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青木沙依のモテ期  作者: さき太
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第三章 桂幸久の恋

 幸久(ゆきひさ)が実家である甘味処で開店の準備を手伝っていると、また母に軍人なんかやめて店を継げと言われた。

 「どうせあんたなんか軍にいたって役に立たないでしょ。戦う事よりこうやって菓子作ってる方が向いてるんだから、軍人なんてさっさと辞めてこっちを本職にしな。弱いくせに、よりにもよって第二部特殊部隊に志願して入隊するなんて。あんなところあんたには一番向いてないでしょうが。まったく何を考えてるんだか。痛い目にあってすぐ弱音吐いて逃げ帰ってくると思ってたのに、ちっとも諦めやしないし。いったい軍人の何がそんなにいいのかね。」

 いつもの小言が続いて幸久は苦笑した。自分が軍人に向いていないことはよく理解している。訓練生初期の能力テストでは優秀な成績を収めていたが、実戦実務となるとてんでダメで、できるはずのことさえできなくなる。昔に比べたらだいぶましになったとはいえ、今でもそれは変わらない。何千年と軍人をやっていて、ようやくなんとか周囲についていける程度の実力しかないなんて、本当に才能がないと思う。母だけでなく、同僚たちからも、むいてない、辞めてしまえと毎日のように言われていた。それでも幸久は軍人を辞めようとは思わなかった。

 幸久が訓練を受けた時期は、この国が大きな戦争で壊滅状態だったところから復興したばかりの頃で、人手不足も深刻で、みんなピリピリしていた。訓練期間とはいえ足手まといで、余計な仕事ばかり増やす幸久は、周りから邪険に扱われ、時には酷い仕打ちを受けた。義務でなければ自分だってこんなところにいないのに、なんて思いながら、幸久はその日その日をどうにか過ごしていた。でも、日に日に扱いは酷くなり、状況は悪くなり、何が辛いのかもわからなくなっていき、暴言や暴力を受けるのが当たり前になっていたある日、幸久への暴力が行き過ぎてついに殺されかけるまでに至った。役に立たないだけで殺されそうになるなんて、そんなに自分はダメなのかと、そんなことを思って自分のダメさに呆れている自分がいた。理不尽な暴力に憤る気持ちは湧かなかった。意識は朦朧として、このまま死ぬのかな、なんて思って、幸久はただ自分の終わりを静かに受け入れていた。

 人間に育てられた不徳者が。お前は人間のようなものだろう。人間の味方をして、何かあれば自分たちを裏切るんだろう。そもそも人間の間者じゃないのか。朦朧とした意識の中でそんな言葉を聞いて、幸久は自分の間違いに気づいた。自分は役立たずだから殺されるんじゃない。自分が人間に育てられた人の子だから殺されるのだ。云われない理由で、理不尽に、卑怯な手を使って、自分たちターチェを裏切ってターチェを滅ぼそうとした人間。人間の手によってこの国は一度滅ぼされた。自分は皆と同じターチェだけど、その戦争を生き延びた者からしたら、人間の元で育った自分は人間と同じなのだ。恨んでも恨みきれない存在なのだ。そう思うと、自分が暴力を受けて殺されるのも仕方がないことだと思った。自分を引き取ってくれた母も、きっと本当はこの人たちと同じように思ってるに違いない。俺は人間の様なもので、俺は裏切者で、だから俺は皆から恨まれて当然で、本当は生きてちゃいけない存在なんだ。そう思うと幸久は涙が出てきた。

 幸久が生まれたのは人間とターチェの間で起きた大きな戦争が終わった頃だった。だから幸久は戦争のことを知らなかった。この国に来るときに戦争のことは聞いたが、実際に何が起きて、どうなったのかを知らない。皆戦争の話はしたがらないから、その戦争について詳しいことを幸久は何も知らなかった。幸久が知っていたのはただ、それまで仲良くしていたはずの人間から急に敵視され、戦争を仕掛けられて、国が一度滅びるほどの大きな戦争になって、皆が人間を許せずにいるという事だけだった。

 幸久は本当の親の顔も知らない。気がついたら人間の家庭で育てられていた。基本的にターチェは色素が薄いが、幸久はターチェにしては濃い色合いの目と髪の色をしていた。人間としては色合いが薄い、でも人間でもおかしくない程度の髪と目の色。そして戦後当時、赤子だった幸久は、孤児として人間に拾われ、そして育てられた。そしてそのまま人間の家庭で、普通に他の子供たちと同じように育てられた。自分が皆とは違うと感じたことはなかった。考えたこともなかった。それくらい自然に、それくらい普通に、人間の子として幸久は育った。七歳になったある日、住んでいた村が野盗に襲われて焼き払われるまでずっと、幸久は何の疑問も持たず人間として生きてきた。その日、ターチェとしての能力に覚醒して、焼け跡に一人残ってしまうまで、幸久は自分が人間でないことを知らなかった。

 一人残された幸久の元に龍籠(りゅうしょう)から使者がやって来て、そこで初めて自分が人間でないことを知った。そして、いずれ成長が止まり長い時間を生きることになる自分は、このまま人間の中で生きることはできないと言われ、ターチェの国である龍籠に来るか、そこに残るか選択を迫られて、幸久は龍籠にやってきた。それ以外の選択はなかった。家も家族も友達も、育った場所自体が全て失われているのに、子供だった幸久にできる選択はそれ以外ありえなかった。そして今の母に引き取られた。

 母は龍籠で甘味屋を営んでおり、幸久にお菓子の作り方を教えてくれた。手先が器用だ、とても上手だと褒められて、とても嬉しかったことを幸久は覚えている。店名を甘味処ではなく、もっとちゃんとした屋号をつけたらいいのにと言って、母に何を売っているのか解りやすいからこれでいいんだ、と言われて妙に納得した記憶もある。母は優しかった、普通に幸久を自分の子として受け入れてくれていた様に思えていた。確かな温もりを感じていたのに、夫を戦争で亡くした母は、本当は自分のことを憎んでいたのかもしれない。母にとって自分は許せない存在だったのかもしれない。そんなことを考えて幸久はどうしようもない気持ちになった。

 「たかが訓練生のガキ相手に情けないことしてんじゃねぇ。こいつが人間な訳がないだろ。」

 どすの利いた声が聞こえて、その場の空気が固まった。

 「お前らがやってることは軍の決定に反することだって解ってんのか?言いたいことがあるなら俺が聞いてやる。」

 声を掛けてきた人物にそう言われて、その場にいた誰も口を開かなかった。

 「言いたいことがないならとっとと仕事に戻れ‼」

 そう怒鳴られて、幸久に暴力を与えていた者達は散っていった。

 「お前もやられっぱなしじゃなくてちょっとは反撃しろよ、情けねぇ。自分の身くらい自分で守れなきゃ、軍人でなくてもここじゃ生きてけねぇぞ。」

 そう言ってその人物は幸久を担いで医療部隊へ連れて行った。その途中で誰かに会って、その人がその誰かに遅いだの、その誰かがその人に、処分がどうとか、幸久が訓練を受けている部隊の隊長がどうとか、話していたが、幸久にはよく聞き取れなかった。ただ、幸久にはその人がすごくかっこよく思えて、酷く憧れた。自分もこんな風になりたい。そう思ったその相手が、第二部特殊部隊の副隊長、斉藤一馬(かずま)だった。だから幸久は第二部特殊部隊に志願して軍人になった。

 それに、第二部特殊部隊は母の思っている様な危険な場所ではない。みんな口が悪く、しょっちゅう怒声を浴びせられるが、幸久は第二部特殊部隊で訓練期間中の様な差別も暴力も受けたことがない。どんなに怒鳴られても、暴言を吐かれても、何度訓練中に大怪我をして医療部隊送りになっても、決して辞めようとしない幸久の根気だけは認めてくれている。それが解るから、幸久はもっと認められたい、ちゃんと一人前だと認めてもらえるような軍人になりたいと思っていた。

 聞き流していた母の小言が終わって、幸久はほっとした。少しでも反論すると加熱するから、小言は黙って聞き流すのが一番だと幸久は学習していた。母がこうやって小言を言ってくるのも本当に自分を心配してくれているからだと解っている。今は母が自分を本当の息子だと思ってくれていることをちゃんと解っている。母はずっとそうだったのに、あの時死にかけて母に泣かれるまでそれをちゃんと理解できていなかったなんて、自分は親不孝者だなと思う。自分が受けていた仕打ちが理不尽なもので、受け入れるべきことでないことも今は理解している。でも、今でも自分が人間に育てられ、人間と共に生活していたことを後ろめたくなる時がある。その後ろめたいという気持ちが、他の子と分け隔てなく育ててくれた人たちへの冒涜だと理解しているのに、そう思ってしまう自分がいることが幸久は情けなかった。

 店を開け、今日の営業を開始する。まだ人通りの少ない路地を見て幸久は、今日はあの人は来るのかな、と思った。母が、さよちゃんと呼ぶ常連さん。非番の時だけしか店の手伝いをしていない幸久でも、何回か見かけるくらいしょっちゅう来店している、ほんの数年前に龍籠に戻ってきた戦前からの常連さん。とても綺麗な女の子だということもあるが、甘味を食べている時の彼女はいつもとても幸せそうな顔をしてくれるので、作り手としてはそれがとても嬉しくて、幸久は店の手伝いをする日はいつも、彼女が来ないかなと考えていた。

 「あんた、今日もさよちゃん来ないかなとか考えてたでしょ。」

 母にそう言われて幸久は、慌てて否定した。

 「今日の客足どうかなって思ってただけだよ。」

 そう繕ってみるが、母は全然信じていない様子だった。

 「さよちゃんが来ると、いつもあんたさよちゃんのことばっか見てるじゃない。それにさよちゃんが帰ってきてからは店の手伝いする時、妙に浮足立ってるし、バレバレよ。」

 そう言われて幸久は顔が熱くなる。

 「さよちゃん美人だし、一見おとなしそうに見えるから、あんたがのぼせ上がるのも解るけど、あんたじゃさよちゃんに釣り合わないから諦めなさい。ああ見えて、さよちゃん昔は龍籠指折りの軍人だったのよ。見た目も中身もパッとしないあげく弱いあんたをさよちゃんが選ぶわけないんだから、どうせ狙うならあんたでも靡いてくれそうな子にしなさい。」

 母にそう言われて幸久は言葉に詰まった。高値の花だって言うのは解ってるよ。自分と彼女じゃ釣り合わないことぐらい言われなくても解ってるけど、いいなって思うくらいいいだろ。心の中で反論を試みるが、こんなこと言ったら更に追い打ちを掛けられるのが解っていたので、幸久はとても口に出すことはできなかった。

 「そもそも母さん、さよちゃんは隆生(たかなり)君と一緒になるんだと思ってたのよね。ずっと二人の事応援してたのよ。でも、隆生君は別の子と一緒になって子供連れて帰ってくるし、さよちゃんも別の人と付き合ってたみたいだし、上手くいかないのね。隆生君なんて赤ちゃんの頃から知ってるし、さよちゃんのことも小さい頃から知ってるから、二人が一緒になったら母さん大喜びでお祝いしたのに。隆生君の奥さん亡くなってるし、さよちゃんも今フリーみたいだから、今からでもあの子たち付き合ったりしないかしら?」

 結局は反論しなくても母に追い打ちを掛けられて、幸久はうなだれた。隆生さんが戻ってきた時から、母はしょっちゅうそんなことばかり言っていた。隆生君の相手はさよちゃんだと思ってたのに、これでさよちゃんが帰ってきてくれれば、等々、昔の二人がどうだったとか、こんなことがあった、あんなこともあったとか、そんな思い出話を母はしょっちゅう話していた。その頃はさよちゃんを知らなかったのでただ聞き流していたが、そのさよちゃんに惹かれてる今、その話をされると、本当に辛い。確かに隆生さんならさよちゃんと釣り合うと思うし、母さんの話を聞いてる限りお似合いだとも思うけど。息子がさよちゃんに気があるの解っててそういう話してくるのって酷くない?そんなことを考えて幸久は店の中へ戻った。

 いつも通り客を捌き洗い物などをしながら、幸久は隆生のことを考えていた。さよちゃんと同じく戦前からの常連の隆生さん。隆生さんは人間と添って、人間との間に子を成した。奥さんが亡くなってから子供を連れて戻ってきた隆生さんは、昔はよく息子さんを連れてうちに来ていた。人間とターチェの間の子である息子さんは、人間にしては長寿だが不老ではなく、今は年老いて寝たきりになっていて、隆生さんは介護と仕事に追われてほとんどうちには来なくなった。以前のようにお茶はしていかなくなったが、彼はたまに寄って少し話をして手土産を買って帰る。そんな時にたまたま会うと、幸久のこともいつも気に掛けてくれ、本当にいい人だと思う。第一部特殊部隊の隊長を務めるほどの実力者だし、人望も厚いし、偏見も持っていなくて、自分が人間と添ったことにも胸を張っていられるし、人として本当にできた人で、凄いと思う。凄い人だとは思うが、それとと同時に、隆生のことを羨ましいと幸久は思っていた。自分だって人間の中で育ったことに胸を張っていたい。それを堂々と言って、色々言ってくる連中にはっきりとものを言えたらと思う。でも、人の人間への恨みの念や、自分への嫌悪の情を向けられると、委縮していつも何もできなかった。昔みたいに一方的にやられることも、やられることを受け入れるようなこともなくなったが、そうやって自分に行き場のない憤りをぶつけてくる人たちに申し訳ないと思ってしまう自分は消えてはくれなかった。自分は否応なくそういう状況になったが、自分で選択してそういう道を選んだ彼が、人間にどうしようもない怒りを持っている仲間の気持ちを自ら裏切るような真似をした彼が、自分のような後ろめたさを感じていないことに、幸久は理不尽な憤りを感じて仕方がなかった。自分が隆生に向けている感情が理不尽で身勝手なものだと理解しているからこそ、幸久は余計辛くなった。

 繁盛時間が終わり客足が絶えた頃、さよちゃんがやってきた。幸久は調理場からさよちゃんの様子を見て、今日はなんだか元気がないなと思った。

 「幸久、手が止まってるわよ。さよちゃんに見とれてないで、手を動かしなさい。」

 母に怒られて、幸久は止まっていた手を動かした。見とれてたんじゃなくてさ、なんて言い訳をしたらまた檄が飛んでくる。理由は解らないが落ち込んでいる様子の彼女に少しでも元気になってもらいたくて、幸久は練りきりで小さなウサギを作っておまけにつけた。

 「あんた、何注文されてない品つけてんの。」

 そう母に咎められて幸久は、なんか元気ないかなと思ってと答えて、母にため息を吐かれた。

 「まったく、他に客がいる時には絶対にやるんじゃないよ。」

 母はそう言って、それ以上は咎めなかった。そして一緒に来るように促されて、幸久は母と一緒にさよちゃんのいるテーブルに行った。

 「これうちの息子が遊びで作ったんだけど、良かったらさよちゃん味見してやってくれる?商品にはならないけど誰かに食べてもらいたいらしくて、今他にお客さんいないから内緒でね。」

 母にそう言われ、さよちゃんは幸久を見上げた。

 「これあなたが作ったの?かわいい。本当にもらっていいの?」

 そう言って目を輝かせる表情が本当にかわいい。幸久は上手く言葉が出てこなくて、良かったら食べて下さいとだけなんとか伝えた。それを聞いて嬉しそうにほおばる姿が、一口口にして本当に幸せそうな顔をするその姿が、本当に愛らしくて、幸久は胸が高鳴った。

 「おいしい。お菓子作り上手なんだね。たまにしかいないけど、本格的にお菓子屋さんになればいいのに。」

 そう笑顔を向けられて、幸久は心臓が止まるかと思った。本当にかわいい。さよちゃんがかわいくて、自分の心臓の音が外にまで聞こえてしまいそうで、何を話せばいいのかわからなくて、幸久は軽くパニックに陥った。そんな幸久の隣で、母がさよちゃんと何か話をしていたが、幸久の耳には全くそれらは聞こえていなかった。

 「こら、幸久。紹介してるんだから、ちゃんとあいさつしなさい。」

 そう母に怒られて、幸久はハッとした。

 「さよちゃんごめんね、ろくに挨拶もできない息子で。本当、菓子作る以外は脳がないのよ、この子。そのくせ店継ぐ気が無くて軍人なんかやってるんだから。もしさよちゃんが軍に復帰することがあるなら、泣いて逃げ出すくらいびしばし鍛えてやって。」

 母にそんなことを言われて、さよちゃんが幸久の方へ視線を向けた。さよちゃんがなにか言おうと口を開いたタイミングで、幸久は声を出していた。

 「俺、ここの息子の桂幸久です。あなたのことは昔からの常連さんだと母からいつも聞いています。俺もあなたのことさよちゃんって呼んでもいいですか?」

 そう早口で言い切って、驚いた顔のさよちゃんと目が合って、幸久は顔が熱くなった。俺何言ってるんだろう。呆れた顔をして自分を見つめる母の視線が痛い。

 「わたしのことは好きに呼んでくれていいけど、幸久さんはあがり症なの?そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。わたしそんな怖い人じゃないよ、多分。」

 そんなことを言うさよちゃんに、幸久はごめんなさいと言っていた。そして、さんとかいらないです、と付け加えていた。それを聞いてさよちゃんが微笑んだ。

 「じゃあ、幸久。わたしここの甘味が昔から大好きなんだ。だから、これからもよろしくね。」

 そう言われて、幸久は頭から湯気が出るかと思った。

 さよちゃんが帰った後、幸久は母から小突かれた。母は呆れてものが言えないというような顔をしていた。


         ○                     ○


 非番で母に用事があって店が休みのある日、幸久は緊張していた。今日はさよちゃんがうちに来ることになっていた。あれ以来、店の手伝いをしている時に何度かさよちゃんが来店し、普通に話ができるまでになっていた。その時にさよちゃんが、自分でも作ってみるんだけどこうはいかないんだよねと言っていて、思わず作り方を教える約束をしてしまったのだ。甘味作りは難しいものは難しいが、誰でも簡単にできるものもある。さよちゃんの好きな白玉なんてそこまで技術はいらないし、案外簡単にアレンジがきく。今日はそれを教える約束をしていた。

 今日は母もいない。自分しかいない自宅にさよちゃんが来ると思うと、幸久は落ち着かない気持ちになった。母は朝出かける際に、さよちゃんと二人きりになるからって変な事するんじゃないわよ、と幸久に釘を刺して出て行った。解ってるけど、でもさ、いくら明確な目的があるとはいえ家族の留守の男の家に来るとか、少しは期待してもいいって事なのかな?とか考えてしまうし、もしそういう雰囲気になったらとか考えてしまう自分がいて、幸久はもやもやした。色々と自分の下心と葛藤しながら幸久が今日使う材料の確認と準備をしていると、さよちゃんがやってきた。

 「おじゃまします。あれ?今日はおばさんいないの?」

 開口一番そう言って店内を見回すさよちゃんの様子を見て、幸久は気落ちした。うちの店の休日が母に予定があって出かける時だけだというのを彼女は知らなかったのだ。さよちゃんは母もいると思ったし、住居でなく店で教える約束だったから、自分の申し出に乗ったのだと考えると、幸久は勝手に淡い期待をしていた自分が恥ずかしくなった。すごく残念な気持ちになる。そうだよな。さよちゃんが俺になんかとかありえる訳ないよな。なんでちょっと期待してたんだろ。そんなことを考えて、幸久は泣きたくなった。

 今日、母は出かけている旨を伝えて、幸久は約束通りさよちゃんに白玉作りを教えた。分量通りに水を加えるんじゃなくて、生地の様子を見て加減するんですよとか、生地の出来上がりの目安がどうとか、そんなことを教えながら幸久は雑念が生まれないように、自身はカボチャを混ぜた白玉や白玉に合わせるあんこや黒蜜を作っていた。

 でも、作ってる最中にさよちゃんが話し掛けて自分の作業を覗き込んできて、幸久はどぎまぎした。教えている最中にさよちゃんの手に触れてしまったり、手元を覗こうとしてさよちゃんの豊満な胸に目がいってしまったりと、結局雑念が生まれて幸久は辛かった。凄いね、上手だね、幸久って本当に器用なんだね、そんなことを言いながら笑い掛けてくるさよちゃんが眩しくて、どうしようもない気持ちになった。一喜一憂しながら作業する様子が本当に微笑ましくて、かわいくて。さよちゃんと一緒に店の切りもりしたいなとか、さよちゃんが一緒に店やってくれるっていうなら、俺軍人辞めて店を継いでも良いななんて考えて、さよちゃんと一緒になる妄想をして、いったい自分はなにを考えてるんだと、幸久は自分の妄想を慌てて頭の中から追い払った。

 鍋の中を真剣に覗き込んでいるさよちゃんの姿を見て、幸久はため息が出そうになった。本当にかわいい。さよちゃんが昔は指折りの軍人だったなんて信じられない。さよちゃんはどんな人が好きだろう?自分でも可能性はあるのかな?ついこないだまで絶対に手に入らない高根の花だと思っていた彼女だが、こうやって自分に心を許して楽しそうにしている姿を見ると、自分にも可能性があるんじゃないかなんて思えてきて、もやもやしてきた。

 出来上がった白玉を盛りつけて、二人で食べる。さよちゃんは白玉を口に入れると、本当に幸せそうな顔をした。それを見て幸久は心が温かくなった。やっぱりさよちゃんは甘いものを食べている時の顔が一番かわいいと思う。

 「おいしい。自分史上最高の出来だよ。幸久の教え方がいいのかな?幸久の作ったあんこや黒蜜がおいしいからかな?幸久が作った黄色いのも、綺麗だしほんのりカボチャ味がするし、すごくおいしい。ありがとう。」

 さよちゃんにそう笑顔を向けられて、幸久は顔が熱くなり、胸が高鳴った。好きだな。その笑顔を独り占めしたい。さよちゃんとお付き合いしたい。ちょっと前まで、自分なんてどうせ無理だから、遠くから見てられたら、ちょっと話ができればそれだけでいいなんて思っていたのに、気持ちがどんどん膨らんで止まらなくなっていた。

 「さよちゃん、うちの甘味好きって言ってくれるし、うちの店で働く気とかない?よかったら俺甘味の作り方教えるし、普段母さん一人だから、さよちゃんが働いてくれたら助かると思うんだ。」

 幸久がそう言うと、さよちゃんは、わたしには無理だよと言った。

 「これくらいなら何とかなったけど、わたし不器用だし、幸久みたいにあんなかわいいお菓子なんて絶対作れないし。それに、わたし軍に戻ろうと思ってるんだ。自分のこれからを考えた時、小さい頃から軍人やってたし、結局それ以外の生き方が解らなかった。昔と同じようにはできないけど、わたしにはそれしかないって思った。色々考えてさ、わたしは戦うしか能がないから、軍人するのが一番だなって思ったんだ。軍人っていう道が一番自分の能力を生かせる仕事だと思った。だから、ごめんね。誘ってくれてありがとう。」

 そう言うさよちゃんの目は真剣で、いつもと雰囲気が全然違っていて、幸久は息を飲んだ。さよちゃんはこんな顔もするんだ。すごく綺麗だな。そんなことを考えて、幸久はまたさよちゃんに惹かれている自分に気が付いた。もっと、さよちゃんのことが知りたい。もっと近づきたい。そう思った。

 「幸久はさ、どうして軍人になったの?」

 そう訊かれて、幸久はありのままを答えた。自分が人間に育てられた子供だということも、それで酷い差別を受けて殺されかけた事も、そこで一馬に助けられて彼に憧れて軍人になったことも。自分は本当に軍人に向いてないと思っていることも、いまだにできるはずのことができなくて怒られてばかりいることも全部包み隠さずさよちゃんに話した。さよちゃんは静かにその話を聞いていた。最後まで聞くと、さよちゃんは、幸久には覚悟が足りないね、と言った。その声がとても冷たく聞こえて、幸久は肝が冷える思いがした。

 「幸久が上手くいかないのは、自信がないからだよ。自信なんて経験を積み重ねて出来上がるものだから、自分がやりきったって経験を重ねない事にはつかない。でも、幸久はその経験を積む前に最初から諦めてるでしょ?どうせ自分にはできないとか、誰かに何か言われたらどうしようとか、人にどう思われるかとか気にして、なりたい自分になる一歩を踏み出せないでいるんでしょ?それじゃ、自信なんてつくわけがないから、ずっとそのままで当たり前だよ。幸久には一歩を踏み出す勇気と、それを進んでいく覚悟が足りない。それは自分でしなきゃいけない事で、自分でしかできない事だから、それができないなら今のままを受け入れるしかないんだよ。」

 さよちゃんにまっすぐ見つめられてそう言われ、幸久は妙に落ち着いた気持ちになった。そう言うさよちゃんの声は優しかったが、直感が、この人は今の自分みたいな奴は嫌いなのだと言っていた。この人には嫌われたくない。そう思ったら、すっと腹が決まっていた。隆生のことが羨ましいと思うのも、彼に理不尽な憤りを感じるのも、本当は彼のように在りたいからだと解っていた。それができなかったのは、さよちゃんの言う通り、自分に勇気と覚悟がないからだった。自分への憤りを、自分ができない事をさも何事でもないようにしてしまう隆生にぶつけていただけなのだ。こんな自分じゃダメだ。この人に胸を張れる自分になりたい。幸久はそう強く思った。そんな幸久を見て、さよちゃんは笑った。

 「頑張って。わたし、幸久が頑張れる人だって信じてる。幸久が頑張るなら、わたし幸久の味方でいるって約束するよ。幸久が辛い時はわたしに話して。役に立たないかもしれないけど、わたしも力になれるように頑張るから。」

 そう言うさよちゃんの声が、幸久の胸の中にすっと入ってきた。見た目だけじゃない。この人は本当に素敵な人だな。この人が自分に向けてくれている期待は裏切りたくない。俺は、胸を張れる自分になって、この人に告白したい。幸久は心からそう思った。

 腹を決めたからといって、それからの幸久が何か劇的に変わることはなく、相変わらず檄を飛ばされる毎日だったが、辞めちまえと言われることが無くなった。同僚から、ようやく軍人らしい顔つきになったなと言われ、幸久は認められた気がして、とても嬉しくなった。これもさよちゃんのおかげだと思う。さよちゃんも軍に戻ると言っていたが、いつ復帰するのだろう。彼女がどこの部隊に所属するのか解らないが、職場で会えたら嬉しいな、なんて幸久は考えて、仕事中に浮ついてんじゃねぇと怒られた。

 そんな日々を送っていたある日、幸久が出勤すると同僚たちが何やら落ち着かない様子でざわざわしており、訳も分からないまま整列を促された。見回すと、今日は非番だったはずの隊員達も揃っている。

 「何かあったんですか?」

 幸久の問いに傍にいた隊員が、今日隊長が帰ってくるんだよ、と答えた。

 「隊長が龍籠に戻ってきて何年もたつのにあの人ずっと戻ってこなかったからな。正直、もう軍人辞めるんだと思ってたが、ようやく重い腰上げて復帰することにしたんだと。ブランクもあるし、この数か月間は能力テストと適正テスト、基礎訓練の受け直ししてて、副隊長たちと打ち合わせして、実際うちの部隊への復帰が今日。って、お前業務連絡で流れてただろ、ちゃんと確認しとけよ。」

 そう言われて幸久は、すみませんと謝った。噂には名高い第二部特殊部隊の隊長か、どんな人なんだろう。今でも隊長ときくだけで皆の意識がしゃんとする。それだけでその人が凄い人なんだということは解るが、猛者ぞろいのこの部隊の隊員たちにそれだけ認められて、纏め上げていたその人物とはどんな人なのだろうか?そんなことを考えて幸久は、一馬さんより恐い人とか俺耐えられるかな、なんて思って、一馬と同等以上の大柄で強面の男を想像して緊張した。

 ざわついていた隊員たちが一斉に話を止め、その場は静まり返った。入り口からまず副隊長二人が入って来て、続いて一人の人物が入室し、副隊長二人の間に立った。その姿を見て、隊員たちが歓声を上げ、幸久は自分の目を疑った。え?第二部特殊部隊の隊長って女性だったの?っていうか、あれってさよちゃんだよね?さよちゃんって、え?どういうこと?幸久は軽くパニックに陥っていた。

 一馬の号令で、隊員たちがまた静まり返る。隊長が一歩前に出て口を開く。

 「本日付で第二部特殊部隊に復帰することとなった青木沙依(さより)だ。よろしく。」

 沙依は静かにそう言うと、隊員たちを見回した。

 「現在、第二部特殊部隊全体の意向として、わたしの隊長職への復帰の希望が出されていることは承知している。しかし、戦争を生き延びながら数千年と長い期間留守にし、迎えに来た副隊長たちの要請を断り、そうして職務を放棄した自分がこのまま隊長職に戻ることを、わたしはよしとはしない。そこで副隊長たちと話し合い、半年の試験期間を設けることにした。半年間仮の隊長としてわたしは職務を行い、その働きを見て、実際にわたしが今の第二部特殊部隊の隊長としてふさわしいのかをお前らに判断してもらいたい。」

 そう言うと、沙依は表情を和らげた。

 「正直、一馬が隊を纏めて孝介(こうすけ)が支える今の管理体系が、この部隊にとって一番ではないかとわたしは考えている。自分は一隊員からやり直すつもりもある。わたし自身、お前らが知っているわたしともずいぶん変わっているという自覚もある。少しでもわたしは隊長にふさわしくないと感じるのであれば、その時は容赦なく切り捨ててくれ。しかし半年後、それでもお前らがわたしを隊長にと望むのであれば、その時はわたしも腹を決めてお前らの期待に応えることを約束しよう。半年間、しっかりとわたしを値踏みしてほしい。」

 そう言って気弱そうに笑う沙依を見て、隊員たちがどよめいた。あれは本当に隊長なのか?すっかり府抜けちまってどうしたんだ?隊長に何があった?そんな声が聞こえて、沙依は何故か笑った。

 「さてと、挨拶も終わったしこっからが試験期間だから、ちゃんと値踏みしなよ?」

 そう言うと、沙依の雰囲気がガラッと変わった。沙依の一喝で、どよめいていた隊員たちが静まり返る。

 「戻ってきてから、一部の者達の訓練の様子を見させてもらったが、お前ら気が緩んでるんじゃないのか?外の奴にあれだけぼろ負けして情けない。龍籠最高戦力である我が部隊の隊員がそんな腑抜けで示しがつくと思っているのか?いくら戦が遠のき平和な時代が続いているとはいえ、いざという時に動けないようでは話にならん。気を引き締めろ。」

 沙依のその言葉で、隊員たちの背筋が伸びる。

 「今日は丁度隊員全員が集まっている。そこで、本日は通常業務を停止し、一日全体訓練を行う。午前は序列決定戦を行い、いったん休憩、時間に応じてその他訓練を行う。昼休憩を挟み、午後は模擬戦を行う。模擬戦の作戦内容は午後の訓練を始める前に周知する。以上。準備にかかれ。」

 沙依のその号令で隊員達が動き出す。あれはさよちゃんだよな?本当にさよちゃんなのか?普段の様子と全然違うけど、あれが軍人としてのさよちゃんの顔なのかな?状況についていけず出遅れた幸久は、他の隊員に恫喝されてようやく準備にかかった。

 序列決定戦での沙依は凄まじかった。隊員たちに怒声を浴びせながら次々なぎ倒していく。幸久は怒られるまでもなく瞬殺され、すぐ出番が終わった。沙依に負けて戻ってきた隊員たちは口々に、隊長昔より強くなってやがる、府抜けたかと思ったけどあの気迫はやっぱ隊長だな、なんて話をしており、隊長の帰還を喜んでいる様子だった。

 休憩時間に入り、幸久は沙依に話し掛けた。

 「さよちゃんがうちの隊長だったんだね。俺、正直状況についてけなくて、凄く驚いてるんだ。」

 そう言う幸久の言葉を聞いて、沙依は眉根を寄せた。

 「幸久。休憩時間とはいえ、職務中に上官をさよちゃんなんて呼ぶもんじゃないよ。それに、わたしが第二部特殊部隊の隊長だっていうのはおばさんが話してたでしょ?ちゃんと人の話聞いてたの?」

 そう言って沙依は、お前は軍人として基礎的なところから教育し直さないとダメだな、と大きなため息を吐いた。そんな風に沙依に呆れられて、幸久は気落ちした。そんな幸久を見て沙依が言葉を紡ぐ。

 「お前だけのせいじゃない。元来、部下を育てるのも上官の仕事だ。うちの部隊は人育てる事は本当にとことん向いてないからね。昔みたいに無駄に戦闘能力だけは高い連中だけが集まってる訳じゃなさそうだし、そこの見直しもしてかなきゃダメだね。とりあえずしばらくはわたしが個別でついて指導するよ。勤務外の補習も覚悟しておいて。最低限戦場で使い物になるくらいにはなってもらわないと、今のままでうちの部隊で出陣したら即あの世行きだよ。そんなことになったら、おばさんに顔向けができない。」

 そう言って笑う沙依に、幸久は、よろしくお願いしますと頭を下げた。

 「さっきはなんか別人みたいで驚いたけど、やっぱり、さよちゃんはさよちゃんで安心した。ありがとう。俺、頑張るよ。」

 そう言って笑う幸久に沙依が注意しようとした時、幸久は誰かに肩を組まれた。

 「なに隊長を馴れ馴れしく、さよちゃんとか呼んでるの?君、自分の立場解ってる?」

 孝介のどすの利いた声が耳元で聞こえて、幸久は肝が冷えた。

 「隊長。幸久は僕が責任もって教育しますから、隊長が直々につくことはないですよ。」

 とても爽やかな笑みを浮かべてそう言う孝介を見て、沙依が渋い顔をする。

 「幸久が入隊してどれだけ経つ?それだけの時間をかけてできなかった奴に教育は任せられない。できたのに放置していたならそれはそれで問題だ。どちらにせよ幸久の教育はわたしが担当する。隊員指導について今後、副隊長と班長に指導を行っていくと、他の奴らにも伝えておけ。」

 そう沙依に言われて孝介が了承し離れていき、幸久は胸をなでおろした。孝介には一馬のような恐ろしさはないが、孝介の方が底知れない怖さがあって幸久は苦手だった。

 「孝介には気をつけなよ。あいつ爽やかなのは見た目だけで、本当にねちっこくて性格悪いからね。あいつが善意で人に何かとかするわけがないから騙されないようにしなよ。幸久は抜けてるから心配だよ。よくそれでうちの部隊でやってきてたと思うし、本当、思ってた以上にダメすぎてびっくりした。わたしがついてどうにもならなかったら除隊させるから、軍人続けたかったら死ぬ気で頑張って。」

 口調はまだ柔らかかったが、そう言いながら沙依に見据えられて、幸久は背筋を伸ばし、承諾した。それを見て、沙依は幸久に更に厳しい目を向けた。

 「うちは致死率がもっとも高い危険な部隊だ。わたしは部下に死ぬこと前提の作戦を遂行させたこともある。今は戦が遠のき実戦に当たることがほとんどないから、うちの部隊も平和だけど、その時が来れば、うちは真っ先に矛をとって最前で戦わなくてはいけない。うちには弱い奴も覚悟のない奴もいらない。うちにいる限り生き残ることは考えるな。それを肝に銘じておけ。」

 沙依に言われ、幸久は、了解いたしましたと敬礼した。

 「ずいぶん軍人らしい顔つきになったね。わたし、幸久は軍人よりも甘味屋さんの方がむいてると思うんだけどな。どうしても軍人の道を行くんだね。」

 そう言う沙依がどこか悲しそうに見えて、幸久は胸が苦しくなった。

 「お前の覚悟、見させてもらうよ。」

 そう言って沙依はその場を去って行った。


         ○                     ○


 「今日もこれから隊長にしごかれてくんのか?ちょっとは強くなったのか見てやるから、今度俺と勝負しようぜ。」

 同僚にそう声を掛けられて、幸久は是非と答えていた。以前なら気が引けていたのに、今は心からそれを受け入れられる。それだけの自信がついたのも、全てさよちゃんのおかげだと幸久は思っていた。沙依が仮とはいえ隊長に復帰して以来、幸久は非番の日も含め毎日沙依にしごかれていた。沙依は厳しく、通常業務では細かく注意を受け、訓練においては毎日怒声を浴びながら気を失って倒れるまで動き続けた。でも、沙依は怒鳴るだけではなく、ちゃんと幸久が理解できるように確認を取りながら、丁寧に説明もしてくれたので、幸久は沙依から指導を受けることが苦痛ではなかった。むしろ自分のことを想って厳しくしてくれているのだと思うと嬉しかった。差し入れでお菓子を持っていくと、隊長としての顔が少し崩れて嬉しそうにする姿もかわいかったし、やっぱりお菓子を食べてる顔は幸せそうで、それを見れるだけで幸久は癒された。本当、さよちゃんは綺麗だし、かっこいいし、めちゃくちゃかわいいし、素敵だな。そんなことを考えて、幸久は頬が緩んだ。

 「お前、これからしごかれてくんのに何ニヤついてんだ?元々あれだけ俺たちに怒鳴られて罵声浴びせられてもめげなかったし、お前ドエムなのか?気持ち悪いな。」

 同僚にそう言われて、必死に幸久は否定した。

 「隊長と絡めるのが嬉しいんだろ。こいつ妙に隊長に馴れ馴れしいし、隊長に惚れてんじゃないのか?」

 そうつつかれて、幸久は顔が熱くなるのを感じた。それを見られてその場にいた連中に笑われ、大いにからかわれる。お前が隊長とか無理だって。悪いこと言わないからやめとけ。なんて言われて幸久は気落ちした。本当、ほっといてほしい。

 「でも、こいつの気も解らなくはないよな。昔の隊長はかわいげもなかったし、隙の一つなかったからあれだったけど、今の隊長ならちょっといける気がするもんな。」

 誰かがそう言って、他の者達も同意する。

 「でもいけそうな気がするだけで、根本的に変わってないから下手に手出さない方がいいぞ。あの人に手出したら、返り討ちにあうか、司令官に殺されるかの二択だからな。」

 「そういや、こないだ、隊長好きだとか叫んで押し倒そうとして返り討ちにあってたバカがいたな。呆れた顔の隊長に、好意を伝えたからって同意されるとは限らないんだから突っ走るなよって言われて、普通に告白し直して撃沈してたの見て、何やってんだって思ったね。しかも突っ走った理由が、隊長に満面の笑顔でありがとうって言われたら爆発したって、本当バカじゃね?」

 「いや、でもさ、あの隊長に笑顔で礼言われるとか、勘違いしたくもなるだろ。俺もありえないって解ってるのに、隊長が自分に気がある気がする時あるからな。昔のあの人知ってるぶん、違いがさ。言ってる事ややってる事変わらないくせに、妙に媚びられてる気がするというか、女を感じるんだよな。」

 その言葉に皆がしみじみと同意していて、幸久は、昔のさよちゃんっていったいどんなだったんだ?と疑問に思った。そして話がだんだん沙依をネタにした猥談になっていって、幸久は聞いていることが恥ずかしくなって、慌ててその場を後にした。

 幸久が走って訓練場に入ると、沙依に、そんなに慌てて来なくてもいいのに、と笑われた。ついさっき聞いていた話のせいで沙依の顔がまともに見れない。今日の予定を伝えながら準備を始める沙依の、うなじや腰回りに視線がいってしまい、幸久は必死に自制した。

 「幸久はさ、一馬に憧れたからっていう理由だけで第二部特殊部隊を志願したんだよね?」

 急に沙依にそう訊かれて、幸久はとっさに肯定した。

 「ならさ、第二部特殊部隊じゃなくてもいいんじゃない?」

 沙依のその言葉に、自分が落第を言い渡されて気がして、幸久は沈鬱な気分になった。入隊したきっかけはそうだった。でも今は沙依に認められたかった。そのために必死になって励んでいたつもりだった。最近は褒められることも増え、少しは認めてくれているものだと思っていたのに、本当はどうにもならないと諦められていたのかな、なんて考えて、幸久はどうしようもない気持ちになった。このまま切り捨てられるのかな?でも、見放されるのだけは嫌だった。どうしようもならなくても、頑張ったことだけは認めてほしかった。

 「ごめん、幸久。別に除隊しようとかそう言う事じゃないんだ。勘違いさせるようなこと言って悪かった。」

 少し慌てた様な沙依の声に、幸久は顔を上げた。

 「逆なんだ。お前はよく頑張ったよ。わたしが子供の頃に行徳(みちとく)さんから受けた訓練と同じことして、それに食いついてくるお前見て、ちょっと嬉しかった。子供だったわたしとお前を比べちゃいけないのかもしれないけど、わたしが辛くて仕方がなくて、何度もくじけそうになった訓練を弱音一つ吐かずについてくる姿や、次の日には笑って今日もお願いしますって言うお前見て、凄いなって思った。正直、こんな短期間でここまで来ると思ってなかった。」

 そう言うと沙依は笑った。

 「おめでとう。合格だよ。まだまだだけど、幸久はもう軍人として恥ずかしくない実力はついたよ。よく頑張ったね。」

 そう言われて幸久は、嬉しさで胸が詰まって泣きそうになった。そんな幸久に、沙依は真剣な目を向けた。

 「それで、各部隊にはそれぞれの特色がある。これからはその特色に合わせた訓練に入る。その前に意思を確認しておきたいと思ったんだ。」

 そう言って少し間をあけ、沙依は言葉を続けた。

 「お前の防護障壁を作る能力はうち向きじゃない。うちでも充分能力を生かすことはできるが、お前の能力を一番生かせるのは第一部特殊部隊だと思う。それに以前も言ったが、うちの部隊は最も危険で生存率も低い。わたしは必要だと思ったら、平気で死にに行けと言うような非情な隊長だ。希望するなら他の部隊へ異動してもかまわない。お前はどうしたい?」

 沙依の真摯な瞳に見つめられ、幸久は真っすぐそれを見つめ返した。

 「俺は第二部特殊部隊に骨を埋めたいです。覚悟はできています。」

 それを聞いて沙依は微笑んで、解ったと言った。

 「ここまでくれば補習はあと少しだよ。特化訓練なんて慣れちゃえばそれで終わりだからさ。だからといって気を緩めずに励めよ。」

 その言葉に幸久は、背筋を伸ばして、はい、と答えた。そのまま訓練に入ろうとする沙依に声を掛ける。

 「さよちゃん。補習が全部終わったら、俺と一緒にご飯行ってくれない?話したいことがあるんだ。」

 幸久は自分で言って、自分の言った言葉に驚いた。

 渋い顔をした沙依が振り返る。

 「だから、いくら勤務時間外とはいえ一応補習は職務中なんだから、上官をさよちゃんって呼ぶなよ。何度言えば解るんだ。」

 そう咎められ、幸久はすみませんと謝った。小さくなる幸久を見て、沙依が呆れたように笑う。

 「ご飯は別に構わないよ。補習が全部終わったらお祝いしてあげるよ。」

 沙依のその言葉で、幸久はテンションが上がった。補習が完了したらさよちゃんとデートできる。これは本当に死に物狂いで補習を完了しよう。話があると口にしてしまったからには、そこで想いを伝えないと。想いを伝えるためには情けないところは見せられない。そんなことを考えて、幸久は気を引き締めて補習にあたった。


         ○                     ○


 「お祝いだからね。パーッとやろう。パーッと。幸久なんか飲む?今日はわたしのおごりだ、好きに頼んでいいよ。」

 そうやって沙依にメニューを渡されて、幸久は複雑な思いだった。さよちゃんは確かにお祝いしてくれるって言ってたけどさ、今から告白しようっていうのに奢られるってどうなの?これは日を改めた方がいいのかな?いや、告白するって意気込んできたのに告白しないとか、決心揺らぎそう。そんなことを考えて幸久はもやもやして。あぁ、もうどうでもいいや。酒でも飲んで、酒の力借りてでも今日告白しよう。そう思って幸久はとりあえず注文することにした。沙依にも何か飲むか訊くと、彼女は少し考えてから、普段は飲まないんだけど今日は甘い物飲みたいな、と言うので、適当に彼女の分も一緒に注文する。料理も適当に頼んで、幸久はメニューをおいた。

 目の前に座って笑いながら話をする沙依を見て、幸久は、やっぱかわいいなと思った。今は職務中じゃないから、沙依は完全に気を抜いている。幸久が職務中でない沙依を見るのは本当に久しぶりのことだった。職務中のきりっとした表情もかっこよくて素敵だけど、やっぱさよちゃんはこうやって笑ってる方が似合ってる。きっと、本当のさよちゃんはこっちの方なんだろうな。そう思って、幸久は沙依のことが本当に愛おしく思えた。

 「さよちゃん。さよちゃんは隊長してる時、無理してない?」

 幸久のその問いを聞いて、沙依はすっと真顔になった。それを見て幸久は、やっぱり無理してるんだなと思った。

 「普段のさよちゃんと、隊長のさよちゃんって雰囲気が別人みたいに違うからさ、無理してるんじゃないかなって。俺じゃ頼りないかもしれないけど、少しでも支えになれたらなって思う。あまり無理はしてほしくないなって思うよ。だから、もし気張ってるのが辛くなったら、俺のところに来て。俺はさよちゃんが本当はこうだって知ってるから、俺の前では気張らなくていいよ。さよちゃんのどんな姿を見たって俺は絶対に幻滅しないし、ついて行くよ。」

 それを聞くと沙依は一度目を伏せ、それから視線を上げて綺麗に笑った。

 「ありがとう、幸久。でも大丈夫だよ。とっくの昔に隊長として皆の上に立つ覚悟はできてる。それがどういう道なのかもよく理解してる。その上でわたしはあそこに戻たんだよ。だから心配してくれなくても大丈夫。わたしはそんなにやわじゃない。」

 そう言う沙依を見て、幸久は胸が締め付けられた。拒絶された。でも今ちょっとだけ、確かにさよちゃんの心は揺らいだ。あと少し、あともうひと押し。そう感じて幸久が言葉を紡ごうとした時、注文した品が運ばれてきて幸久の言葉は遮られた。何でこのタイミングで来るんだよ。そんなことを思って、幸久は気落ちした。向かいでは沙依が、飲み物を一口飲んで怪訝な顔をし、少し考えて、ま、いいか、なんて言って料理を食べ始めていた。

 「それにしても幸久に心配されるようになるなんてな。幸久、あんなに情けなかったのに、本当に変わったね。」

 沙依にしみじみとそう言われて、幸久は心の中で、さよちゃんが好きだから頑張ったんだよ、と呟いた。さよちゃんに幻滅されたくなかったし、嫌われたくなかったし、認めてもらえるような男になりたかったし。あと少しで告白できたのに、よりによってあのタイミングで運ばれてくるとかさ、店員さんちょっと空気読んでよ。そんなことを考えて、幸久は酒を煽った。向かいでは机に身体を預けながら、沙依がちびちびと飲み物を飲んでいた。それを見て幸久は、そんな姿もかわいいなと思った。本当、さよちゃんと付き合えたら幸せだと思う。もうこうなったらやけだ、言ってやる。

 「さよちゃん。俺、さよちゃんのことが好きだから、さよちゃんに認めてもらいたくて頑張ったんだよ。さよちゃんのことが好きだから、無理しないで俺に甘えてほしいなって思うから。だから、俺と付き合ってください。」

 幸久は無我夢中で告白し、目を瞑って返事を待った。なかなか返事が聞こえてこなくて、恐る恐る目を開ける。

 「え?さよちゃん?」

 予想外の光景に、幸久の口からは間抜けな声が出た。

 「さよちゃん。え?嘘でしょ?ちょっと起きて。」

 机に突っ伏して寝息を立てる沙依に、幸久は必死で声を掛けた。全く起きる気配がなくて、全身の力が抜ける。嘘だ。決死の思いで告白したのに、もしかして聞いてなかったの?こんなことってありなの?そんなことを思うが、心地よさそうに寝息を立てている沙依を見ていると、幸久は何とも言えなくなった。とりあえず料理を食べながら沙依が起きるのを待ってみる。あぁ、今日はなんだか踏んだり蹴ったりだな。告白しようとしたら邪魔されるし、告白したら本人寝てるし、今日はなんかタイミングが合わない日なんだな。そんなことを考えて、幸久はため息を吐いた。沙依の寝顔を見てまたため息が出る。寝顔も本当にかわいい。かわいいけどさ。そりゃないよ。そう思いつつ、さよちゃんもきっとそれだけ疲れてたんだな、と考えて、幸久は今日告白することを諦めた。

 「ほら、さよちゃん。帰るよ。」

 揺すって起こすが、沙依は寝ぼけたような目をして何かむにゃむにゃ言うだけで立ちあがる気配がなかった。

 「お店の人にも迷惑になっちゃうから、ほら、ちゃんと起きて。」

 幸久はそう言ってどうにか沙依を起こし、ふらつく彼女を半分抱えながら店を後にした。店を出てちょっと行ったところで情報司令部隊の児島隊長に話し掛けられ、気付くと幸久は、彼に沙依を預けていた。二人を見送ってため息が出る。

 また改めてさよちゃんに告白する機会作らないとな。そんなことを考えながら、幸久も帰路についた。


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