第9話:有資格者
「…………」
「…………」
雄輝は、差し出した手を取ることなく、自分を凝視ししている2人を不思議そうに見ていた・
「どうしたの?」
「…………」
「…………」
ハトが豆鉄砲くらったかのように、なおも2人は黙っていた。
しかし、言葉に出さずともマイが立ち上がって部屋のどこからか手鏡を持ってきて、雄輝に差し出す。
「何だよ。俺の顔に何かついてるのか……」
思わず絶句してしまう。雄輝は鏡に映った自分の姿が信じられなかったのだ。
さらに、不幸なことが起きる。雄輝の持っていた手鏡が黒い炎で燃え上がり、炎の中心であのリングが燃えていた。魔女優里亜に奪われたあのリングである。
リングは雄輝の左薬指にはめられ、左手で持っていた手鏡は、突然現れたリングのせいで燃え上がったのだ。
「何じゃこりゃ」
止まっていた雄輝の時間が動き出す。ようやく脳が状況に追いついたのだ。左手がリングの炎で燃え上がり、顔の左半分には蛇の鱗のようなものが出来ていた。別に光らせたいわけでもいのに、左目が爛々と光っていた。
「雄輝、落ち着いて聞いてほしい……」
「カッコイイ」
「えっ……」
重い空気で立ち上がった。天馬は、雄輝の言葉にそんな間抜けな声を上げた。
「この炎、消したりつけたり出来て、すっごい便利」
「あの……調子に乗っているところ悪いんですけど、私の鏡どうしてくれるんです」
「……こんど弁償するよ」
表情のほとんど変わらないマイの顔から、怒りの感情を読み取り雄輝がそう返答する。
「軽くないか」
そんな雄輝の姿を見て、天馬が思わずツッコミを入れ、一呼吸おいて語りだす。
「一生ものの出来事何だよ……ずっと背負っていかなきゃいけない」
「重っ……天馬、重いって、ちょっと人と違うだけだ。何も問題ない」
「普通の人はそう思ってくれないよ。人と違うことはそれだけ重いことなんだ」
「……お前の言うことは正しいよ。でも、人と違うことを嘆いたって何も変わらないし無意味だ。俺は、自分の人生にかかわりのないその他大勢になんと思われようと、痛くもかゆくもないね」
「…………」
天馬はそれ以上の言葉を言えないでいた。思ったことは色々とあったが、雄輝の言葉に気おされたのだ。
「ほら、見ろよマイ、弱火……中火……強火だ」
雄輝は、黒の炎をコントロールすることが出来た。右手の人差し指に灯した炎を徐々に大きくしてマイに見せていた。
「やはり、これは……」
マイが意味深なことをつぶやく。
雄輝はシリアスな空気に対して気楽なもので、今度は炎でお手玉を始めた。黒い炎は全く熱くなかった。否、温度すらコントロールすることが雄輝には出来た。
何故そんなことが出来るのかは本人も分からなかった。だが、もともと自分の体の一部だったかのように炎を操れたのだ。
だから、雄輝には分かった。外で燃えている炎の存在を強く感じたのだ。雄輝の感覚はどんどん鋭くなっていた。
雄輝は急いで外に向かった。
「どうしたんです」
「燃えてるんだ」
そんな雄輝の意味の分からない返答に2人も後に続く。
外に出ると、雄輝は自分が木の中にいたことが分かった。ツリーハウス何て言う立派なものではない。木の中に、その外観には似合わない空間が出来ていたのだ。
それに多少ばかり驚いたが、雄輝の目は直ぐに黒く燃え上がる炎に奪われた。遠くから見たことでその姿がはっきりと雄輝の目に映った。それは竜だった。数10メートルほどの炎の龍が暴れ回っていた。
楽園のように思われるほど綺麗な進化の園は破壊され、空間にひずみが生じていた。
雄輝は言葉を失った。
「酷い」
「何だこれ」
雄輝の後ろから2人が現れ、それぞれ感想を述べた。
地獄のような光景である、もはや3分の1以上が燃えていた。そんな状況で3人が今の今まで気づかなかったのは、黒の炎は普通の炎ではないためである。
黒の炎は熱もなく煙も発生しない。ただ、焼かれたものは最初から何もなかったように跡形もなく消滅させる性質を持っていた。そのため、部屋の中にいた3人には今の今まで分からなかったのだ。
「……俺がやったのかな」
雄輝は、一言そう言って膝を付いた。
天馬はそんな雄輝を見て衝撃を受けた。死にかけた後も平然としていた男である。こんな風になるとは思っていなかったのだ。そんな表情をして相手にかける言葉を天馬は持っていなかった。
そもそも、天馬はこういう状況になったことが今までなかったのである。大切と言わないまでも気になる人間など周りにはいなかったのだ。
「あなたがやったというのなら、あの炎を消せますか」
そんな雄輝を見て、マイが口を開く。はっとなって、雄輝は炎に意識を集中する。
消えろと心の中で念じた。自分で出した炎ならそれで消すことが出来た。しかし、燃え盛る炎は雄輝の心とは裏腹に勢いを止めることはない。
「止まらない」
「なら、あなたのせいじゃないのでしょう」
マイが冷静に言葉をかける。
「……そうだな。今考えることは原因じゃなくて、どうやってこの炎から皆を救うかだ」
雄輝はマイの言葉を聞いて冷静さを取り戻す。それがマイが付いてくれた優しい嘘だと言うのは、雄輝には分かっていた。だが、それが逆に雄輝に冷静さを取り戻させたのだ。
「みんなで考えよう」
天馬が雄輝に続く。3人で力を合わせれば、どうにかなるのではと天馬は思っていた。だが、そんな時だからこそ、状況は思わぬ方向に向かおうとしていた。
「否、そいつのせいだよ。その男が悪い」
「誰ですか」
いち早く来訪者の方に目線を合わせたマイが質問するが、答えは返ってこなかった。
「適合したか、忌々しい。死ねばよかったのに」
その女性は、雄輝の手を取ると雄輝の指に嵌められたリングを見て、とげとげしい態度と言葉で吐き捨てるようにつぶやくと、雄輝を睨んだ。
「どうやって移動したんだ」
瞬間移動のように、雄輝のもとに移動した彼女を見て、天馬が呆然と呟く。その返答も当然返ってくることはなかった。
「責任を取れ、死んでお詫びしろ。汚らしい盗人め」
そう言って雄輝に対して凄む女性の手には指が一本なかったのを雄輝は見逃さなかった。たまたまかもしれないが、それは雄輝がミイラから折った指と同じ箇所だった。
褐色の肌に、艶やかな黒髪の女性は神秘的で神々しいまでの美貌を誇っていた。まるでこの世の存在ではないようなそう感じさせる女性だった。
「早速だが、世界のために死んでくれ。既にそういう状況まで来ている」
女性の手から銀色の炎が灯り、それが鎖のようなかたちに変わると雄輝の心臓めがけて伸びる。
「いきなり過ぎるって、少しは説明したらどう」
「天馬」
雄輝へと伸びた鎖を天馬が受け止め、それを雄輝が名前を呼ぶことで称賛する。
「魔術師がここにもいたか」
それを女性は、煩わしそうに一瞥する。
「足を止めるなよ。レベルが落ちたな」
そう女性が呟くと、天馬の姿は突如として消えてしまった。
「天馬」
それを見てマイが悲鳴にも似た声を上げる。
「お前も邪魔だ」
その言葉とともに、マイもその姿を消した。
雄輝は何が起きているのか全く分からなかった。
「殺したのか」
「まさか、殺すのはお前だけだ。あの2人は移動してもらっただけだ」
「ここの外にか」
「そうだ」
「……それは良かった」
雄輝の安どのため息に、女性は舌打ちする。
「良かった、何が良いものか……数千年の時を経て、あの化け物が蘇ったのはお前が私の墓を侵したからだ」
「やっぱり……君があのミイラなのか」
「そうだ。私はあの化け物とともに眠っていたが、お前のせいで起きたんだ。そして、ずっとお前を探していた。だが、見つけた時は既に手遅れだったようだ。あの化け物は蘇り、お前は宿主として器の役割を果たした。現代にお前がいたのは不幸な偶然だよ」
「器?何言ってんだ」
女性は雄輝を見て、また舌打ちした。
「ふざけるな。お前も魔術師なら分かるだろ」
「魔術師?俺、魔術師じゃないけど」
「…………」
2人の間に沈黙が流れた。
「嘘を吐くな。魔術師でなければ封印を解けるわけがない。お前の望みは何だ?お決まりの世界征服か、うんざりなんだよ。お前ら悪党はいつもそれだ」
「俺の望みは……この炎で死ぬかもしれない人たちを助けたい。さっきみたいに外に飛ばせるなら飛ばして欲しい。君なら出来るだろ。俺だったら何でもする。頼む」
「助けたい?何を言っている。お前の目的はあの禍津竜王だろ」
そう言って、女性は辺りを黒の炎で塗り替えようと暴れている竜を指した。
根本的にこの2人の間には誤解があった。それゆえにかみ合わなかった。
「禍津竜王?名前すら知らなかった」
「では、何故封印を解いた」
「封印なんか知らない」
「私の棺を開けたろ」
「……普通に開いたんだ」
「そんなわけないだろ。そんなこと出来るわけがない」
「……封印をどうやって解いたかは、どうでも良いだろ。今はあの炎から皆を救うのが優先だ。お願いだ。助けてくれ、俺ならどうなっても構わない。俺が死ねば止まるのか」
雄輝は先ほどの女性の言葉を思い出して、そう質問する。
「…………」
女性は冷酷な目で雄輝を見た。
「器であるお前が死ねばいつか竜は止まるさ。だが、それまでに国1つを焼き尽くすだけの余力は残るだろう。あれはそういう類の化け物だ。天変地異と同じだ。人ではどうしようもない」
「……駄目だ。それじゃ俺の助けたい人が誰も助からない。他の方法を考えてくれ」
「なっ、お前、自分が言ってることが分かっているのか」
「分かっているさ。自分が無茶苦茶言っているのは分かってる」
雄輝は悲痛な叫びをあげた。そして、頭をフル回転させて考えた。
「……君は、あの竜を封印したって言ったな。また、封印することは出来ないのか」
「今の私には、そんな力はない」
「なら、俺にはないか」
「…………」
「封印を解けるなら、封印することは出来ないのか」
雄輝は魔法のことは知らなかった。だが、雄輝は考えた末出した結論。それは案外的外れの答えではなかった。一考に値した。
「……お前とあの竜は呪いで結ばれている」
そう言って、女性は雄輝の左ほおをなぞった。それは、変質し蛇の鱗のようなものが出来た部分だった。
「この竜燐がその証拠だ。お前の体はやつに侵食されている。だがこれは奇跡でもある。並みの魔術師ならここまで侵食されれば死に至る。もしも、お前が優秀な魔術師なら、この侵食を逆に利用して、やつの力を奪い取り封印することも出来ただろうな。だが、お前に魔法を教える人間はいなかったんだろう。今から魔法を教わってもお前には何もできない」
あきらめた顔で女性はそう告げた。
教える時間があったならと彼女は一瞬だけ考えた。それは意味のない思考だと言うのは分かっていた。それでも今思い出すのは、一人の人間のことである。かつて、そういう人間がいたことを彼女は知っていた。だが、目の前の少年が同じように出来るとは思わなかった。
「……現段階でやつの力の一端でも奪えているのなら、お前にも可能性があるが、そんなこと出来ていないだろ」
無理と分かっていつつ、女性はボロリと言葉を漏らす。ほんの気まぐれでしかなかった。
「……これじゃダメかな」
女性が見たのは、その手に黒い炎を灯した少年の姿だった。それは間違いなく希望の光でもあった。
「俺に魔法を教えてほしい。希望があるのなら、俺は何でもする」
そう告げる少年の姿は、今度はかつての自分と被って女性には見えた。覚悟と信念を宿した瞳。世界の手と称された自分の力を引き継げる資格をもった人間が、あろうことか、こんな時代に現れたことを予見せざる負えなかった。