第一章 青木高英の苦悩
「ずっとただ過保護なだけだと思ってたけどさ、お前、沙依に恋慕してんだろ。あいつの沙依に対する執着はお前の気持ちなんだな。」
成得にそう問われた時、高英はそれに明確に答えなかった。でもその時に思った。他人に気付かれてしまった以上、もうこれを隠しておくことはできないと。
成得が言ったあいつ。沙依の恋人である清虚道徳真君と初めて会った時、彼に自分の感情が映ってしまっていることに高英は気が付いた。一度国が滅ぶことになった大きな戦争の後、沙依を失ったことを受け入れられなかった高英は、数多の精神を渡り歩き、ついに敵に捕まった沙依を見つけ出した。その時に高英は、当時子供だった道徳の精神に入り込み、彼の身体を操って沙依を助け出した。その時は本当にただただ沙依が生きていたことが嬉しくて、沙依を助け出す事に必死で、だから能力の制御なんてできなかった。自分に出せる全ての力を振り絞って沙依の元に向かった。当時、戦争で重傷を負って死にかけていた高英には、沙依を助けた後に、勝手に身体を借りた道徳から自分の影響を消し去るような余裕もなかった。そもそも助け出してほっとしたら精神の糸が切れて、気がついたら自分の身体に戻って来ていた。確かに沙依を見つけ出したという喜びと、彼女が無事生きていたという安心感ははっきりと覚えているのに、それは長い夢だったようなそんな気がして仕方がなかったことを覚えている。その後の高英は、もう一度、彼女に会いたい。本当に生きていたのだと確信したいという気持ちだけで生きていたと言っても過言ではなかった。それくらい高英にとって沙依は特別な存在だった。自分の全てだと言っても過言ではないような、そんな存在だった。
だから成得に指摘されなくても高英は、道徳が沙依に抱いている感情が自分の物だと分かっていた。それでもそれを認めなかったのは、決して目を逸らしていたからではない。ただ時間稼ぎをしたかっただけだった。隠していた感情を表に出した自分が暴走して欲望を爆発しないですむように、腹を決める時間が欲しかった。昔から自分の気持ちは解っていた。自分がずっと彼女に劣情を抱いていたということも知っていた。気が付いていて、ただずっと黙っていた。自分の気持ちが決して愛なんかではないと確信していたから。
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高英が沙依と出会ったのは、彼女が七歳の時だった。双子の兄と二人暮らしをしていた家に、兄が養子にすると言って彼女を連れてやってきた。初めて彼女を見た時に高英が思ったことは、こいつも苦労するな、だった。そう思ったのは、いくらコーリャン狩りを廃止して久しく、コーリャンへの偏見も薄れたここ龍籠であっても、忌み色をもった子供は差別の対象になるだろうと思ったからだった。彼女はターチェにとっての忌み色である黒の瞳と髪をしていた。だから、自分達兄弟と同じように彼女もまた、狩から逃げのびてたどり着いたこの場所で、謂れのない中傷を受ることになるのだろうと、高英は漠然と思っていた。
地上の神と人間の間の子の子孫であるターチェ。始祖となった最初の兄弟は、父である地上の神を殺した罪を背負い、何度生まれ変わっても殺される運命を強いられた。その運命を強いられた子供の総称がコーリャン。最初の兄弟の魂を継いだ者の総称だったはずのそれは、高英たちが生まれた頃にはある一定以上の力を持って生まれた子供の総称になっていた。高英もまたコーリャンだった。そして、兄と共に狩から逃げのびて、唯一コーリャンの受け入れをしている国、この龍籠にやってきた。その頃は龍籠にたどり着けばもう大丈夫だと思っていた。確かに龍籠に着いて命は守られた。でも、人の思考に干渉し読み解くことができ、人の精神を操り行動を縛ることができる、そんな能力を持った高英たち兄弟は、ここの国民に心から受け入れられることはなかった。何もしていないのに、恐れられ、疑われ、避けられた。それが耐えられなくて高英は心を閉ざした。当時の高英にとって兄だけが安心できる存在だった。だから沙依に対して、苦労をするなとは思ったが、何かしてやろうとは思わなかった。関わりたくなかった。兄から世話を押し付けられて迷惑でしかなかった。
高英は、沙依が子供の頃、正直彼女が怖かった。彼女が来てから兄がおかしくなったように思えてしかたがなかった。幼かった彼女が意識を失うまで訓練をつける兄が異常に見えた。どんな無茶にも黙って従う彼女が不気味だった。兄にどこまでも従順で泣き言一つ言わない彼女が、兄に操られている様に見えて、そんなことをする兄は狂ってしまったような気がした。彼女が兄に操られている様に見えたのに、彼女が兄を狂わせたように思えて仕方がなかった。かつて地上の神を狂わせ、兄弟達に神を殺さざるを得なくさせたという、最初の兄弟の中で唯一の黒髪黒目をした末っ子。忌み色を纏った厄災の御子。沙依こそ、その厄災の御子そのものではないか、そんな気がして、兄もまた地上の神と同じように彼女に狂わされたような気がして、彼女が怖ろしかった。そう、自分が偏見で貶められて辛かったくせに、高英は彼女に自分がされたことと同じことをしていた。高英と違って沙依は人の頭の中が読めないから、彼女には自分がそう思ってることが伝わらなかっただけで、高英は自分が憤り嫌って拒否した相手と同じことをしていた。
その頃高英は、人の頭の中なんて見たくないと思っていた。人の心なんて知りたくないと思っていた。だから高英は、仕事で必要な時以外は能力を使わなかった。だから沙依の頭の中を覗いたことはなかった。初めて高英が彼女の頭の中を覗いたのは、彼女が大怪我を負って、それが元で高熱を出した時だった。その時に初めて、高英は彼女が只の子供だと認識した。彼女が泣き言一つ言わないのも、兄に従順なのも全部、ただ見捨てられることが怖いだけだと初めて知った。高英が彼女を嫌っていると感じていたから、迷惑にならないようにしていただけだと知った。彼女の中のどうしようもないくらいの孤独感や不安、恐怖を感じ取って、高英は辛くなった。自分はこんな幼くて弱い彼女になんてことをしてしまったのだろうと思って、自己嫌悪に陥った。熱が下がった彼女は、今度は高英を気遣って嘘を吐いた。高英に心配を掛けたくないから大丈夫だと言った。それを見て、高英はまた胸が締め付けられる思いがした。本当は自己嫌悪に陥って辛かったのに、嘘を吐かれるのが辛いのだと偽った。彼女はそんな高英の嘘を鵜呑みにして、嘘をつかなくなった。高英には偽らなくてもいいと、偽らなくても高英は自分の存在を受け入れてくれると確信した沙依は、高英に信頼を寄せて安心感を覚える様になった。
高英に能力で頭の中を覗かれることを沙依は拒絶しなかった。心からそれを受け入れて、高英がそうやって自分を見守ってくれているのだと信じ込んで、そうされることに安心感を覚えて、そうやって純粋に自分を信じ切って自分を受け入れている彼女の想いを感じることで、高英の心も絆された。それでもその頃は、それは子供の内だけだと思っていた。そのうち拒絶される時が来ると思っていた。でも沙依はその先もずっと変わらなかった。子供の頃と同じようにずっと高英のことを信頼し続けた。
沙依が成人を迎える頃には、高英にとって沙依は特別な存在になっていた。高英にとってかけがえのない存在になっていた。沙依が子供の頃と同じように常に不安や恐怖を抱えていることは知っていた。子供のころからずっと、彼女が本当は誰かに思いっきり甘えたいのだ知っていた。泣き言も言わず涙も流さない彼女が、本当は思いっきり泣いて、誰かに縋って、誰かに抱きしめられて、頭を優しく撫でてもらいたいのだと、大丈夫だと言ってもらいたいのだと知っていた。彼女がそれを、家族として絶対の信頼を置いている自分に求めていることを知っていたが、高英は実際にそうすることができなかった。そう望んでいる彼女にどう接していいのか解らず、どう関わればいいのか解らず、戸惑い二の足を踏んでいるうちに気付けば彼女は大人になっていて、触れることができなくなっていた。その頃には彼女に劣情を抱いていたから、彼女に触れて抑えきれなくなることが怖かった。抑えられなくなって彼女に拒絶されることが怖かった。少しでも彼女に拒絶の意思を示されるかもしれないということが、高英には耐えられなかった。
沙依に劣情を抱いていたくせに、成人の儀を終えた彼女から行為を求められた時、高英はそれを受け入れることができなかった。彼女の不安を知っていた。彼女の恐怖を知っていた。彼女がいつだって自分を受け止めてくれる誰かを求めていたと知っていた。そんな彼女に付け込んで、彼女を自分に依存させ、自分なしでは生きていけないようにしてしまいたいと思っている自分がいた。なのに、まるで彼女を気遣っているようなことを言って、彼女を大切にしているようなことを言って、高英は沙依の求めを拒絶した。あの時彼女を抱いていれば、きっと彼女は自分の物になっていたと思う。でも、どうしてあの時自分が彼女の求めに応じなかったのか、高英には解らなかった。
高英は思う。自分の沙依への想いは決して愛情なんかじゃない。そんなものじゃない。自分は彼女を愛してなんかいない。自分は彼女を本当にただ自分だけのものにしたいと思っているだけだ。自分に絶対的信頼を寄せてくれている彼女を、自分を怖がらない彼女を、自分の存在を全部受け入れてくれる彼女を、そんな彼女をただ独占したいだけだ。
高英が沙依の思考を四六時中ずっとジャックしていたのも、見守っていた訳じゃない。ただ彼女の全てが知りたかっただけだった。そうやって彼女を監視し、彼女が誰かに淡い恋心を抱けば、彼女が気付く前にその気持ちを封じた。彼女の感情を操っただけじゃない、彼女が誰の物にもならないようにずっと邪魔をしていた。高英が沙依を過保護にしていたのは、ただ、彼女を失うのが怖くて、彼女を失うことが耐えられなくて、彼女を守っていただけだった。高英は、自分を受け入れてくれる存在として、自分が安心できる存在として、沙依を必要としていた。こんな自分を受け入れ信頼を寄せてくれる彼女の心に触れて、その心地よさに溺れていたかった、ただそれだけだった。それだけだと思っていた。
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「コーエーはさ、いつだってわたしの味方でいてくれたけど、わたしのこと大切にしてくれたけど、こうやってわたしのこと甘やかしてくれたことないじゃん。わたしを守ってくれたけど、わたしが辛い時、怖かった時、わたしに付き添ってくれたことないじゃん。わたし、ずっと辛かった。子供の頃、すごく辛かった。辛くて、怖くて、ずっと誰かに助けてほしかった。行徳さんに認めてもらいたくて必死で、捨てられるのが怖くて必死で、わがまま言っちゃいけないって我慢してた。良い子でいなきゃいけないって我慢してた。泣いちゃいけないって我慢して、我慢して、必死だった。独りぼっちになりたくなくて必死だった。そういうこと全部思い出したんだよ。自分が何をどう感じてどうしてほしかったのか、そういうことをさ、思い出したら止められなくなって、それでさ…。」
子供姿の沙依に泣きながらそう感情をぶつけられた時、高英は胸が締め付けられる思いがした。自分に縋り付いて謝罪を繰り返す沙依から、どうしようもないくらい高英に受け入れてもらいたい、自分の感情を受け止めてほしいという思いが流れ込んできて、高英は苦しくなった。
高英は沙依の頭にそっと手をのせると、張り詰めた彼女の心がすっと軽くなるのを感じた。そう、ずっと知っていた。彼女が自分にずっと家族としての愛情を求めていたことを。彼女がずっと自分にこうされたかったということを。彼女はずっと自分のことを家族として必要としていたということを。彼女は自分に家族として受け入れられたいと、受け止めてほしいとずっと思っていたことを、高英は大昔から知っていた。
「悪かった。」
そう言って高英は沙依の身体をそっと抱きしめた。
「本当は、本当にお前がこれくらいの年齢だった頃にこうしてやるべきだった。」
本当にそう思った。そう思うが、自分の腕の中で胸いっぱいに幸せを感じている沙依を感じて、高英は辛くなった。そう、いつだって彼女の中で自分は家族だった。親兄弟のような存在だった。遠い昔に彼女が自分に行為を求めたのだって、彼女が自分をそういう風に求めたからではなくて、養父の行徳に経験しておくように促されて、しなくてはいけないと思ったからだった。言うことをきかなくては見捨てられるという強迫観念にとらわれて、自分に行為を求める彼女を高英は受け入れられなかった。本当は自分を家族としてではなく、男として心から求めてほしかった。彼女の弱さに付け込んだり、能力で縛るのではなく、彼女に心から自分を必要としてほしかった。彼女自身の意思で自分を選んでほしかった。なのに、それがどうしても叶わないと分かっていたから、どうしようもないくらいにそれが理解できてしまっていたから、だからずっと気持ちを押し隠していた。彼女に触れればこうやって、どうしようもないくらい自分が彼女から男として見られてないことを実感してしまうから、触れられなかった。どうしようもないくらい彼女に劣情を感じているのに、彼女から家族としての愛情を求められ甘えられるなんて耐えられない。でも、彼女が自分から離れていくことも耐えられなくて、ずっと何もできなかった。そういう事だったのだと、高英はようやく気が付いた。
あぁ、どうしようもないくらい俺は沙依のことが欲しい。そう感じて、高英は何かを諦めた。自分が彼女に求めているのは、親子兄妹のような関係じゃない。もうこの気持ちを抑えておくことはできない。彼女に自分の想いを伝えよう。高英はそう心に決めた。
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高英と成得は遠くから沙依と道徳の様子を見ていた。今日は、表向き過保護な家族に、中途半端な関係を続けてないで結婚するか別れるかどっちかしろと言われた二人が、その答えを出す日だった。
高英は道徳から自分の影響を消し去った。その結果、道徳は沙依に恋愛感情を持つことができなくなった。それでも彼は沙依と一緒になることを求めていた。かつて沙依を強く求めていたという記憶が彼を縛った。彼がかつてそれほどにまで求めたことがあるのは沙依だけだった。沙依だけが彼の中で特別な女性だった。だから彼は沙依を求めた。彼女といればまた以前のように彼女を想えるようになるかもしれないという思い、かつて感じたその強い感情をまた感じたいという思い、自分がそこまで思いを寄せた相手を失いたくないという思い、そんな様々な思いが道徳の中で渦巻いているのを高英は感じていた。そんな彼を沙依は受け入れなかった。本当に彼のことを好きだったのに、彼を求めていたのに、沙依は道徳との別れを選んだ。
そんな二人の想いを覗きながら、高英は人の想いはとても複雑だなと思った。割り切れる想いなんてきっとない。色々な感情が織り交ざって、色々な思いを抱えて、そして人は生きている。自分に恐怖を感じている者が必ずしも自分を拒絶しているわけではない。自分に不信感を持っている者が自分を全く信用していないわけではない。相反するはずの感情が混在することだってある。むしろそれが普通のことなのだと高英は思った。自分だって同じなのに、ずっとそれに気が付けずにいた。沙依が自分を受け入れてくれるまでずっと人を拒絶していた。彼女がいてくれたから自分は他にも目が向けられるようになった。彼女の他にも心を許せる相手ができた。今はもう彼女だけが自分の居場所じゃない。でも、今でも彼女の全てを自分の物にしたいと高英は思っていた。
「全部終わったけどどうすんの?今から沙依に告白しに行く?」
成得にそう問われ、高英は帰ると一言言って踵を返した。
「沙依を実家に連れて帰らなくていいの?あいつ今俺と寄宿舎で二人暮らしだよ?あいつに下心がある俺と二人にしといていいの?傷心のあいつにつけこんで俺なにしでかすか解んないよ?抜け駆けして沙依の事奪っちゃうかもよ?」
後ろからそんな成得の声が聞こえたが、高英は好きにしろとだけ言ってその場を去った。成得が沙依に想いを寄せているのは知っている。でも彼が沙依になにかできるとは高英は思っていなかった。同じ思いを寄せるでも、彼は自分とは違う。彼は沙依のことが好きだから、自分のことを支えてほしいし彼女を全部受け止めてやりたいのだと言っていた。それが本心だということを高英は知っている。自分はどうかと言ったら、自分は彼女に自分の全てを受け入れてほしい。そして彼女のことを支配したいのだ。だから結局、自分の感情は愛なんかじゃないと思う。でも愛ではなくても彼女に恋愛感情を抱いていることは間違いない。そしてその自分の欲望は彼女を傷つけることにしかならない事も解っていた。高英の感情を植え付けられた道徳は、沙依を束縛し、自分を安心させるためだけに乱暴に行為を重ね、彼女を傷つけてきた。彼と違って彼女の全てを知ることのできる自分は、彼のような焦燥感にかられ、彼のような行動に出ることはないと思う。でも、結局は自分の抱いている想いとはそういう物なのだ。そして、自分を心から家族だと思っている彼女に、自分はそうは思っていなかったと伝えること自体が彼女を傷つけることになるだろうことも高英は理解していた。それでも彼女へ想いを押し付けようとする自分は本当に身勝手だと高英は思った。だから、もう少し。彼女に拒絶された時に能力を使ってでも彼女を支配しようとしてしまわないと、ちゃんと彼女の想いを受け入れられるという自信が持てるまでは、彼女に想いを伝えるわけにはいかないと思ってた。自分が欲しいのは、自分の能力で縛られた傀儡の彼女ではなくて、本当の彼女なのだから。本当の彼女が手に入らないのならいっそなどと、そんなところまでは落ちたくないと高英は思っていた。
○ ○
実家を離れていた沙依を高英が実家に呼び出したのは、彼女が道徳と別れてしばらくたってからのことだった。自分の異変に不安感を覚えて実家を出て行った彼女に、どうして自分が変だったのか、どうして彼女に問い詰められた時に何も答えなかったのか、それを教えると言うと、彼女は神妙な面持ちで高英と対峙した。
「沙依。俺はお前が好きだ。家族としてじゃない。お前を自分だけのものにしたいと思っている。ずっと、そう思っていた。」
そう伝えると、沙依は理解できないという顔で呆然とした。そして少し考えるそぶりをしてから、困った様な顔で笑った。
「ごめん、コーエー。わたしコーエーの事をそういう風には見れない。コーエーの気持ちに答えられない。ごめんね。」
そういう沙依を見て、高英は何とも言えない気持ちになった。気持ちを伝えれば彼女は傷つくと思っていた。気持ちを伝えたら彼女が自分を見る目が変わると思っていた。彼女から拒絶されると思っていたのに。どうして彼女は今でも自分のことを信頼しているのだろう。彼女からは、自分が何を言っても高英はちゃんと受け止めてくれると信じているから、言葉を選ばずに思ったままを言っているということが伝わってくる。高英が自分をそういう目で見ていたことの衝撃より、自分が高英の気持ちに答えられないことで高英が辛い思いをすることに心を痛めている。そして、家族としてはいられないということに淋しさを感じていることが伝わってきて、高英はどうしようもない気持ちに囚われて、沙依を強く抱きしめた。
「沙依、好きだ。お前がいてくれてよかった。お前がいてくれたから、俺は・・・。」
そう言葉にして高英は自分の想いを実感した。あぁ、やっぱり自分の気持ちは愛なんかじゃない。彼女を大切にしたいという気持ちより、彼女が欲しいという気持ちの方がどうしようもないくらい大きい。断られたのに、自分を受け入れてほしい、自分を選んでほしい、そんな気持ちが抑えられなくて、本当に自分はどうしようもないと思う。そう思いながら高英は、自分の腕の中で戸惑っている沙依に口づけをしようとした。
「やめてコーエー。」
沙依がそう言って、どうしようもないくらい困った顔で高英を見ていた。
「これ以上はダメだよ。わたし、コーエーの事嫌いになりたくない。」
そう言われて、そう思っている沙依の苦痛が伝わってきて、高英は彼女を離した。ほっとした彼女の感情、こんなことをしようとしたのにそれでも自分を信じている彼女の心。こんなことになっても自分への信頼が揺るがない彼女の想いが伝わってきて、高英は苦しくなった。違うんだ沙依。俺はそんないい奴なんかじゃない。いつだって自分可愛さで、本当にお前のことを大切になんてしてなかった。お前がどんな思いをしてるのかも、何を願ってるのかもずっと知っていたのに、何もしなかった。それどころか、お前が気付かないところでずっと、俺はお前の感情を勝手に操作して、お前が他の誰かの物にならないようにずっと邪魔をしてきた、そんなことばかりしてたんだ。
「ねぇ、コーエー。コーエーはいつからわたしの事そう思ってたの?」
沙依の声が聞こえた。
「ずっと前からだ。それこそ、お前が成人する頃にはとっくに、俺はお前をそういう目で見ていた。」
それを聞いて沙依は、そっかと呟いて目を伏せた。全然気が付かなかった。そう言う沙依に高英は、ずっと隠してたからな、と心の中で答えた。
「コーエーは、ずっとわたしがコーエーに家族を求めてたから、ずっと隠してくれてたんだね。わたしの事傷つけないように隠してくれてたんだね。わたしがようやく大丈夫になったから、コーエーも我慢しなくて良くなったんだね。ずっとごめんね。今までありがとう。」
そう言って笑う沙依を見て高英は苦しくなった。どうして沙依はこうなのだろう。どうして本気でそんなことを思っているんだろう。何でいつだって人の行いの中に善意を見ようとするんだろう。本当に俺はそんな奴じゃないのに。そんなことを高英は心の中で呟いた。
「青木の当主はわたしだけど、別に当主が実家にいなきゃいけない訳じゃないし、ここはもともとコーエーと行徳さんの家だったし、このままわたし出て行くよ。コーエーのこともこれからはちゃんと一人の男の人として考える。」
そう言って沙依は高英をまっすぐ見つめた。自分にどう声を掛けていいのか解らず迷っているのが伝わってきて、自分に向けられた感謝が、今まで彼女が自分をどう思ってきたのかが伝わってきて、高英は色々なものを諦めた。彼女を自分だけのものにしたい。でも、自分は結局彼女に無理強いすることはできない。こうやって自分を信頼して、いつだって優しい気持ちで満たしてくれる彼女が好きなのだ。最初から自分は彼女を縛ることなんてできなかった。もし彼女を縛っていたとしても、きっと自分はそれに耐えられなくなっていた。そう思って高英は心の中でため息を吐いた。
「家族としていられないのは残念だけど、しかたがないよね。」
結局、沙依は何かを言葉にすることは諦めて、少し寂しそうな顔をしてそう言った。そして、じゃあ行くねと言って家を出て行った。そんな彼女の後姿を見送って、高英は天井を仰ぎ見た。
高英の中にある沙依への想いが消えたわけではない。気持ちの整理をつけるのにまた長い時間がかかるだろうと思う。自分をようやく男と認識した彼女にアプローチをすれば、もしかしたらということもあり得るのかもしれない。でも高英は、それはやめておこうと思った。自分の想いは愛なんかじゃないから。彼女はちゃんと彼女を愛してくれる誰かと一緒になるべきだと思うから。沙依に想いを寄せる奴は自分以外にも沢山いる。昔はずっと邪魔をしてきたが、もう邪魔はしない。彼女がちゃんと自分で選んで幸せになってくれたらと良いと思う。苦しい思いもするかもしれないが、彼女が自分の人生をめいっぱい謳歌しているのを感じることができれば、きっと自分も幸せを感じることができるから。そう思って、高英は自分の恋に終止符を打った。