黎明の勇者
時代は魔族との苛烈な戦争の真っ只中。
魔王率いる魔王軍の猛攻の前に、劣勢に立たされつつあった人類は、希望となる英傑の登場を求めていた。
すなわち、軍に於いては英雄、在野に於いては勇者の存在である。
国民戦意昂揚の活力材として、世には数多の英雄や勇者が溢れていた。
それは国の苦肉の策でもあり、実際には有名無実の者も多かったのは否めない。
そんな中、真の勇者として活目されていたのが、日出処の『黎明の勇者』と名高き、フェレスト・アールズその人である。
名家アールズ家の御曹司にして、『南方要塞』の異名を持つ、軍の英雄フェブラント・アールズ伯爵の嫡男として、名実共に武勇に秀でた立派な人格者だった。
貴族とは兵を率いる旗印であるべし、まして前線に単身赴き戦うなど貴族にあるまじき言語道断――それを旨とする父のフェブラント伯とは折り合いが悪く、早くから家を出て世俗に混じり、勘当同然の身ではあった。
しかし、フェレストは一向に意に介さず、「大勢の人々を守るのは父に任せよう。ならば自分は、見落とされてしまった少数の人を救おう」とあっけらかんと宣言していたほどだ。
そして、黎明の勇者フェレストには、常に陰となり彼を支える女性がいた。
得物の薙刀の銘と同じ『月光』のふたつ名を持つ腕利きの冒険者にして、のちに彼の妻となる人物、メルティ・アールズである。
やがて、『黎明の勇者』とは、このふたりを指す代名詞となった。
「叔父さんは『辺境の勇者』って呼ばれていたんでしょ?」
「俺よりも、あの人たちが勇者としてもずっと先輩だったさ。王都でも名高き日出処の勇者に対して、俺のほうは駆け出しで、しかも碌に中央の言うことも聞かない辺境の蛮徒って意味の蔑称だったからな」
貴族にして勇者。
中央からの覚えがいいとはいえ、フェレストたちは、決して他人を見下したり、出自で差別する俗物ではなかった。
むしろ、民衆の中にあって、ノブレス・オブリージュを実現する稀有な存在だったといえよう。
戦友との絆を大切にし、未熟な者には戦う術を教え、孤立する者には輪を説いた。
そうして貴族という身分は関係ないところで、独自の人柄を以って信頼置ける仲間を集め、絆を積み上げ、強力なパーティを構築していた。
魔獣や魔物はもちろん、対魔族戦闘でも無敗を誇り、国軍が魔王軍を押し留めている間に、勇者パーティが敵主要陣営を強襲、打倒することで戦を有利に進める必勝パターンまで確立し、人類側の勝利に大きく貢献していた。
皮肉にも父親のフェブラント伯が否定したことを、息子のフェレストは確固たる実績を以って覆してみせたのである。
「俺も駆け出しの頃、一時的にだが、黎明の勇者パーティには世話になったことがある。あのパーティの面々は、変人――あ、いや、個性的な連中も多かったが、魔族との戦争で殺伐とした世の中にあって、なんか人間的な温かみを感じる人らばっかでよ。多分、馬鹿みたいに前向きな、あのふたりが中心にいることで、自然と周りをそうさせてたんだろうなぁ……右も左もわからない異界人の俺に、いろんなノウハウを教えてくれたのも彼らだ。あのパーティのおかげで、今の俺があるといってもおかしくないしな」
「なんか、嬉しそうだね。ノウハウと言ったら、デッドさんも教えたそうたけど、デッドさんもそのパーティにいたとか?」
「あー……ほんの短い間だったがいたな。だが度胸試しと、ど新人を高ランクの難所に連れて行き、あまつさえ忘れて置いて帰るようなのは、ノウハウを教えるとは言わん。思い返しても悪夢だ……」
なにやってるんだ、あの人は。
「しかもパーティの隠密作戦行動中に、テンション上がりすぎて敵陣に単独突貫。巻き添えで勇者パーティを壊滅させかけた馬鹿はあいつくらいだな」
だから、なにやってんだ、あの女王は。
「俺にはカルディナを離れられない理由があったからな。ほんの1年ばかしで、戦線が押され始めた北方に向かう皆とは別れることになったんだが……まさかそれが、今生の別れになるとは思っていなかった」
黎明の勇者パーティが参戦した戦場は、ことごとく勝利を収めていた。
その頃には大抵の名ばかりだった勇者もどきはなりを潜め、彼らは唯一無二の勇者として持て囃されていた。
国からの期待も厚く、もはや魔王を打倒し得るのは黎明の勇者だと、誰もが疑っていなかったほどだ。
しかし、その希望の光は、あっさりと踏み躙られた。
合わせ鏡の悪魔――
その名は、以前から様々な場所で囁かれていた魔族の存在だ。
曰く、死を弄ぶ無邪気な悪魔。
曰く、負念を振り撒く死神。
悪魔にとって、他人の身体は玩具、命は遊びに費やされるものでしかない。
そんな最低最悪の存在。
合わせ鏡の悪魔に見初められると非業の死を遂げる。
仲間内では、そんな都市伝説並みの噂があった。
突如として勇者パーティの前に現われた合わせ鏡の悪魔は、ひとりひとりと真綿で首を絞めるように、パーティメンバーを削り落としていった。
もともと魔族の性格として、生来の強大な力を持つがゆえ、己が力を妄信し、直情的に突き進む傾向がある。
それは戦に於いて、戦術でも戦略でも同様だ。
だからこそ、個の力で劣る人間が善戦できている。
そんな前提を嘲笑うかのように、合わせ鏡の悪魔は搦め手ばかりを用いる。
罠を仕掛け、疑心を煽り、謀略を張り巡らせる。
ときには、まったく無意味とも取れる行動を起こし、撹乱し、困惑させる。
まさに、悪魔の所業。
「俺が皆の危機を聞きつけ、助勢に駆けつけたときは、すべてが遅かった……残されたパーティメンバーが、奴らの掌で踊らされ、狂い殺し合うさまと……正気を保っていた最後のふたり、フェレストとメルティが卑劣な罠に嵌り、絶命するのを見ていることしかできなかった……」
「卑劣な罠……」
「悪魔どもはふたりの愛息子をかどわかし、人質に取った。そして……」
「そして……?」
「……いや。そのまま命を落とすことになった」
「ということは、もしかして……小さな子供だったフェブは、目の前で両親を殺されたってこと……?」
叔父は重々しく頷いた。
(なんてことだ……)
フェブはおそらく当時、まだ3、4歳程度の幼子だったはず。
それで昨晩、城の天窓から盗み聞いたこととイメージが一致した。
あの副団長が言っていた、抜け殻のようだったというフェブの状況も無理がない。
両親の存在が世界のすべてと言っても過言ではない年齢で、目の前でその両親を奪われるとは如何ばかりのものだろう。
フェブが魔族に憎しみを抱く気持ちも理解できる。
「――ちょっと待って。だったら、もし今度もその『合わせ鏡の悪魔』が関わっているとしたら、両親に続いて、今度はフェブ自身が、ってこと……?」
「そうだ。だから裏でどんな目論見があるにしろ、必ず止めんといかん。もしそんなことになったら……命を張ったあの人たちが、浮かばれなさ過ぎる」
叔父が握り拳を掲げた。
「止めるぞ、秋人。力を貸してくれ」
「もちろんだよ。やろう、叔父さん!」
その拳に拳を合わせる。
非凡な叔父と違い、凡人である俺には、どこまでなにがやれるのかわからない。
しかし、わからなくても、やらなくてはいけないときもある。それが今だろう。
まして、あの叔父が頼ってくれるのだ。
自分よりも、信頼してくれる叔父を信じよう。
俺は固く心に誓った。