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ヴェリルはくる日もくる日もギルビスの隠れ家という名のあばら屋で修行をしていた。ぼろぼろの木で出来たあばら屋だろうと、悪魔界に家のようなものがあったのだから驚きである。ギルビスの魔法であばら屋はヴェリルとギルビス以外見えない。
そんな中、悪魔に必要な実力を得るために魔力を高め、魔法のテクニックや武術を学んでいた。今日のヴェリルはあぐらをかいて修行僧のように目を瞑って集中している。全ての魔力を身体中に巡らせた状態で維持しなければいけない、という修行だ。魔力の使い方を試される修行で、魔法のテクニックが上がりやすい。なおかつ修行を終えた後は使った魔力を補おうという力が強く働いて、最終的に使った魔力よりも多い魔力が体に宿る。一石二鳥の修行だった。
「・・・ッ!」
「まだまだいっくよー!ベリーはただでさえ魔力が少ないからね!」
これから一蓮托生だから愛称で呼ぶね、と謎の理論で押しきられて以来、ヴェリルは『ベリー』と呼ばれていた。彼についてわからないことはまだまだあるが、ヴェリルがギルビスの元で修行していくつかわかったことがある。
ギルビスは確かにこの地区一帯を纏めているが、欲望のままに生きたいし誰かに縛られたくない、と今の悪魔界を謳歌している者から反発を受けていて敵が多いこと。ギルビスの実力は確かに高く炎の領域では頭ふたつくらい抜けているが、それでも魔王には届かないこと。そして悪魔界を少しでも良くしたいと思っていて全ての元凶である魔王を倒したいが、実力が足りないため自分と志が同じであるものを仲間にし、魔王に挑みたいと思っているということ。
『でね、僕はこう見えて目利きに自信があってね、ベリーは今は弱いけど大器晩成でのびしろが高い努力の天才のはずだよ!たぶん!きっと!いやそうに違いない!』
と、言葉とは裏腹にギルビスは自信満々に胸を張っていた。ヴェリルが不安に思ったのは言うまでもない。
「5・4・3・2・1・・・終わり!」
「・・・ぷはぁ!」
ヴェリルは修行が終わってぐしゃりとあぐらを崩す。するとギルビスは優しくポンポンとヴェリルの頭を撫でた。
「うん!前回よりも長くやったけど持ちこたえられたね!偉いよ!凄いよ!嬉しいよ!くふふっ!」
「・・ありがとう、ございます。」
照れるようにヴェリルは頬を赤らめる。少し癪ではあるが、面倒見がよくヴェリルが成長すると、自分のことのように喜んでくれるギルビスに少しずつ心を開いていく。悪魔にしては珍しく素直であけすけなギルビスに対して、利用するつもりのはずが、だんだん師匠として敬愛の感情を持つようになっていった。
***
それから少し月日が流れ、ヴェリルとギルビスは一緒に炎の領域を見回るようになった。悪さをしている悪魔をとっちめた後のこと。ギルビスは怒りの余り、ずんずんと早歩きになって若干ヴェリルを置いていく形になっている。
「弱い悪魔に乱暴するなんて本当に世も末だね!乱暴しないとこの世で最も恥ずかしい死に方をする呪いでもかかってるのかな!」
「・・・・・。」
「もういっそ今度から生き恥になるようなイタズラでもして懲らしめる?くふふっ!生きてるだけで恥ずかしいような・・・」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・ベリー?」
返事すらしないヴェリルの様子を不思議に思ってくるりと振り返ってみると、そこにはいるはずのヴェリルが忽然と姿を消していた。先程まですぐ自分のすぐ後ろを歩いていたはずなのに、音もなく消えたのはあらゆる嫌な予感がよぎることに繋がった。
「ベリー?・・・ベリー!ベリー!?」
だが、いくら探しても見慣れた黒い地面とマグマ溜まりしかない。はぐれたか、こっそり誰かに拐われたか。ヴェリルに危険が降りかかったのと自分の迂闊さに顔が真っ青になる。まだ遠くに言ってないはずだと駆け出そうとしたその時だった!
「─わーい!お師匠様も騙せた!」
聞き覚えのある声がしたかと思えばボフンと気の抜けるような音と共に、すぐそばのマグマ溜まりがヴェリルに変化した。否、ヴェリルがマグマ溜まりに化けていたのだ。
「私、化けるのだけは一流だから弱くても生
き残れたんです!イタズラ大成功!・・・・・ん?」
ヴェリルの目に入ってきたのはうつむいているギルビスの姿。顔が見えずどこか不穏な様子に恐る恐る近づくと、不意にぎゅうっと音が出そうなほど強く強くギルビスに抱き締められた。その勢いの強さにヴェリルはよろめく。
「わっと・・!」
「うわあぁああん!よがっだよおぉおおお!僕のうっかりのぜいで君が危険な目にあってるんじゃないか、乱暴ざれでるんじゃないかって心配じたんだよおおぉおおおお!」
がばりと顔を上げてバカバカ!と泣き叫びながら、ヴェリルの胸をポカポカ殴るギルビスにヴェリルは吹き出すように笑った。
「笑いごとじゃないんだよおぉおお!本当に、ほんどうに心配じたんだよおぉおお!ばか!あほ!すっことどっこいしょ!」
「・・・うん。ごめんなさい、お師匠様。」
「ゆるすうぅううう!」
「そんなお師匠様が大好きです。」
「僕もベリーがだいすきいぃいいい!」
その日、おいおいと泣き止まないギルビスにヴェリルは一日中よしよしごめんねをしたという。後にギルビスもイタズラし返すのだが、それはまた別の話。
***
そして出会って三千年くらい(人間でいうと三年)の月日が流れてヴェリルがギルビスの背に追い付いてきた頃、二人は悪魔が滅多に来ないマグマしかないような場所で武道の修行をしていた。
「ていっ!やぁっ!」
「そいやっ!ほいやっさ!」
ヴェリルとギルビスはお互い足技で練武していた。ギルビスが守りに入った時はヴェリルが蹴りを打ち込み、逆にギルビスが攻めに入った時はヴェリルは守りに撤する。これをランダムで行うことでヴェリルは武術の基礎を学んでいた。型にはまっているようなものだけでなく、たまに不意を突くような変化球にも対応することで、上級者になるための鍛練も兼ねていた。そしてギルビスは、ヴェリルがある程度体力が尽きたのを見計らって修行を終えるのだった。
「─うん、終わり!お疲れ様!」
「・・・ふぅっ!」
ヴェリルは崩れ落ちてそのまま仰向けで寝そべる。
「き、今日も疲れた・・・。」
「・・・・・。」
すると修行時以外はいつもお節介なくらいヴェリルにじゃれてくるギルビスが、何やら神妙な顔で黙りこくっていた。最近のギルビスはこのように物思いにふけることが多くなった気がする。
「─お師匠様?」
「・・・・・。」
「おーい、アンチエイジングの申し子のお師匠様ー?」
「・・・コンッ!?」
「あ、申し訳ない程度の狐要素。」
「酷い!でも毎日確実に進歩しているよ!最初会った頃の弱さが嘘みたいだね!」
ギルビスはしゃがんでいい子いい子、とヴェリルの頭を昔と変わらない優しい手つきで撫でる。物思いにふけること以外はこうして出会った時から、いやその時よりも優しくヴェリルの面倒を見ているのだ。ふと、ヴェリルは興味本位で前から思っていたことを聞いてみた。
「別に魔王に敵わなくてもお師匠様ほどの実力があれば、常に修羅場みたいな悪魔界での生活で困ることはないでしょう?なのになぜ、魔王を倒そうとしてまで悪魔界を変えようとするのですか?」
するとギルビスは満開の笑顔で、
「それはね、この世界が大好きだからだよ!くふふっ!」
と答えた。録でもない世界を変えようとしているのに、その世界が好きだということにヴェリルは首を捻る。
「・・・お?わからない?まぁ、正確には【自分を生んだ】この世界が好きなんだよね!」
「えぇ・・・?」
ますますわからなくなる。確かに悪魔界は人間でいうと母の役割も果たしており、悪魔は悪魔界を母胎にして生まれる。ひとつの例だが、ヴェリルは死にきれずにまだ生きたかったという強い思いからその魂は消えずにいた。そしてその魂が悪魔界まで流れ着いた結果、悪魔界を母胎にして肉体を持って生まれた。そのことだけは悪魔界に感謝しているが、こんな生きにくい世界だと知った時に全て帳消しされた気分だった。
するといつもきびきびと騒がしく動くギルビスが何故かよいしょ、とヴェリルの横にゆっくりと体育座りをする。その行動になんとなくヴェリルはいつものギルビスと違うものを感じて起き上がり、同じように体育座りをした。そしてギルビスは遠い目をしながら、とうとうと語りだす。
「もちろんね、それだけじゃないよ。僕ね、魔王討伐して悪魔界を良くしようって主張しても、殆どの悪魔に出来るわけがないって笑われていたんだ。でもベリーに会う前に色んな悪魔と会ってね、時には仲良くなったりもしたんだよ。その中に僕の主張を笑わないで共感してくれたやつもいてね、お互い悪魔界を良くしようと誓って切磋琢磨したこともあったんだ。あの時は楽しかったなぁ。すっごく。でもね・・・」
ギルビスはスッと目を伏せて、膝を抱え込む力をギュッと強くした。
「彼らは、残念ながらこの理不尽な世界のせいで・・・─志半ばで亡くなってしまったんだよ。亡くなった彼らの分を報いるためにも、魔王討伐を成し遂げないといけない。だから感謝しているんだ、彼らに出会わせてくれたこの世界を。彼らに出会うために自分を生んでくれたこの世界が大好きなんだよ。そんな大好きな世界をどうせなら悪魔界を含めた全世界が争いをせず、みんなが幸せな平和な世界になった方が僕は嬉しい。」
それに、と突然ギルビスはがばりとヴェリルに抱きついた。ギルビスに妙な気持ちは一切微塵も無いとわかっていても、何度も抱きつかれている筈なのにヴェリルは慣れない。
「ちょっ・・!?」
「最近はね!ベリーに出会わせてくれたこの世界が大好きなんだよ!魔王を倒して良くなった平和な世界でベリーと幸せに暮らすこと、それが実現したらこれ以上幸せなことはないよ!くっふふふ!」
すぐにいつもの調子に戻り、ギルビスの明るい金色の髪と燃えるような赤い瞳はきらきらと笑顔で輝いていて、相も変わらずこの悪魔界を、いやヴェリルを照らしている。小さな光だが、ヴェリルの心にじんわり差し込む暖かい光だ。
「お師匠様・・・!」
「ん?─おわぁっ!?」
ヴェリルがギルビスにハグをし返して、押し倒した。ヴェリルからギルビスに抱きつくのは初めてで、ギルビスは完全に不意を突かれ、いい意味で裏切られたのだった。
「ベリーがデレたああぁあああ!?大丈夫!?僕暗殺されない!?なぶり殺されない!?今日命日!?」
「・・ぷっ!あっははは!お師匠様が本気で驚いてる!面白いなぁ!」
ヴェリルはその瞬間、嫌気が差していたこの世界を、ギルビスを生んで自分に出会わせてくれた世界だと認識を変える。 今日、生まれて初めてこの世界を好きになった。素直にそう思えるほどヴェリルにとってギルビスは真っ暗な闇を照らす、いとおしい光だった。