第10話:VS禍津竜王(前編)
ミイラだった女性は、雄輝の前でため息を吐いた。
「ミラだ」
「何が」
雄輝は突然の言葉にどう反応して良いか分からなかった。
「私の名前だ」
その言葉で、ようやく雄輝はどういう意味だったか理解する。
「ミラ……さん?」
「ミラで良い。お前の名前は何だ」
「雄輝……三門雄輝」
「そうか……雄輝、私がお前に魔法を教えてやる。だが、現実問題時間は30分もない。ここは後30分で火の海とかすためだ。この30分を大事に使わなければならないぞ。勇敢な魔術師が禍津竜王と戦っているからこそ生まれた貴重な時間だ。決して無駄にするな」
「あの女が……」
雄輝はそれだけ聞けばだれが戦っているか分かった。
「知り合いか」
「知ってると言えば知ってる。殺されそうになったんだ」
「そうか……だったらどうする」
ミラと名乗った女性は、雄輝を試すような視線を向けた。ミラは雄輝の器を試したかった。教えると言っても信用は全くしていなかったためだ。指を折って逃げた男である雄輝の第一印象は最悪と言えた。
「…………」
雄輝は目を瞑ってしばし考えた。
「利用する。使える戦力は1人でも多い方が良い」
それが雄輝の答えだった。善とも悪ともいえない実にリアリスト的な答え。予想外の答えにミラは虚をつかれるような思いだった。
「お前の戦う理由は何だ。何のために禍津竜王と戦う」
「……あえていうなら、仕方ないからかな」
「仕方ない?」
「あいつと戦わないと、仲間が死ぬからもしれない。それが認められないから戦う」
「それは仲間のためじゃないのか」
「違うよ。そんな立派なものじゃない。だって俺、怖くて……仲間を見捨てたくて仕方ないもの」
それは、雄輝の偽りない本心だった。
「いつもそうだ。偉そうなこと言っておきながら死ぬのが怖いんだ」
「じゃあ、何故見捨てない」
「……そんな人間になりたくないから……だから、仕方なく戦っている」
雄輝の答えに、ミラは笑顔を作った。
「雄輝、お前筋金入りの馬鹿だな」
「何故か、皆からそう言われる。俺、滅茶苦茶勉強できるんだけどな」
「ずれている。だが、狂ってはいない」
「どういう意味」
「お前で良かったのかもな」
「だから、どういう意味」
「雄輝、何でもすると言ったな」
雄輝は自分の言った言葉を思い出す。
「……言ったけど」
「じゃあ、頑張れ。私の力をくれてやる。お前はなるんだよ」
「何に……」
ミラは、何も言わなかった。ただ自分の手に炎を宿した。それは黒の炎とは違い、見るものが思わず息を飲むほど美しい銀の炎だった。
ミラは、その炎の宿った手を雄輝の心臓に優しく押し当てる。銀の炎だけではない、その一連の動作に雄輝は見惚れていた。そのため避ける時間などなかった。否、雄輝には時間が止まっているようにすら感じた。
時間がもどった時、雄輝が感じたのは苦痛だった。雄輝は苦しみにもがいた。黒の炎とは違い、銀の炎は雄輝の体を燃やした。
「お前はきっと死なないさ。だって……」
銀の炎で燃える雄輝をミラはただ見ていた。そして、最後に言った言葉は、雄輝には、もはや音は聞こえていなかった。
進化の園・宿舎
そこは、進化の園で暮らす人間が集う場所である。そして今、進化の園で唯一燃えていない場所でもあった。進化の園では異質な普通の木造建築の建物であるこの場所が燃えていないのは、魔女優里亜が禍津竜王と戦っているためである。
しかし、禍津竜王の炎は普通の炎ではない。その炎は消すことのできない魔法の炎である。優里亜に出来たのは、せいぜい火が届かないように物量で守ることくらいのものだった。
優里亜は馬鹿ではない。そんな攻防とも言えない戦闘がいつまでも持続しないことは分かっていた。それでも彼女は逃げ出さずに戦っていたのは、強い使命感のためである。慈愛に満ちた聖母のように、進化の園にいる者たちを自分の子供のように彼女は愛していた。
一方的で、独善的な愛であり、時にそれを理解しない雄輝のような人間を傷つけるが、少なからず偽物ではなかったのだ。
魔法で出来た錫杖が地面を突くと、地面から木の根が伸び、いつしか大きな大樹としてバリケードを形成する。その大樹は本来なら火で燃えることのないように魔法によりコーティングされているが、それをあざ笑うかのように禍津竜王の黒い炎は、大樹を燃やし尽くす。
また、禍津竜王は竜である。その巨体が生み出す衝撃は、大地を揺るがしクレーターを作るほどである。隕石の衝突と大差なかった。炎も防げないが、その暴れ回る巨体も、優里亜を苦しめた。
数百もの細かい木の根を巻き付けても、動きを封じられるのは数秒であり、数センチの鉄板をぶち抜くほど魔法で強化した木の刃は、禍津竜王の竜燐に掠り傷すらつけることが叶わなかった。届く前に、黒の炎により威力のほとんどを奪われるためである。
戦いは、まさに防戦一方であり、すでに攻防を開始して数十分と過ぎていた。今まで持っている優里亜の魔力は驚異的と言えたが、底を尽きるのに時間はかからなかった。
もうすぐ、ミラが雄輝に告げた30分が過ぎ去ろうとしていた。
そして、残酷なほどその予想は狂いなく当たっていた。
わずか、一瞬。優里亜が一息ついた刹那。木のバリケードを貫通して、禍津竜王の放った火球が、進化の園の宿舎に飛び火しようとしていた。
それは、優里亜が魔法を発動する時間より早く為すすべがなかった。
後悔する時間などもなく、過ぎ去っていく火球を見ていた優里亜の視界にかすかに映ったのは、銀色に燃える別の炎だった。
銀の炎は、黒の炎に負けることなく燃え盛り、あまつさえその火球を跳ね返して見せた。
「天馬か……」
優里亜は、進化の園にいる自分と同じ唯一の魔術師の名前を呟いた。
「違う。誰だお前は……」
「誰だって、覚えていないなんて最低だな……お前に殺されかけた可哀想な男だよ」
「嘘だ……」
優里亜は信じられなかった。自分が殺したはずの人間が生きていたことも驚いたが、何よりも自分と同族に覚醒して戻ってきたことが信じられなかった。
「三門雄輝?」
疑問を抱きながら、辛うじて覚えていたその名前を呼んだ。雄輝の顔にあった竜燐は消え去っていたため、その名前を思い出すことが出来たのだ。
「…………」
雄輝は答えることなく、ただ宿舎の方を見ていた。今の雄輝にはそこに銀河たちもいることが分かった。それに安堵のため息を吐いて、優里亜の方を見た。
「……後は俺が奴と戦ってやるから、逃がせるなら、あそこにいるやつらをここから逃がしてくれ」
そう言って、雄輝は宿舎の方を指さした。
「無……」
優里亜が何かを言う前に禍津竜王が、今度はその巨体で木のバリケードを破り、雄輝に向けてその巨体をぶちかます。厄災の竜は待ってなどくれなかった。
「なっ」
次の瞬間、優里亜は信じられないものを見た。
今度は禍津竜王の数十メートルはある巨体が、銀の炎にぶつかると反射され、宙を舞ったのだ。
「ちっ……早くしろ。俺が勝てるとも限らんぞ」
「……無理なんだ。決まった出口からしか出られない。そして出口は既に炎で焼かれた。ここからは出られない」
はっとなって、優里亜が雄輝の言葉に正直に答えた。
「……それなら、あの宿舎をバリケードで覆って、中で皆を守ってくれ」
「お前はどうするんだ」
「……決まってるだろ。あの雑魚を蹴散らす」
その言葉が嘘なのは、優里亜は見ればわかった。偉そうなことを言いながら雄輝の膝は笑っていたのだ。内心恐怖で震えながらそれでも立ち向かおうとしているのが優里亜には分かった。そして、優里亜は今、雄輝に対して前とは別の感情を抱いていた。愛である。
別に惚れたわけではない。彼女にとっては人と違う特殊な人間は例外なく愛の対象なのである。
死なせたくないが、守る力がないことも痛いほどここ数十分で分からされていた。
優里亜は、地面に向かって錫杖を打ち鳴らす。
「これを」
そう言って、優里亜が雄輝に渡したのは木刀だった。木刀と言ってもただの木刀ではない。魔法で出来た木刀は、日本刀などよりも鋭い切れ味を誇った。
「…………」
雄輝はそれを無言で受け取った。
「…………」
敵同士だった2人にこれ以上の言葉は意味がなかった。2人の間にある溝を埋める方法はない。そんな風に思えた。無言で優里亜は宿舎をバリケードで覆っていく。
「……俺はお前が嫌いだ。でも、俺の仲間を守ってくれて……ありがとう」
「…………」
雄輝の言葉に返事が返ってくることはなく、雄輝も優里亜がどんな顔をしているかは知る由もなかった。
ただ、バリケードの中に消えていく優里亜を背に、雄輝は禍津竜王が起き上がるのを、獲物を狩る前の狩人のように見ていた。
「かかって来いよ。格下ドラゴン」
仲間が生きている。その事実に覚悟の決まった雄輝の震えは止まっていた。