ベルデンへ向けて
天候にも恵まれ、ベルデン城郭都市へ向けた行程は順調だった。
初の長距離運転になる新生・疾風丸も快調で、風の魔法石を噴かすとよく応えてくれている。
大きな街道だけあって、行き交う旅人や行商人の姿も多い。
大半が徒歩、たまに荷馬車や乗り合い馬車なんてものも目にするが、その横を猛スピードで追い越してゆく。
さすがにこの速度では、万一事故った場合に相手側がとんでもないことになるので、街道から付かず離れずといった距離を保って走行している。
初めて見かけるバギーの造形に、通り過ぎる人々は物珍しさに目を丸くしていたが、それもすれ違いざまの数瞬だけだ。あまりの速度差に、あっさりと過ぎ去る風景に同化して見えなくなる。
現在の時刻は午後2時。このペースなら到着は午後4時頃といったところか。
本来の予定では、今頃、目的地のベルデンに着いている予定だったのだが、2時間ばかり時間が押してしまっている。
行程自体は順調なのだが、出発時に少々トラブルがあって遅れてしまった。
簡単に言うと、疾風丸の荷台のケースに紛れ、リオちゃんがまたもや潜り込んできてしまっていたのだ。
いつぞやの大八車のときの再現である。
どうも、叔父との打ち合わせを聞いていたようで――というか、膝に抱いていたリオちゃんの頭の上で思いっ切り話し込んでいたので、詳細を知られてしまうのは当然だった。
好奇心旺盛なリオちゃんが興味を持ってしまうのもまた然り。
きっと、俺が楽しそうに話していたのが伝播してしまったに違いない。
前回と違い、いくらなんでも連れて行くわけにもいかず、リオちゃんの泣き落としにも耐えて、急いで家へと舞い戻った。
庭のところでリオちゃんがいなくなって慌てていた叔父と鉢合わせし、今度がリオちゃんが叔父に泣きつくものだから、もう大混乱だった。
泣くわ喚くわ暴れるわの愛娘に、叔父はもうたじたじだった。
ふたりがかりで説得しようにも、てんで聞き入れようとすらしない。近頃では類を見ない駄々っ子ぶりだった。
挙句の果てには「ぱぱ、きらい!」の最終兵器すら飛び出して、叔父の絶望感が凄かった。
直立したまま卒倒する場面なんてのも初めてだ。こうなっては、勇者も魔王もあったものではない。
それは、所用で家を空けていたリィズさんが帰宅するまで続いた。
なおも駄々をこねる娘に対して、母が発したのはたった一言――
「駄目です」
家の守護神たる母の言葉は絶対だった。
あれだけ猛威を振るっていた従姉妹が見る間にしゅるしゅると縮こまり、しゅんとなって小さく頷いていた。
「偉いわね。今日はリオの好きなおやつを作ってあげましょうね」
「……あい!」
フォローも完璧だった。
母娘は和解し、和気藹々と手を繋いで家の中へと消えていった。
そして、庭に残された野郎ふたり。肩を組んで笑いつつ、傷を舐めあったのは言うまでもない。
なんてことがありまして。
ベルデン城郭都市に着いたのは、予想通りというか、だいぶ陽も傾いた頃だった。
城郭都市と呼ばれるだけあって、カルディナとは比べ物にならないくらいに周囲を取り囲む城壁が高く頑強そうに見えた。
さらには城壁のすぐ手前は断崖となっており、南の一大防衛拠点と称されていたのも頷ける。
おそらくは、都市を建築してから云々というよりは、もともと崖に囲まれた立地を選んで、後から都市が建築されたのだろう。
都市へ渡る手段はひとつしかなく、崖を跨いで架けられた跳ね橋だけだ。
戦時中では、橋さえ防衛しておけば、もはや空を飛ぶくらいしか侵入手段がなくなる。
まさに鉄壁の城郭都市だ。
跳ね橋の袂には、都市への入り口が見える。橋と都市の入り口が直結している形だ。
門扉が見当たらないことからも、跳ね橋がそのまま扉の役目も果たしているのだろう。
たしかに、わざわざ入り口を閉ざさずとも、橋を上げてしまえば事足りる。侵攻側からしてみれば、下手な門扉よりはよほど厄介に違いない。
土地の広さに制限があるため、カルディナの街より規模としては小さいが、外観の威容は桁違いだ。
高い城壁のさらに上に突き出た尖塔は、都市内にある城の一部だろう。尖塔の先端に太陽が重なり、周辺に陽光を撒き散らしている。
異国ならぬ異世界情緒に溢れ、写真に収めておきたいほどだった。
(よし、撮っとこ)
スマホのシャッターを切り、せっかくなので自慢したくて妹の春香に送信してみた。
怒りマークのスタンプだけ返ってきた。切ない。
ちょっと離れた高台から眺めると、都市の前には順番待ちの列ができていた。
並ぶのはいいとしても、だったら疾風丸をどうするのかという話になる。
異世界では見慣れないはずのバギーを、そもそも都市内に持ち込めるのかも怪しい。そこまで考えてはいなかった。
しばし悩んでから、疾風丸を手押しして、近くの茂みの陰に運ぶことにした。
北妖精の森林では、バギーを隠すのにエルフのデッドさんが目隠しの精霊魔法を使ってくれた。
薄い風の膜で対象を覆い、光の屈折率を変えて周囲の景色を投影させる――という魔法だったらしい。
どんな原理にせよ、そんな高等魔法なんて常人に使えるはずがない。
しかし、今の俺には見えなくても心強い味方がいる。
(精霊さん、お願いします!)
困ったときの精霊頼み。
ってことで、疾風丸を前に諸手を合わせて拝んでみた。
すると、見る間にバギーの輪郭がぼやけて完全に見えなくなってしまった。
手を伸ばすと感触があり、たしかにそこに在るのが、なにか変な感じだった。
「ありがとう。ほんっと助かるよ」
頼りっぱなしで申し訳ないので、今度は声に出して感謝を述べることにした。
ほんわかと、精霊が喜んでいるのが伝わってくる。
ふと……なにかが視界をかすめた気がして、辺りを見回したが特に異常はない。
強いて言うと、都市からの陽光の反射が眩しいくらいか。
「…………? ま、いいか。行こ」
疾風丸の荷台から取り出したリュックを背負い、意気揚々と跳ね橋を目指して歩き出した。