表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/76

(三)ノ2

 パーン司祭は、司祭館から礼拝堂へとつながる外回廊に出て、石畳を敷き詰めただけの中庭を望んだ。

 その中央では既に、オルフェとニクスの二人が対峙している。


 腰を低く落としているのがオルフェ。逆手に持つ短剣の刃をニクスへと向ける。

 アッシュブロンドの長髪は、体を動かすのに備えてだろう、朱色の組み紐で、ポニーテイルに結い直されていた。


 一方のニクスは木刀を中段に構え、その切先でオルフェをけん制した。

 まだ十八歳と、少年の面差しを残すニクスは小柄ではあるが、袖なしのチュニックからむき出しの腕は力瘤が逞しい。単純な力比べに限れば、カロンを凌ぐほどに、この若者は強かった。

 そんなニクスを相手にして、オルフェはこれまで度々手合せで挑んできた。森に入る際に自分の身ぐらいは守れるようになりたいと、その為に続けてきた鍛錬である。


 二人の実力差からすれば、それは定番の歌劇のように結末の見えるものだが、それでもそんな舞台にも、今日は珍しい観客の姿があった。

 何の気まぐれか修道女シスターのハルモニアだ。彼女は中庭の端で、石を長方形に切り出しただけのベンチに腰掛けていた。


「横を、失礼しますよ」

 パーン司祭は断りを入れて、彼女と同じベンチに肩を並べて座った。「どっこいしょ」と、年寄りくさいと思いながらも、つい口に出してしまう。

「珍しいですね、あなたが――。どういう風の吹き回しです?」

 パーン司祭は思ったままを訪ねた。ハルモニアはチラリと横目を向けてから、またすぐに視線を戻し、「いえ」と無表情に応えた。

「特に、理由は。少し中途半端に時間が出来ましたので。こちらにある本はあらかた読み終えてしまいましたし」

 なにか言い訳じみて聞こえたが、深追いすれば怒られそうなので、パーン司祭は「そうですか」とだけ返し、意識を前へと向けた。


「先生、良いっすか? いきますよ」

「ああ、遠慮はいらない。どんどんと来てくれ」

 オルフェが応えると、ニクスは幼さのある顔にニヤリと、悪戯っ子の笑みを浮かべた。

「じゃあ、ちゃんと防いでください、ね」

 言い終わらぬうちから身軽に跳び、あっという間にオルフェの横へとつけてきた。

「右っ!」

 掛け声と共に木刀を薙いだ。

 オルフェは辛うじて躱すが、もう反対側へと立ち位置を変えたニクスが、「はいっ、左!」と続けて打ちつけてくる。今度はそれを短剣で凌ぐ。

「いい感じっすよ、先生。上からいきます」

 ニクスは高く跳び、オルフェの頭上から木刀を振り下ろした。

「ほいっ」と、ニクスはごく軽くといった感じだが、それでもオルフェの細腕には重すぎたようだ。


「くっ!」

 短剣で受け止めたものの、堪えきれずに腰を落として片膝をついた。オルフェの動きが止まった。

「まだまだあ」

 しかしニクスは、それでも攻勢の手を緩めない。片足で着地すると、不十分な体勢もお構いなしに、オルフェの顔面へと木刀を叩き込む。

「うわあっ!」

 端正な顔が崩れ、思わずといった声が上がる。既の所でオルフェは上体を仰けに反らして躱すと、そのまま石畳の上を転がった。

 すぐに体を起こそうとしたが腰を上げきれずに、結局はへたれ込み、しりもちをつく格好となる。

 ニクスは、ほうと息を吐き、一連の動きを止めた。


「やるじゃないっすか、先生。ちゃんと反応出来てたっすよ」

「今のは意地が悪いぞ。どこを狙うのか言ってくれていない」

じゅうがわざわざ予告して仕掛けてくるわけないでしょ。先生はオレの掛け声をアテにし過ぎっすよ」

「それでもニクス、少しやりすぎだと思わないか? 危ないじゃないか」

「遠慮するなって言ったの、先生っすよ」

「言葉はそのまま受け取るものでない。遠慮してくれ」

「鍛錬にならないっすよ、そんなの」

 ニクスは木刀を肩に担ぎながら呆れ顔になった。


 そんな二人のやり取りに、パーン司祭は思わず苦笑をもらした。

 ニクスはああ言ったが、実際のところ充分に遠慮して手加減していた。オルフェがどうにかこうにか凌げたのも、ニクスが寸前で勢いを緩めていたからだ。

 当事者オルフェはともかく、傍から見ていれば分かりやすい。それは荒事とは縁遠いハルモニアですら、そうと察せられるものだったようだ。


「ニクスは随分と強いのですね。驚きました」

 ハルモニアは感想を述べた。ただし、驚いたという言葉の割には、平坦な口調にさほどの熱量はない。

「ええ、あの子は体が小さかった所為もあり、それはもう、懸命に鍛錬を積んできましたからね」

 ニクスを息子同然に思うパーン司祭は、小鼻を蠢かすようにして応えた。

「何故、でしょうか?」

「何故とは?」

「いえ、どうしてそのように鍛える必要があったのかと」

「ほう」

 パーン司祭は意外に思い、それを声に出した。なにか? とハルモニアが顔を向けてくる。

「いや、失礼。まさかあなたが、ニクスに興味を持ってくれるとは思わなかったもので」

「興味? ああ、いえ、違います。ただの疑問です。下男の立場で強くあろうとする必要性が思い浮かびません。それで尋ねてみただけです」

「そうですか。ただの疑問――、ですか」

 にわかに期待した分だけ「まあ、そうなのでしょうねえ」と、パーン司祭は小さな落胆の息をつく。

「まあ、お答えしますと、私の代りに先生の護衛役を務める為、といったところでしょうか」

「先生とは、オルフェ先生のことですね。代り……、えっ、まさか司祭様がですか?」

 ハルモニアの声色が、ようやく感情を含むものへと変わった。

「ええ、そうですよ。私は先生の最初の護衛役でした。先生が森に入る際には守る者が必要です。もちろん護衛も命がけですからね。村人の誰かに気安く頼めるものではありません。まあそれは建前で、一番は私が自分でやりたかっただけですが」

「そんな……、司祭様のお立場でそのような危険な真似。あまりに安易ではありませんか」

 ハルモニアは言葉に非難の色を隠そうとはしなかった。それも無理のないことだと、パーン司祭は思った。


 『司祭』とは、神職における祭式のほぼすべてを行う権限を有し、階級は上位に属する。

 ハルモニアがムーサイの赴任に際して与されたのは『助祭』。その一つ上なだけとはいえ、それでも祭式の補助程度しか許されない彼女とでは、立場の違いに天と地ほどの隔たりがある。


「そうですね。おっしゃる通りです。ニクスにも同じように苦言を呈されました。まだあの子が子供と呼べる歳の頃にです。しかし私は聞き入れませんでした。先生を守るのは私の責務と思っていましたから」

「どうしてでしょうか? 何故、あのようなも――、いえ、オルフェ先生の為に、司祭様が体を張らなくてはならなかったのですか?」

「ニクスはあなたみたいに言いませんでしたね。一言も。あの子は子供ながらに理解していましたよ。先生がなさっていることの大切さを。そして誰かが先生を守らねばならないことも。だからこそ、あの子はがむしゃらに鍛えたのです」


 ハルモニアは押し黙った。彼女は嫌いな苦瓜をしぶしぶ口にした時のように、眉間に皺を寄せて難しい顔となった。パーン司祭の言葉を、懸命に咀嚼しているのだ。

 やがてハルモニアは、「ああ」と声を上げた。合点がいったようだ。


「それではニクスは、司祭様の為に自らが護衛の役目を担おうと?」

 パーン司祭は頷いた。

「はい、ご明察です。なのでニクスは強くなる必要があったのです。私よりもずっと。先生の護衛は自分の方がよほど適任だと、私をそう説得する為に。私を危険から遠ざけようとしてくれたのです」

「そうでしたか、司祭様の身を案じてでしたか」

 ハルモニアは納得の声をあげ、視線を前方の二人へと向けた。

「それはとても殊勝なことです」と、感心した口調になって言った。司祭という敬うべき対象へのニクスの献身に、彼女は満足した様子だ。

 ただ本当のことを言えば、そればかりが理由ではなかった。しかしそれを、今は彼女には告げないでおこうとパーン司祭は思った。


 ――あの子は危うい。

 オルフェは、ニクスをそう評した。それはパーン司祭も同意見だった。

 パーン司祭は、軽快に動き回るニクスへと意識を向ける。


「先生の後ろ、もーらい」

 オルフェの背後を取り、「へへん」と得意気なニクス。オルフェは、ぐぬぬ、と悔しがっている。

 ニクスは、とても楽しそうだ。

 こうやって屈託なく笑うニクスの姿は、パーン司祭にとって感慨深いものだった。


 ニクスとは長い年月を共に暮らしてきた。立場は下男としてだが、貞潔を誓う聖職者として独身を貫くパーン司祭にとって、彼は息子も同然の存在である。

 顔立ちこそ未だに少年であるものの、本当に逞しく育った。

 髪の色は茶トラのようにムラがあり、毛質が固く、威嚇するネコさながらに逆立っている。身長はあまり伸びず、立ち並んだオルフェの目の高さにも届かない。

 彼が今踏みしめている石畳。その隙間からは雑草が立っていた。いくら抜いても、またすぐに伸びてくる。

 あの子も同じだな、とパーン司祭は思った。根が強い。


 村の力自慢の大人たちが、子供の頃のニクスの特訓相手だった。最初はまったく歯が立たなかった。何度も負けた。

 幾度となく叩きのめされたが、またすぐに立ち向かっていく。負けん気の強さは当時から一人前。そうやってニクスは強くなったのだ。

 そんな彼を森から遠ざけさせたのは、実はパーン司祭だった。


 これはニクスも知らないことで、もしそうと分かれば彼はどのような反応を示すのだろうか? 気持ちを知りながらどうしてと、詰め寄ってくるのかもしれない。

 しかしそれでも、ニクスがそうであったように、パーン司祭もまた、ニクスの身を案じた。親を目の前でじゅうに殺されたあの子には、森に入ってほしくなかった。

 森で獣に殺された人間は、ほぼ例外なく連れ去られ、そして喰われる。ニクスは親を弔うことすら出来なかった。


 だからニクスは、獣に対して強い加虐性を見せるようになった。

 実の親の断末魔の叫び、そして血まみれの死に顔。力なく項垂れ、森の奥へと消えていく――

 薄れることのない記憶が感情を支配し、自身を見失う。オルフェの制止に耳も貸さず、人格が変わってしまうほどに。

 そんな森での様子に、オルフェからは再三にわたって相談を受けた。あの子は危うい、と。

 パーン司祭は理解した。ニクスが強くなったのは、パーン司祭やオルフェを自分の親と同じ目に合わせたくないから。そして同時に、自身の手で獣をひたすら殺す為。


 ニクスを森にやるのは間違いだった。パーン司祭は誤りに気付いて後悔した。

 しかしもう、中年司祭ではニクスに取って代わるのは不可能だった。強くなった彼に、村で敵う者など誰もいなくなってしまっていた。

 だからニクスは、オルフェの護衛役として一番の適任者であり続けたのだ。

 カロンが、この村に居つくようになる前までは――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ