北風エルフの女王さま 1
エルフの郷は、正式名称としては『北妖精の森林』と呼ばれている場所だった。
北妖精というからには東西や南もあるか、との問いに、デッドさんからの回答はYESであり、この世界でエルフは大まかに4種に分類されているとのことだった。
その中でもデッドさんは北エルフに属しており、風と水の精霊との親交が厚いエルフの中でも、北エルフは特に風の精霊と親密な関係にあるため、『北風エルフ』と称されることもあるらしい。
そんな豆知識を聞きながら、俺たちは森の入り口とでも呼べそうな、深い木々の生い茂る場所の前に立っていた。
背後の平原から一変――大地を深緑の線で区切ったかのように、前方には広大な森が広がっている。
この先にエルフが住んでいると考えただけで、思わず喉が鳴る。
これから憧れのエルフに出会えるのだから、高揚を抑えきれないのも仕方ないというものだ。
繰り返すが、決してデッドさんがどうこうというわけではない。たぶん。
なにせ、今回の件で異世界を見て回れると期待したはいいものの、想像以上だった疾風丸と精霊魔法のコラボにより、旅がただの移動になってしまった。
鈍行列車で行くぶらり旅のはずが、新幹線に乗り換えてしまったことで、ほぼ防音壁とトンネルばかりで景色すら碌に見れずじまいだった、というと伝わりやすいか。
途中では、集落や村や町、大規模な街なども遠目に見かけたが、すべて素通りだった。
安全無事かつ迅速な移動手段の確保にこそ苦悩するこちらの人々にとっては、贅沢極まりない文句だろうが、頭での理性的な部分ではともかく、異世界での旅路を楽しみにしていた心情的にはどうにも残念でならない。
ちなみに、簡単に精霊の加護が得られるなら、異世界の交通事情も改善するのではと、デッドさんに今現在で風の加護を受けている人間が、どれだけいるかを訊いてみたところ――両手の指の数もいないだろうとの回答だった。
成り行きによる不可抗力だったにせよ、なんだかすごく申し訳ない。
デッドさんを先頭に、俺たちは森に足を踏み入れた。
当たり前のことだが、周囲には薄暗い木々の群れが広がっている。
この辺りは森の外周部で、実際のエルフの住む場所は、森の中央部――ここからさらに3時間ほども中に入ったところにあるらしい。
スマホの時間で今は16時。
今からだと、ぎりぎり日没には間に合う時間帯だろう。
一見しただけで、バギーの走行に適する場所ではなかったので、木々に埋もれた程よいスペースを見つけて停車させて、意味があるかはわからないが一応鍵をかけておく。
念のため、デッドさんが目隠しの魔法も施してくれたので、盗まれる心配はないだろう。
積んでいた3つの保温バッグの内、ふたつはそのままに、残るもうひとつを肩に担ぐ。
さすがはエルフの住む森だけあって、そこは森というよりも樹海だった。
まともに日の差し込む隙間もないほどに鬱蒼としており、樹齢数百年だかの大樹の枝々が入り組み、迷路のような立体的な構造を形作っていた。
実際、地面には障害物もろもろで通れない場所も多く、デッドさんは慣れた様子で枝葉や幹を足場として、身軽に歩を進めている。
俺も習ったばかりの精霊魔法のおかげで、不恰好にせよなんとか後についていけていた。
ふと思うが、これって精霊の加護を受けていなかったら、身体強化の魔石のアシストがあっても、進むなんて絶対に無理な気がするが。
「おーおー、やんじゃねえの、アキ!」
先導するデッドさんが、駆ける足はそのままに、顔だけわずかに振り返って笑っていた。
「もっと、おたおたするかと思ったんだけどな。風の精霊との親和性も高くて、結構なこった!」
「そ、そう? かなり、いっぱいいっぱいな気が……」
「要は、慣れだな慣れ! アキなら、すぐに慣れるって! この森なら精霊力が強いから、精霊の姿も見えるんじゃねー? ほれ、その肩のとことか」
言われて目を向けると、肩口のところで、ほんのり光る球状のものが瞬いていた。
さらに意識を集中することで、輪郭だけがぼんやりと浮かぶ。それは全長5センチほどの、背中に翅をもつ人型をしていた。
目と目があったのかはわからないが、思わず見入っていると、その人型はもじもじと身を揺らした後、ぺこりとお辞儀した。
「あ。これはどうも、ご丁寧に」
つられてこちらも頭を下げる。
「いやあ~、正直、助かったぜ! 森に着いてからのことは、なんも考えてなかったかんな! いざとなりゃあ、アキをおんぶして行くしかないと、覚悟してたんだけどな! さすがは、あたい! きっとこれ見越して、アキに加護を与えたんだろーなあ! にひひっ」
かなり適当な気がするが、それがこのデッドさんというエルフの本質であり魅力なのだろう。
それにしても、そんな状況にならなくて本当によかったと思う。
年齢はさておくとしても、ふたりでは大人と小学校低学年ほどの体格差がある。
女子小学生に背負われる姿を想像しただけで、情けないを通り越して犯罪チックだろう。知人にはとてもお見せできない。