元いじめられっ子と親友の話
sideコウ
あっという間に夏休みが終わりそうだ。
今年はジンに連れられて、花火大会やキャンプ、プールに川に、とにかく夏の醍醐味と呼ばれる場所には全部行った。今日もジンがクラスの人らを誘ってみんなで海に来ていた。ビーチバレーやスイカ割りを楽しんで、日が暮れ始めた今からはバーベキューを始める。
和気藹々とした雰囲気を眺めながら、準備を一通り手伝ったオレは、なんとなく夕日に惹かれるようにして海辺まで歩き、みんなとは少し離れた場所に腰を下ろしていた。
日中暑い日差しも気にせず走り回って遊んだ疲れが、今になって少し出てきたようだ。離れる際、何処へ行くのかと声をかけられたがトイレということにした。すぐそこなのに、「気をつけてね」「早く帰ってこないと肉なくなるぞ」なんて声を掛けてくれるクラスメイトは優しくて暖かい。今までのオレじゃ考えられなかった光景の中にいる。
こんなに楽しい夏休みは数年ぶりだった。
昼間はあんなにいた海水浴客もほとんどが撤収し、眼前には朱に金を落としたような、ごうごうとした茜空と、その茜を映す穏やかな海が広がっている。日中、雲ひとつなく晴れ渡っていた空からは焼け付くような日差しが降り注ぎ、その陽光を浴び続けた肌は、海風を浴びると少しヒリヒリと心地良く痛んだ。
「コウ?」
「あぁ、ジン」
しばらく海を眺めていると、後ろから声をかけられた。振り返るとバーベキューの肉を頬張りながら、砂の上を小走りに駆け寄ってくるジンがいた。
「は(だ)いぶ遅いは(か)ら探しにひ(き)たらこんなとこで、んく。1人で黄昏ちゃって。なんか考え事?」
隣に腰を下ろし最後の一口を頬張りながら、いつものようにゆるりとした口調で話しかけてくる。
「串持ったまま走るなよ。・・・いや、まぁ、なんかさ。ちょっと前までは一日が死ぬほど長かったんだ。それなのに今は一瞬で過ぎていってる感じがしてな。こうやって日が暮れるのを惜しむようになるとはなぁってさ、何となく思って」
ジンとは高校に入ってから出会い仲良くなったが、ジンはオレが中学でいじめられていたことを知っている。バレたのは不本意だったが、その後、気持ちが落ち込みふさぎこむ度にそっと隣にきては静かに話を聞いてくれる。本人はそんな風に装ってはいないが、行動の端々から優しさが伝わってくる。態度で降り注がれる優しさに何度救われたことか。夏休みのこの怒涛の外出ラッシュも、夏休みに楽しかった思い出があまり思い出せないと零したオレへの気遣いだろう。直接本人には言わないが、感謝しても仕切れないほどに恩を感じている。
「一瞬か。うれしいねぇ良いことじゃん」
元から垂れている目元をさらに緩めて答えてくれる。
「そうだけど…なんか矛盾してるだろ」
「矛盾?」
食べ終わって役割を終えた串を片手で持て余しながらジンはオレの方を見る。
「あの頃は長くて苦しくて、早く過ぎてくれって思ってた一秒が、今じゃ知らない間に流れ過ぎていっててまだ終わりたくねぇなって思う。全然オレの望み通りじゃない。実際は感覚の違いだってことはわかってるけどさ。・・・オレのことを嫌いな神様が時間弄ってんじゃねぇか?って思ったり」
「はは、まぁ人生そんなもんでしょ」
「まあな。そうなんだよな。上手くいかないことの方がきっと多いんだ。でもさ、今それを受け入れちまったら、昔のオレが本当に一人ぼっちになりそうだ」
「昔のコウが?変なこというね」
笑いながらも優しい口調のまま話を促される。オレはいつも甘えてばかりで申し訳なくなるが、その見えない暖かさにどうしてももたれ掛かってしまう。
「オレさ、もう色々昔の根暗バレてるから言うけど、嫌なこととか悩み事があったら未来の自分に向けて手紙を書いてたんだ。誰に渡すでもなく引き出しにしまってるし、最近はあんまり書いてないけど」
「あぁ、アンジェ的な?」
「そ、アンジェ的な。今の自分も未来の自分になら開けっぴろげに相談できるかなって。まぁ相談相手がいなかったってのもあるけど。未来の自分があの頃の俺の支えになってたんだ」
「へぇ、なんかいいね、映画みたい。じゃあその昔のコウの支えは今のコウでもあるんだね」
「!。そっか、よく考えたらそうなるのか。・・・なるのか?」
「なるんじゃない?だって楽しいんでしょ?今。」
答えはわかってる、と言いたげな視線をよこしながら聞いてくるので恥ずかしがるのも思う壺かと思い出来るだけ平然を装って答えた。
「ゔ、ん、まあな」
「俺と居れて??」
「ばかじゃねぇの」
「はは。じゃあ今のコウは昔のコウに返事、書いてあげなきゃね」
「返事…」
「今は辛いだろうけど、もうちょっと頑張れば楽しいことが待ってるよって。君の選択の先には安心できる未来があるってさ。きっと昔のコウもそう言ってくれるのを待ってるよ」
「・・・そっか、そうかも。久々に引き出しひっくり返してみるかな」
「ふふ。俺も悩んだらやってみようかな」
「お前は悩み無さそうだけどな」
「そんなこと言っちゃう?まぁ実際あんまり無いけどね」
「やっぱり無いんじゃねーか」
「あ・ん・ま・り、ね。俺だってたまには悩みますよーだ。・・・やっぱりいいや。俺は手紙じゃない方法にしよ。ね?コウ」
確認するように名前を呼ばれた。
「ん?」
「俺が悩んだら、その時はコウが話を聞いてくれるでしょ?なんてったってコウくんは“義理堅い”んだもんね??」
ジンは愉快そうに垂れ目を細め見つめてくる。
「ゔ…根に持ってんな。言っただろ先約があったんだごめんって。どうせ夏休みはほぼ毎日一緒だったろうが」
「はは。そうね、一緒だったね」
先約があったのは事実だが、ちょっとだけ申し訳ない気まずさで顔を正面へと逸らす。すると、嬉しそうに目を細めて笑っているジンが横目に見えた。なんというか、気恥ずかしいしむず痒い。でもそれと同時に安心もする。
「・・・それと、な」
オレは茜に染まる海を前にした体勢から、片手を後ろに着き、同じように隣で海を向いて座っていたジンの方に少しだけ身体を向けた。目線を合わせようと思ったが、すんでの所で躊躇してしまい、所在無く下方に視線を彷徨わせながら言葉を続けた。
「別に、その貸しが無くったって、オレはお前が話あるっていうなら、いつだって聞くからな。お前みたいに上手く答えられるかはわかんねぇけど、聞き役くらいにならなれる、と思う…」
慣れない自分の言動に言葉尻は揺らぎ、視線も未だぎこちない。それでも出来るだけ平然を装って伝えた。照れ臭いがこれは本心だ。お前が悩んでいるのなら、側に行って味方になりたい。お前がオレにしてくれたように。
さっきの意趣返しのつもりで、あくまで平静を装いながらジンの顔を伺い見る。すると垂れ目を丸く見開き、不意打ちをくらったような顔をしていた。ざまーみろだ。
「わお。・・・今日はやけに素直じゃない?懐の深い俺に惚れ直したりしちゃった?」
「ばーか。一度も惚れてねーわ」
「それは残念。へへ、まぁその時は頼んだよ」
「あぁ」
海からの風になびく前髪が視界をかすめ、再び視線を正面へと戻す。日も沈み、地平線の茜色が薄い紫に溶け、紺青へと馴染んでいくのが見えた。 どれくらい時間が経ったのだろう。そろそろ戻らないと本当に肉が無くなってしまうな、とぼんやり考えた。
本当に時間はあっという間に過ぎていく。
ジンの方を見ると、立たせた膝に肘を置き、手で顔を支えるようにしながら、オレと反対側の海岸を見ている。表情はもう見えなかったが、戻る気配もなくそのままそこに座っているようだった。
オレも何だか居心地の良さに、しばらく潮風に吹かれながら黙って隣に座っていた。
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今まで何度も頼ってばかりだったけど、オレだってお前に返したいんだ。
本当は入学してすぐに自分は学校を辞めるのだろうと漠然と思っていた。人と関わることが、新しい環境でまた拒絶されることがとても怖かったのだ。人との関わり方だってもうどうしたらいいのかわからなくなっていた。それが1年生から2年生へと進級でき、2年生から3年生になり、高校生活3度目の夏が来た。今こうしていられる現実を今でも夢じゃないかと思う。入学して、自分一人でも頑張らなければと自分を鼓舞し努力もしたが、それでもお前がいなかったらオレは途中で折れて塞ぎ込んだままだったと思う。お前が居てくれたから、今のこの穏やかな日々があるし、未来がある。
いつもニコニコとして物腰柔らかに話すお前が、不意に表情を落としたように情味のない顔つきになるのを知っている。それはたまたま廊下の奥にお前を見つけたときや、教室を出る際、身体を滑らせ扉を閉めるほんのわずかな瞬きの隙間に覗かせる。本当に一瞬だから声を掛ける暇もなく、口を開こうとした時には、既にお前はいつも通り、けろりと口元に弧を描いている。お前が何を感じて何を考えているのか、わからないこともある。でもオレを支えてくれた優しさは事実だ。オレはたくさん受け取った。だから、いつかお前がつまづいた時は必ず支えになりたい。お前が内側を見せたくないのならそれでもいい。オレはお前の軸がブレないように、外側から身体ごと添えて支えてやりたい。
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sideジン
コウは過去のことを辛そうに、苦しそうに話すけど、俺は運命の必然だったと思ってる。もちろんお前の痛みや苦しみは計り知れないものだっていうこともわかってる。淀みに捕らわれ続けるお前が、苦しむことのない日々を送れることを願っている。
それでも。
その出来事がなきゃ、俺はお前と出会えなかったし、お前も俺に出会えなかった。
嫌がらせをしてくる奴らが追いつけもしない場所に行きたい、その一心で死ぬ気で勉強したのだと言っていた。県内じゃトップの偏差値を誇り、倍率も高い学校だ。生半可な気持ちじゃ受からない。家が特別裕福なわけでもないから塾にも行けないし、もし普通に中学生活が送れていたら、俺は家から一番近い公立高校にしてただろうな、と以前コウは話していた。
そう思うとさ、お前をいじめていたやつにさえ、感謝を告げたくなるんだ。
本人には言えないけれど。
コウが思ってるほど、俺は優しい人間じゃない。だからこそお前の真っ直ぐな部分に惹かれている。悪意に満たされた日々を送りながら、その悪意はコウの根元へと浸透することはなかったみたいだ。なんでそんなに真っ直ぐなままでいられるんだろう。
根っこはずっと実直で素直でバカ真面目。中学のやつらはそれがきっと眩しくて、妬ましかったのだろう。
コウは知らないだろうけど、中学の頃から俺はお前を知っていたよ。
高校受験に向けて親に通わされていた塾の帰り道。住宅街から少し離れた、いつもは人の気配さえしない寂れた小さな公園からうめき声のような音が聞こえた。怖いもの見たさに見にいけば、お腹を抱えこみもがいている男の子がいた。それがコウだった。当時の俺は、制服を見て隣町の中学のやつだとわかった。コウの周りには同じ制服を着た同じような背丈の男の子が5,6人いて、消えろだの調子乗るなだのと叫んでいた。
そのとき俺は物陰から眺めているだけだった。別に自分には関係がないと思ったからだ。同じ中学の生徒でもないし、助ける義理もない。もがいている男の子は立ち上がれないようで、地面を掴もうとして砂を掴み、足に力を込めようとしても滑るばかりだった。その光景に満足したのか、周りの男の子達は去り際にも暴言を吐き捨てながら、ぞろぞろとその場を離れていった。
公園に静寂がもどり、風で揺らぎぶつかる葉の音が聞こえる。今の今まで傍観していたのだから、自分も同じようにこの場を去ってもよかった。だけど俺は、塾カバンに入れていたハンドタオルと水筒を持って公園の中へと歩き出していた。
「大丈夫…?」
軽く肩に手をかけ、男の子の制服の砂を落としながら声をかけると、男の子はぼんやりと俺を見るように視線を上げ、また立ち上がろうと身体に力を込めた。手を貸すとフラつきながらも立ち上がることが出来たので、そのままベンチへと連れて行き横になるよう促した。しかし男の子は力弱く首を横に振ると、ゆっくりとベンチに腰を下ろした。
制服で隠れていない手や口元から血が出ていたのでタオルを貸し、水筒も渡すと手持ち無沙汰になった。だから自分も、男の子が横になれるように少しスペースを空けてベンチに座った。
すると座った視線の先に、猫程の大きさの黒い塊が見えた。よく目を凝らすと有名なスポーツブランドのロゴが見える。上着か何かかと思い近くに見に行くと、それはシューズバッグであることがわかった。落ちていたにもかかわらず目立つ汚れも見当たらないそれを見て、男の子のものではないかと思った。
だから、砂を落としてベンチまで持っていった。
「これ君の?」
男の子に見せると、しばらく無言だったが、程なくして小さくうなづいた。
「ごめん…ありがとう」
とバッグを受け取りながら、俯いたままで男の子が喋った。中学生にしては見た目よりも低かったその声に少し驚きつつも、身体で痛むところはないかと聞くと「もう大丈夫だから」といい、改めてお礼と、血がついたタオルへのお詫びを告げた。多勢に無勢といった理不尽を受けた後にもかかわらず、落ち着いて言葉を選ぶ姿に、健気だなと思った。
その後、何度もお礼と謝罪を繰り返す男の子に、俺がいては余計な気を遣わせているのではないかと思い、水筒のお茶を飲んでもらい、タオルはどうせ沢山あるからと渡して、俺はその場を離れた。
あんなに悪意を向けられながらも、淡々としていた男の子。実はシューズバッグに名前が書いてあるのを見つけた。 「ササキ ツカサ」というらしい。
俺はその男の子のことを忘れることができないまま、中学生活を修了した。塾通いもあってか、無事にここら辺じゃ最難関といわれる今の高校へと入学した。そこで隣のクラスを覗いた際に公園での男の子を見つけた時は驚いた。そして、更に驚いたことにクラスメイト伝いに聞いたその子の名前は「スドウ コウ」といい、「ササキ ツカサ」ではなかった。
では、あのシューズは誰のものだったのか。確かに彼はうなづいて受け取ったのに。
胸にモヤモヤを抱えたまま、廊下ですれ違う彼を目で追う日々がしばらく続いた頃、たまたま「コウ」と同じ中学だったというクラスメイトから話を聞くことが出来た。“前の学校に「ツカサ」っていうめちゃくちゃ乱暴なやつがいてさ”と話していたクラスメイトに食いかかるようにフルネームを尋ねると、驚きながら「ササキ ツカサ」だと教えてくれた。
は?どういうことだ。あのシューズバッグはいじめっ子のものだったのか?じゃあ何で彼は受け取った?
浮かび上がった疑問に対して、彼の日頃の行動を目で追っていた俺は、ふわふわとした仮説を立てた。もしかして、いじめっ子が落としていったものをわざわざ届けたのだろうか。バカらしい仮説だとは思うが、そう思う根拠があった。
普段見かける彼は、無表情でありながら、いつも何かしらの雑用をしていた。ノートの山や、使わなくなった備品の箱を運んでいる彼をよく見かけたし、廊下の掲示物の張り替えをしている姿も見かけた。押し付けられているのかと思い、遠回しに彼と同じクラスの女子に彼の教室での様子を聞いてみると、“須藤くんはいつも真顔でちょっと怖く見えるんだけど、すごく優しいんだよ。クラスのみんなも頼っちゃってる”と教えてくれた。
雑用を全て担うことが優しさかと問われれば、それは少し違うのかもしれないが、クラスメイトにお礼を言われている時に見せた、彼の小さく緩ませた笑顔から、彼は単に善意からすすんでやっているのだろうと思った。
他のクラスメイトからも遠回しに話を聞くと、とにかく“優しい”と評されるヤツなのだということがわかった。雑用だけではなく、具合が悪かった時にさりげなく係の仕事を代わってくれていただの、放課後、課題が解けずに残っていると、理解できるまで教えてくれただの、雰囲気は怖いけど優しかったという話ばかりであった。
そんなお人好しで優しいと評される彼のことだ、もしかしたら、落とした場所が隣町であったということもあり、その落し物を放って置けなかったのではないだろうか。それが本当なら、とんでもないお人好しだ。過言かもしれないが、自己犠牲とも通ずるほどのその優しさは、“優しい”を通り越して、いつか身を滅ぼすことになるのではないかと思った。本人にとっては余計なお世話なのかもしれないが。
シューズバッグの謎を自分の中で仮に解決させてから、一層彼への興味が膨らんだ。彼と話してみたい。話してみるとどんな子なのだろう。あわよくば仲良くなりたい。
最初は単に自分には理解しがたい者への興味であった。俺はそんなに他人に無条件で優しくなんて出来ない。無表情で淡々と掲示物を貼っていた彼の姿を思い出す。彼は何を考えて、どんな景色の中で生きているのだろう。
そんな好奇心を膨らませていた一年生の二学期始め、偶然選んだ美化委員の集まりで、彼と初めて対面したのだ。
これは運命なんじゃないだろうかと真剣に思った。きっとそうだ。せっかく機会が与えられたのだ、それなら彼と仲良くなりたい。お人好しの彼と対等に関係を築いて、彼の中身を知りたい。そんな気持ちから次の瞬間、自分でも驚くくらい自然と、自分でも聞いたことのないような柔らかい声が出ていた。
「初めまして、これからよろしくね」
ーーーーーー
そんな出会いを始まりに、俺は徐々にコウと仲良くなっていった。二年生ではクラスも一緒になり毎日言葉を交わす程度の仲になった。でも、中学の公園での出来事については触れていない。委員会で初めて挨拶をした時にコウが初対面としての対応を返してきたからということもあるし、わざわざ“お前がいじめられていた現場を見た”と伝える必要もないと思ったからだ。それに傍観していた自分を知られたくないという気持ちもあった。それが後ろめたさからくるものなのか、自己防衛からくるものなのかはわからない。
それでも、その話をすることは躊躇われた。
コウから見て、俺がいじめられていたことを知ったのは、仲良くなり始めの頃、委員会が終わり、駅まで一緒に歩いていた時だった。公園でコウをいじめていた男達と会ったのだ。それまで小さくであるが笑顔で会話をしてくれていたのに、その男達を見かけた途端、コウの顔面から色がなくなっていくのを見た。視線を落とし歩みが遅くなった。男達はコウに気づくと険しい顔つきになった。近づいてこようとする彼らと、明白に様子の変わったコウを見て、オレは咄嗟に手を取り、「やばい電車遅れそうだ!」と声を出して、男達の横をすり抜けるように駆け出した。その下手くそな不自然すぎる行動と、自分でも態度があからさまに変わった自覚があったからなのか、走り疲れ、近くの公園に入りベンチに座って息を整えていると、ごめんとありがとうを告げた後、ぽつりぽつりといじめられていた過去を話してくれた。
それ以降、たまに来る気持ちの落ち込みの際も話を聞くようになった。
そして、委員仲間からクラスメイト、行動を共にする友人、敢えて言うなら「親友」という関係性にまで上り詰め、三年生の今に至る。
仲良くしたいと強く想いながら接していた甲斐もあってか、無表情が常であった彼がよく笑顔を見せてくれるようになり、軽口を叩き合えるまでの仲になった。
壁がなくなった彼は、優しさの他にも根は素直で律儀で、でも少しだけ口が悪い、そんな面を見せてくれるようになった。
そしてコウと言葉を交わすたびに彼の痛ましいまでの実直さを知り、惹かれていった。
中学三年間の、いやもっと以前からかもしれないが、嫌がらせを受け続けた記憶は、彼の一部としてありつつも、今はただ目の前のことを楽しみたいと思うまでには気持ちの変化があったみたいだ。
高校で出会ってから今まで、たまに気持ちが蘇り、咄嗟に塞ぎ込んでしまうこともあるが、俺はその度に隣にいくだけ。人と関わることへの不安や恐れが未だあるのだとこぼしながらも、最後には自分の弱さだと言い、気持ちの整理をしていくコウを眩しく感じた。
お前が思ってる以上に周りの人間はお前が好きだし、弱いだなんて思ってないよ。
コウは不安が強くなると、人が居ない窮屈な場所へ行こうとする。「落ち着くから」と本人は言っていたが、自分自身を隠そうとしているのではないかと思った。探しに行って見つけた彼は、いつも物陰や隙間で膝を抱えて耳を塞ぎ、目を閉じて丸まっていた。消えたいと、放っておいてくれと願っているようにも見えた。
それでも俺は探すのをやめなかった。
コウが授業を抜ける度に、その授業が終わると彼を見つけに校舎の中を走り回った。6限が終わり、日も暮れ始めた冬の日、校舎の外、肌を刺すような寒さの中、体育館倉庫の裏で彼の姿を見つけたこともあった。それでも俺は探し続けた。
だってコウは言っていたのだ。周りの全てを拒絶するように、小さく丸くなった姿のまま、
「直接の暴力も痛かった。けど本当に辛かったのは周囲からの腫れ物のような扱いだった。仲が良かった奴は、同じように標的にされないようにと離れていって、次第にあちら側に従うように変わっていった。先生達もわかっていたはずなのに、何も言わずオレから距離を取るようになった。みんながオレを遠ざけているのがわかった。オレは面倒な荷物になってるんだって思った。あんなの背負いたくない、俺の、私のじゃない、あっち行けって毎日言われてる気がした。その場にいるだけで周りの負担になってるんだって思ったら、申し訳ないやら悲しいやらで死にたくなった。そうやって傷つく弱い自分にも嫌気がさした。オレはあの頃から変われているだろうか。出来る限り自分で立つことが出来てるんだろうか」
声を揺らすまいと、必死に押し殺したように話す姿に、胸が潰されそうで苦しくなった。そして、普段の雑用などを担う行動は、自分で立ちたいと願う、彼の努力なのではないかとも思った。
隠れたコウを一人にしておくと本当に消えてしまうのではないかと思った。誰だって孤独は嫌だ。誰かにそばにいて欲しいし、無条件で受け入れて欲しい。側にいることを許して欲しい。
ひどい扱いを受けて尚、傷つけた周りではなく自分へと矢印を向け続けるコウに、哀れみにも近い何かを感じた。
あぁ、なんて馬鹿な生き方しか出来ないんだ。攻撃仕返せばいいのに。何でだよって怒鳴りつけてやればいい。お前ばかりが傷を受ける必要はないんだよ。お前だって傷をつけ返したらいい。お互い様じゃないか。お前ばかりが我慢しなくとも、世界は勝手に調和をとる。だからお前ばかりが苦しむのはおかしいんだ。
誰かが支えなきゃ。
誰が。
俺が。
コウを孤独にしたくなくて、俺は極力側に居たいと思った。だから、だだっ広い校舎の中を走り続ける。俺が見つけることで、少しでも安心してくれたらいい。コウの不安や寂しさが少しずつ塗り替えられればいい。お前は独りじゃないんだから。
「あの頃があったから今があるんだって言えるようになりたい。その為に、“今”を頑張りたい」と、いつも一通り気持ちを吐き出した後、顔を伏せ膝を抱えながらも呟く彼に、これから幸せなことが沢山あってほしいと強く想った。
ーーーーーー
高校三年生になり、卒業が近づいてくる。
コウは就職に決めているし、俺は進学のために塾通いを続けている。今のご時世、便利な通信機器も多く卒業が縁の切れ目になるわけではない。でもこれまで四六時中一緒に居ることが当たり前だった日々が終わってしまうのは、やっぱり淋しい。コウに楽しい思い出が増えてくれればいいと思いついた夏休みの怒涛の遊びラッシュであったが、そうした寂しさを埋めるためでもあったように思う。受験生として大事な時期に何をしているのかとも思うが、その分家でも学校でも頑張っているつもりだ。
それでもきっと、この夏休みが終わってしまえば、どうやったって一緒に居れる時間は減っていくのだろう。
トイレと言っていたものの、帰りの遅いコウを心配しつつ、肉を食べながら海の方を眺めると、少し遠くに人影が見えた。よく見ると夕暮れに染まる砂浜に、腰を下ろし海を眺めているコウがいた。
海辺で一人座り込んでいるコウを不思議に思い声を掛けに行くと、いつもどおり返答をした彼に、少し安心した。
ちょっと物思いに耽っていたという彼から、軽口を挟みつつ話を聞いていると、彼は急に大切な話をするとばかりに、緊張した表情で、身体をこちらに向けてきた。
そして、あの言葉を告げた。
本当に律儀なやつ。照れ臭いにもかかわらず面と向かって伝えようとしたコウ。俺に恩を感じているコウ。
そのばかみたいな実直さは彼の愛すべき美点であり、コウの人生を苦しくさせる導因でもある。別に俺は何もしていないのに。本当に、生きづらそうなやつ。
苦しかった時代のコウに、たくさん手紙の返事を返せる未来が続いていて欲しいと願った。
そしてそれを、これからも側で見届けられたらいいのに、とも思った。
辛い経験からバランスを崩しつつも全てを受け入れようとする男の子と、他人には冷たいけど線引きの内側に入った人には溢れる情を尽くす男の子の話。
互いに優しいと思ってる。