表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

僕と悪魔の初めまして。



 これは青い月の夜のはなし




 狂い桜の花弁を黄色に変えるという、一風変わった仕事の帰りに立ち寄った、行き付けの純喫茶での出来事である。




 疲れたときは美味しいコーヒーを飲んでくつろぎたいから、客入りの悪いこの店によく来るのだ。



 いつも通りオリジナルブレンドを頼もうと思ったのだけれど、コーヒー豆が切れているらしい。

 仕方がないから、たまにはお酒でもと紅いカクテルを頼む。




 悪魔とか言う物騒な名前のカクテル。



 ここだけの話だが、たぶん悪魔は想像よりも怖くない。そんな気分になれるのが、このカクテルの良い所だと思う。




 二週間ぶりに外に出て仕事をして疲れたせいなのか、三杯目を飲み終わる頃には酔っぱらい。気分は悪魔殺しである。




 先週末にはどこぞの悪魔を殺しただの。首筋の傷跡はその時にできた物だの。有りもしない傷跡をなぞりながらグラスを傾ける。



 困り顔のマスターを横目に、有ること無いこと考えては呟いていたのだ。




 おつまみのポテトに付いてきたオーロラソースを指につけてお皿に落書きまでして。

 正真正銘、どこから見ても、由緒正しく、否定しようがないほどに、酔っぱらいである。



 顔見知りじゃなかったら、出入り禁止になっていたかもしれない。一人で勝手に盛り上がっていたのだ。




 もちろん悪魔は英雄が出てくるようなお伽噺(とぎばなし)にしか存在しないはずだし、その辺りに居たとしても流行りに疎い僕には知る由もない。



 ひきこもりだし。




 だからあれは、つい言ってしまっただけなのだ。




 今思えば軽率だったと思う。もちろん後悔も反省もしている。なんなら神様にもう二度と言わないと誓っても良い。覚えてるかは分からないけれど、来世でも言わないって。




 ただまぁ後の祭りとは良く言ったもので。今さら何をしても変わらないから、今世では言い続けるのだけれど。




 死にたいなら殺してやる。



 なんて裏路地の悪漢宜しく低俗な捨て台詞。




 恥ずかしいけれど言い続ける他仕方がない。



 何せこの台詞のせいで、僕はなりたくもない悪魔憑(あくまつ)きになってしまったのだから。








 -------暗転。




「……いたい」




 さっきまで顔をつけていたはずのカウンターがなくなっている。座っていた椅子すらないのだから、顔から落ちても仕方がないと思うのは僕だけでは無い筈。



 そんな言い訳じみた思考を頭の隅に追いやり、強打した鼻を押さえながら辺りを伺う。



「マスターは良いとしても、お店すらないよ。道も建物も……何もない?」




 いつもなら聞こえるはずの野犬の鳴き声すら聞こえないのだから、さすがに酔いもさめたってものだ。



 地平線の先まで何もない。真っ暗な空間に一人ぼっち。光がさしてるわけでも無いのに視界は良好。不思議である。




「……いったい何がどうしたっていうのさ」



 深めのため息をひとつ吐く。誰かしら答えてくれても良いだろ。なんて思った矢先の事。後ろから硬質な足音が響く。





「私を殺してくれると言ったのは坊やで良いの?」




 夏の夜空を病気にしたような藍色の肌には、廃れた教会の窓みたいにひび割れが。

 煮詰めたワインのような真っ赤な瞳と蜘蛛足みたいな歪なまつ毛。

 英雄譚のメデューサみたいに蠢く銀髪。



 恐ろしいほど整った顔じゃなかったら、悲鳴をあげていた自信がある。




 この紹介の仕方もどうかと思うけど事実だから仕方がない。



 傾国の美女が女神から嫉妬を受けて呪いをかけられた。根も葉も意味もなく、そんな深読みをしてしまう程度には美人さんだ。




「なんの話しですか。殺すとか、そんな恐ろしい。僕が殺せるのは、クツの裏におさまる大きさの虫だけです」



 急に突拍子もない事を言われたからか、滅多に使わない丁寧な言葉で返事をしてしまう。




「さっき俯きながら言っていたでしょうに」



 唇を尖らせて溜め息を吐き、納得がいかないと言わんばかりの視線を僕に向ける。



 溜め息を吐きたいのはこっちだよ。なんて思いながら睨め付ける。



「さっきまで楽しく酔っぱらってたっていうのに、いったい何の話をしてるのさ」



「……今言った事は本当なの?」



 わなわなと唇を震わせて、冗談みたいに細い声で聞いてくる。



 今言ったことって酔っ払ってたってことかな?



「……ほんとうだよ。お酒の匂い、するでしょ?」




 お姉さんは僕の呟きを聞いたとたんに顔を強ばらせて、震える指を必死に動かし、懐から何かが書かれた巻物(スクロール)を取り出す。




 そして何度も何度も、スクロールと僕とを交互に見比べる。




 あまりにも切羽詰まった表情で見てくるものだから、意味も分からず緊張してしまう。




 この不思議な空間に唾を飲み込む音と、紙が擦れる音だけが響き渡る。



 そして深い溜め息がひとつ。




「……本当に酔っ払って私の召喚陣を書いちゃったのね。こんなに複雑なのに、一つも間違えないで」


「しょうかんじん?」


「そうよ。召喚陣って言うのは、この世界には居ないけれど、別の世界には居るもの。この世界には居るけれど、今居る所とは別の所に居るもの。そんなもの達を招き喚ぶ、絵や図形の総称よ。魔法陣、とも言ったりもするわ」




 物好きしか住まないと専らの評判な幻影都市【パラノイズ】

 ……まぁ、認めたくは無いけどそこに住んでる僕も、世間一般では物好きの部類なのだろう。



 その中でも五本の指に入る、胡散臭さ満点の【星灯り商店街】という通りがある。

 何が胡散臭いかというのはまた今度説明しよう。



 その通りの何れかの店に、クレヨンで描いたかのように歪なもが売っていた筈だ。

 盲目のお婆ちゃんが、間違えてキャンディの瓶を指差しながら、勧めてきた記憶がある。



 因みにキャンディは蜂蜜レモンとミントの味だった。程好い甘さと清涼感が病み付きになる。我ながら良い買い物をしたなと誉めてあげたい。



 思考がそれたね。取り合えず売り物を見た事があるから、実在してるのは知っていた。




「魔法陣って本当に使えるんだ。まぁ良いや、とりあえず僕が酔っぱらってお姉さんを召喚しちゃったって事?」



 信じられないな、とは思う。でも、いざ目の前に見た事のない容姿をした人に説明されると、納得せざるを得ない。



 やっぱり世界は広いや。とか、色々思う事もあるけれど。今は感動している場合じゃなさそうだ。




 僕の予想が正しければ、目の前の美人さんは別の世界に居た方だ。いや、この調子だと僕が知らないだけで、この世界に居た可能性もあるのか。




 とりあえずその事は一旦置いておこう。問題は、そこで生活していたって事だ。



 小綺麗な洋服を着てるし、高そうなアクセサリーも着けている。偽物って可能性もあるけれど、自分の事を着飾る程度の文化圏に居たのは確かだ。

 まぁ会話が成り立っている時点で、それは分かりきっていたのだが。




 そんな人を用もなく呼び寄せてしまったってのが、よろしくない。



 罵詈雑言を浴びせられて、殴る蹴る等の暴行を加えられても、一つも文句は言えない。

 それほど理不尽なことをしてしまっているのだから。



 知らなかったで済ませられるほど、僕の面の皮は厚くない。




「私にとっては、まあ良いやで片付けられる事じゃ、無いのだけれどね」



 ですよねー。いくら優しそうな人だからって今の言い方はなかったな。




 「それは……本当にごめんなさい。僕にできる範囲でおわびします。お金持ちって訳じゃないから、時間はかかるかもしれないけど」



 文句を言いたいのはお姉さんの方だろうから、卑屈にならないように目を合わせ。堂々と言うのも変だから、申し訳なさそうに。それでもきちんと聞こえるように、丁寧に発音する。



 僕なりに精一杯の謝罪の仕方。




「本当に何でも良いのね?」



「僕に出来ることなら絶対に。出来なくても、出来るとこまでは」



 死なない程度に、とは格好悪くて言えないけれど。それくらい頑張りますよ。




 指の第一間接程はありそうな、長くて綺麗な黒い爪。その爪を一本立てて、上唇に軽く当てながら考え込んでいる。



 一分が十分にも感じるほどの緊張感。有罪判決を待つ罪人の気分。冗談でも良い気分とは言えない。



 熱源が有るわけでもないのに、背中にぬめりとした汗をかく。



 早く。早く決めてくれ。立場をわきまえずにそう叫びたい。




「決めたわ」


「そっか。じゃあ僕は何をすれば良いのかな?」



 時間感覚が狂ったせいで、どれほど経ったかは分からない。

 一時間かもしれないし、五分程かも分からない。



 ただ今の僕にできることは、緊張してることを悟られないように、できる限りゆっくり、余裕があるように返事をする。それだけだ。




 そんな僕の心境を見越してか、軽く笑いながら口を開く。

 冗談でも言うかのようにあっさりと。それでいてひどく真面目な表情で。








「私を殺して」




 悪魔は怖くないってのは、僕の思い過ごしだったようだ。

 


 今日で一番深い溜め息を吐く。

 煙草ってどこにしまってたっけ、なんて考えながら。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ