坦ながら、そこには何か含むものがあった。パーン司祭は敏感に感じ取り、「まさか、あなた……」と、目を大きく見開く。

「まさかとは思いますが、ハルモニア、あなたに一応言っておきます。私は違います。私は聖職者です。なんと言っても司祭ですよ。ええ、それはもう身も心も立派な大人です。本当です。先ほどのはあくまでも一般論で、私には当てはまりませんからね。ちょっとハルモニア、聞いてますか? なぜ目を合わせないのですか? いいからこっちを向きなさい」

 三十もの年下を相手にして、立派な大人の聖職者は一気に早口でまくし立てる。

 ただハルモニアは、口元を微かに緩め、「はい、承知致しました」と頷くだけで、これ以上は取り合う気がないようだ。

「もう一つ、意外に、と言えば失礼にあたるのかもしれませんが」と、話を次へと移してきた。

 パーン司祭としては言い聞かせ足りないのだが、肩で息をしてから「何です?」と、仕方なしに応じた。


「別に弱くはないのですね、オルフェ先生」

 僅かにではあるが、その口調には落胆の色が混じっていた。パーン司祭は気付いたが流して、「ああ、それはそうですよ」と応えた。

「先生は六年、いやもう七年になりますか。ニンフの森に入るようになって。あの広い森を朝早くから、日が暮れ始めるまで歩き回ってますからね。じゅうにも幾度、襲われてきたのでしょうか。鍛えられもしますよ。本人はあまり自覚していないようですが」

 オルフェが自身と比較するのがカロンやニクスで、それは単純に相手が悪いというだけの話である。

 先ほどニクスは、隙があったから、などと誤魔化していたが、一瞬、確かに本気になっていた。

 つまりオルフェは、本人が卑下するほどに弱くはないのである。


「それに、その」と、ハルモニアは言いにくそうに口にする。

「もっと腰が引けた感じかとも思ったですが、臆する様子がないのも意外でした。もちろんそれは、ニクスに対する信頼が大きいのでしょうが」

「アテが外れましたか?」

「え?」

 ハルモニアは虚をつかれた顔を向けた。

 パーン司祭には彼女の思惑が透けて見えていた。一度は聞き流したが堪えられず、不快な感情が固い声の質となって、表に出てきてしまった。

「あなたは、先生の情けない姿が拝めるのを期待して、それで見学に訪れたのではありませんか?」

「いえ、そのようなことは」

 ハルモニアは彼女にしては珍しく、動揺した様子で首を横に振り、そして顔を隠すように俯けた。それは認めたも同然の反応だ。

 パーン司祭は、垂れ下がり気味の目に角を立てた。これもまた、寛大な聖職者には珍しいことだった。

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