北風エルフの女王さま 4
デッドさんが、かのエルフの女王――
俺は声をなくし、上座に居座るデッドさんを見上げた。
言われてみると、どことなくそんな気品が――ない。まったくない。悲しいほどない。
唯一、肩に羽織られた新緑色の羽衣がそれっぽい雰囲気を醸し出しているが、完全に後づけのもので……中身はまるっきりこれまで見てきたデッドさんだ。
「驚いたみてーだな?」
してやったとばかりのドヤ顔が、ことさら残酷な現実を押し付けてくる。
傍若無人で口が悪く、始終にやけ顔で、悪戯っ子そのままの言動。
今も片膝を立てたまま大股開きで座るあられもない姿であるものの、これっぽっちの色気も感じない。
自然と共に生きることを信条とし、気位が高く、孤高で高潔なる種族――エルフ。
そして、そんな彼ら一族を統べるのは、溢れんばかりの気品と風格に加えて、清楚さの中にも他者を魅了する色香まで兼ね備えた――女王。
勝手な妄想で申し訳ないけども、ファンタジーの定番住人として固定観念が定着してきた昨今、万人が”エルフの女王”という言葉で思い描くのは、そうした姿ではないだろうか。
というか、そういうものだと信じていた。
「……口調は変わらないんですか?」
枯れた喉からどうにか声を絞り出す。
自覚以上に衝撃は大きかったらしいが――ただ最低限、これだけは確認しておきたい。
誰しも譲れないラインというものがある。いや、縋りたいと言い換えてもいい。
「は? なんで?」
「ええと、普段はそうでも、女王として立ち居振る舞うときは、一人称が『妾』に変わるとか。尊大な物言いになったり、芝居がかった口調になるとか、そういうのです」
「意味あんのか、それ? めんどくさいだけじゃねー?」
「ギャップ的なものというか」
「? 知らん。よくわかんねー」
「……そうですか」
そんな俺の最後の願いもあえなく潰えた。
デッドさんには、ギャップ萌えとかもあり得ないらしい。
これまで憧れていたエルフの女王像が音を立てて崩れ去るのを幻視した。
夢も希望も潰えてしまった。これ以上、なにかを望むのは諦めた。
つまり、肩書きがどう変わろうとも、デッドさんはありのままのデッドさんでしかなかったわけだ。
「……どうした、アキ、生きてっか?」
床に突っ伏す俺に、デッドさんもさすがに怪訝そうに首を傾げていた。
「ええ、なんとか。お構いなく……ちなみに、叔父さんもこのことを知ってたんですか?」
「ああ。ちょっと前に、いちど連れてきたかんな」
そのちょっと前って、10年以上前ですよね。
「そうそう、思い出した! あんのやろー、失礼なことにも女王であるこのあたいを捉まえて、『んな色気もねえ女王がいるか』とか言いやがったんだぜ、しかも真顔で! ひでーと思わねえ!?」
すみません、俺もおんなじこと思いました。とても言えないけれど。
なので、さり気なくスルーすることにした。
「叔父さんも知っていたのなら、わざわざここまで来なくても、あの場で言ってくれるとよかったのに」
それならまだ、傷が浅かった気もするし。
「そりゃあれだ、様式美ってやつさね。ま、実際にはあんときも言ったけど――『奉納の儀』に関することは、外界で口にできないってことが大部分だったりすんだけどよ」
「お待ちください、おひいさま!」
突然、横槍が入る。
その人物は声だけでなく、身体ごと俺とデッドさんの中間に割り込んできた。
女王の間にいたエルフたちの中でも、ひときわ威厳に満ちた男性のエルフだった。
男性とはいっても、やや中性的な均整の取れた顔立ちをしており、容貌は人間にあてはめると、せいぜい20代後半程度と若々しい。
しかし、見た目通りの年齢でないことは、その瞳に秘められた洗練された知性の光から見て取れた。
一糸乱れぬ几帳面さで背中に流した美しい金髪に、長く伸びたエルフ耳。
後ろ手を組み、痩身ながらも毅然とした立ち居振る舞い。
他種族を見下すような排他的で厳めしい表情――いかにもプライドが高そうで、こちらはいかにもなテンプレのエルフだった。
他の重鎮たちが押し黙って口出ししないことからも、かなりの発言力を有していると推察できた。
「あ、コレ、最長老のディラブローゼスね。長ったらしいからディブロでいいぜ。んで、こっちがアキトな。短けーけどアキでいいぞ」
「誰も紹介してほしいなどとは、申しておりません!」
コレ呼ばわりはいいんだ。
「通達なしに郷を飛び出した挙句、知らせもなく唐突な帰還――奔放が過ぎるのではありませぬかな!?」
ディラブローゼスというエルフが声を荒げると、デッドさんは口を尖らせて、そっぽを向いてしまった。
しかし、それだけでは収まらず、今度は厳しい眼差しがこちらに向けられる。
「またしても、このような人間を神聖なるエルフの郷に連れてきて――しかも、風の加護まで与えようとは!」
その指摘に、デッドさんが目を丸くしていた。
もしやと思ったが、バレてないと信じていたらしい。
「さらには、あろうことか『奉納の儀』について、お話ししようとなさいませんでしたか? いったい、どういうおつもりか!」
矢のような追及に、さしものデッドさんもタジタジで、苦笑を浮かべている。
「いや~。例の案件があったろ? 協力依頼しようと連れてきたんだけど」
「なあ――!?」
ディラブローゼスさんが絶句した。
数秒も間を空けてから、
「なにを馬鹿なことを仰られているのか、おひいさまは! よもや、先の会議で仰っておられたこと、本気であったと!? 外界の――しかも人間を頼るなど、言語道断です!! 人間など、この神聖なる郷からすぐさま追い出して然るべきですぞ!?」
ついに大爆発。
デッドさんは反応を予想していたのか、早々に両耳の穴に指を突っ込んでいた。
ディラブローゼスさんの俺を見る視線が蔑みに変わる。
瞳に宿るのは、もはや明確なる敵意だった。
「いや、なんで嬉しそうなんだよ、アキ?」
「そう? そんなことないけど」
言いつつも、にやけてしまっているのは自覚できた。
そういう特殊な趣味はないが、これぞエルフとの邂逅、という感じがしないでもない。
先ほど手痛く裏切られただけに、ちょっと嬉しくなってしまう。
「だから、私はかねてより反対だったのです、必要以上におひいさまが外界に関わるのは! 冒険者なぞ野蛮な真似をして、あの美しかった耳の片方を失ってしまう取り返しのつかない始末――汚れた世俗の悪影響で、あの純粋で純心だったおひいさまが、こんな擦れた言動を取られるように……うう、元教育係としても、遺憾の極み! 外界に触れるには、おひいさまはまだ若すぎて未熟なのです! ここは一度初心に立ち戻って、再教育からはじめましょう! ぜひ!」
「あー! うっせー、うっせー! 超うっせー! 聞き飽きたってーの!」
5世紀くらい生きてる相手を子供扱いとは、まさに驚愕だ。
説教というか、もはや愚痴の領域に、こちらの置いてけぼり感がすごい。
親と子、兄と妹、はたまた先生と教え子か。ふたりの関係性はよくわかったが、話が先に進む気配が見えないのが困りものだった。