迷宮からの脱出6
『迷宮』を領主やら国やらが欲しがるのには、大前提となる条件がある。それは迷宮が安全であるという条件だ。
迷宮は魔物を生み出す。本来ならそれは危険物であり、さっさと壊すなり、入り口をふさぐなりしなければならないだろう。
もしそこから魔物が出てくれば、毎日のように軍隊を動員して討伐しなければならない。近隣の被害やら何やらで、自分たちの財布に直接的に一撃が入ってくるのだから、枕を高くして眠れなくなってしまう。しかし、そうはなっていない。それは迷宮は安全だからにほかならない。
なぜなら、『迷宮』は魔物を外に出さないのだ。これはどんな魔物でも例外はない。だからこそ、どこの国でも迷宮は保護されている。
それをどうやっているのかは分からない。しかし、実際に迷宮から魔物が出て来たという事例は確認されていない。ヴァイスも何度も実験しているのだ。
これは簡単に観察できる現象で、迷宮内の魔物を出口付近まで引っ張っていくと、なぜかそれ以上は進まないのだ。死んでしまえばこの限りではないのだが、なぜか生きている限りは外へは出ない。
一度ヴァイスも出口付近でそれをやった上で、さらに魔物を挑発して襲いかからせたことがある。その結果、なぜか魔物は出口のところで、何か、壁に跳ね返されるようにして、そこで立ち止まってしまったのだ。どうやらこれはどんなに強固な魔物であっても同じらしい。
この壁が何なのか、当時のヴァイスにはわからなかった。普通に人が通れるのに、魔物は通さない何か。聖ダルタニカ寺院などでこれと似たような機構が有るのは知っているが、それとも違う。当時色々検証してもなんなのかは結局わからず仕舞だった。
ヴァイスは元来た道を逆に歩きながら、ため息をついた。もうこれで何回目だろうか、もう途中で数えるのもやめていた。
もちろん、今は分かる。あれは画面を作ったものと同じ原理のものだ。見えるか見えないかの違いはあるが、感触的には変わらなかった。
あれ(、、)が、魔物たちを外へ出さないのだ。そこまでは分かったのだが、ここまで理解できたのにあまり嬉しくない。正直、憂鬱な気分が広がる速度の方が、好奇心の広がりより早かった。
聖ダルタニカの場合、寺院の敷地全体に結界を張っており、そこに特定の割符を持った者以外は入れないような仕組みになっているのだ。あの壁でも似たような仕組みが働いている公算は大きい。判別の方法も、なんとなくわかる。
普通の動物か、魔物かの判別は容易なのだ。それは体内に『魔石』を内包するほどの魔力を有しているか、そうでないかの違いで区別される。
だが、それは解体してみなければ分からない話で、魔物とされていた物が単なる動物となったり、その逆もあったりと、見た目だけだと判別が難しい。魔石を内包する魔物は大気中にある魔力をとりこみ、取り込んだ魔力で魔法の行使ができる点で驚異的とされるが、実は動物の中にもそう言った生態を持つ者がいるので、このあたりは誰かが討伐し、詳細に解体するのを待つしかない。
分類学者たちはこのあたりをかなり懸命に分けようとしているのだが、個体差が有ることがあり、同じ種類で有っても魔物であったりなかったりということがざらにあるのでこの点は放置されていたりする。はっきり言って、手に余っているのだが、まあ、それは学者の問題だろう。冒険者たちは歯牙にもかけない。
これには理由がある。実は迷宮内の動物にはこの区別は必要ないし、考える必要もない。それは中にいる動物が確実に(、、、)魔石を持っているからだ。
迷宮内で子犬を見つけてもそれは魔物である可能性はほぼ確実だし、小さな鼠さえそうなのだ。もちろん獲れる魔石に大小の違いはあるが、少なくとも親指の先くらいのものは確実に取れる。つまり迷宮内で生まれてくる物は、全て『魔物』なのだ。
まあ、そこに関しては良いだろう。ならば、人類が魔物になりえるか?
もしヴァイスがこう質問された場合、答えとしては、ありえると答えるしかない。実際、人類として数えられる、ヒト族、エルフ族、ドワーフ族、ビースト族などで、死後体内からこれが見つかった事例は確かにあるのだ。魔石の有無で判別する以上、ならばこの事例の者たちも魔物となっていたと言っても間違いではないだろう。
人類から見つかる魔石は大抵、拳大ほどの大きさの物が多いらしい。だがそんな物が体内にあって、どうして不具合を起こさないのかは謎だ。
そもそも、魔石というのが謎の存在なのだ。これは鉱石の一種として数えられるが、本当にそうなのかといわれると首を傾げるしかない。魔道具などの動力源として使用すると徐々に溶けるようにして消えてしまうため、その性質としては氷に近いと言えるだろう。なんの氷かといえば、魔力の氷だ。
有力な説では生物が死んだ時、それが持っていた魔力が凝固した物らしいと言われているが、まだ確立された話ではない。“死にぞこない”たちなどどうなのかなど多分に議論の余地があるため、結局のところ謎のままだ。
では、迷宮によって、魔物と認定されてしまった人類はどうなるのか。それが、あの結果だ。
出口の端はどうかや、跳んでみたらなど、かなり無駄な努力もしてみたが、結局のところ無理だった。どうしても、あの良く分からない壁に阻まれてしまう。
元からあったのか、起動したときに出来たのかは分からない。だが、いずれにしても魔物を出さない機構として機能しているのは間違いない。起動する前はヴァイスたちが研究のために出入りしていたし、その後も誰かが何度も出入りしているはずなのだ。まさしく、正常に機能しているのだろう。
そこまで考えて、ヴァイスは落胆しながらも続けていた思索をひとまず打ち切った。いくつかわかったことはあるのだ。それを整理しないといけない。ついでに、自分自身の修理もだ。
痛む足をひきずりながら、ヴァイスは最初の部屋、いや最後の部屋か? 一番奥の大広間へと戻ってきた。そこでは相変わらず迷宮核の上に画面が浮かび続けている。
迷宮核の台座のところまで行き、一端腰を下ろす。手に持っていた杖で床をつき、治癒の魔術、その魔方陣を足元に描き出す。円の中に、例の蛇の絡みあったような図形が並び、ぐるりぐるりと動き出す。
魔力を地面に流し、魔方陣を描くというのはコルドンの技術の賜物だ。それと治癒の魔術を組み合わせると、こういう芸当ができる。
この技術は魔術の術式をコルドンが作った図形に照らし合わせ、それをあてはめながら魔方陣を作り、杖先から流した魔力で床に描くというかなり面倒な手順を踏まなくてはならないのだが、かつてコルドンの研究過程でついでに練習していたのが役に立った。確かに余計な時間は食うが、実は使う魔力量自体はこちらの方が少なくて済むのだ。今は出来るだけ節約したい。
それに、どうも以前よりも魔力操作が楽な気がする。どうやら健康になったおかげらしい。
杖でこつんと出来上がった魔方陣を叩くと、一瞬、その形に床が光る。そして光が収まり、魔方陣も消えた後には脚の痛みも取れていた。その途端、なんとなく力が抜けるような感触が、ヴァイスに伸しかかってくる。
大分魔力を持って行かれたようだが、まだ大丈夫そうだ。
ヴァイスは一つうなずくと、今度はまた別の図形を描く。ヴァイスから少し離れた位置に出来上がったそれを、またこつんと叩く。今度はクラースたちを相手にしたときのように、淡い光を放ち続け、その中心で炎が上がった。赤々と燃えるそれは防寒対策だ。これでひとまず暖は取れる。
ヴァイスは赤々と燃えるをそれを見ながら、台座へと寄りかかる。体も魔力の膜で覆っているので、余り寒くはなかった。そうしながら、今わかったことについて考える。
まず、今の時期はどうやら秋らしい。そして、どうやらその間中、自分は眠っていたらしい。それから、どうやらここで自分が死んだと思って、誰かが供養しているらしいこともわかった。
ただ、ここまでは推測だ。大体そうだろうな、ということが見えたにすぎない。つまり何も分かっていないのだ。
季節は秋といっても、今がいつの秋なのかが分からない。一年は十二カ月あるが、最低でもその中の半年を眠っていたようなのだ。正直、それが本当に半年なのかもわからない。一年半なのかもしれないし、十年半、さらには百年と半年ということだってなくはない。
木々の生育具合はヴァイスの記憶とあまり変わっていなかったようだが、そのあたりに関しては専門外だ。具体的に今がいつの秋なのかがは分からない。そもそも、どうしてそんなに意識が無かったのだろうか?
ヴァイスはため息をついた。推測しかできないことを考えても仕方がない。では、分かっていることは何か?
ひとまず、自身は迷宮から魔物として認定されてしまっていることは分かった。どうしてそうなったのかは分からない。もともと、エルバラダ関連は謎の多いものなのだ。起動実験だって記録されているものはここ以外にないだろう。何が起こるか分からなかったのだ。その実験の結果、おかげで例の謎の壁から出ることができなくなっている。今のところ分かっていることは、これだけだ。そして大問題でもある。
こめかみを揉み解しながら、これをどうしたものかと思案する。
さすがこんなところにいつまでもいる気はしない。研究対象ではあったが、わざわざそこで寝泊まりしたいと思うほどではない。何せここにいては他の研究ができなくなってしまう。確かに歴史は専門だが、エルバラダはその一環であり、全てではないのだ。赤猫亭のケーキみたいな美味いものだって食べられないだろうし、流石にそんなことは勘弁してほしい。
この問題の解決策は、多分、ある。それは間違いなく、『画面』の操作だ。
迷宮の構造の変更や、錬金術のような突然の壁の錬成、果ては見えない謎の壁まで、いくらでも技術が詰まっている画面だ。こういった事態への対処ができるかもしれないという可能性はある。もちろんできないかもしれないが、他に打てる手が無い以上、これに賭けるしかない。
ただ、これは正直ヴァイスの手に余る問題だ。原典言語の訳はヴァイス自身もあまり詳しくないのだ。あまり複雑な操作は、うっかり何かのミスをしないとは言い切れ無い。画面の単語にしても、どこまで正しく理解できていたかは自信が無い。ここには原典関連の書物もない以上、これ以上知識を得ることは絶望的だ。それにもともと、これに関しては筋が良くない。やはり専門家がほしい所だ。
ヴァイスは唸りながら、入口のところにある花瓶を見た。
そして、これに関して希望はあった。どうやら、ここには定期的に来る人間がいるらしいことが分かっている。あの花瓶や、苔、時計などの周りの具合から見て、かなりの頻度で手入れされている。おそらく近いうちに、その人物が来るはずだった。
そして、おそらくそれは自分の関係者である可能性は高い。ここは赤の森のど真ん中、さすがに見ず知らずの年寄りの墓参りに、そんな手間をかけたりはしないだろう。おそらく、それなりに自分を慕ってくれているはずだ。ならばその人物に物事を頼んでみるという手が使える。そしてその人物に、原典言語の専門家を呼んできてもらえばいい。最悪でも原典言語に関する本を持ってきてもらうことくらいはなんとかなる。
専門家に関して、どんな奴がこんなところにわざわざ来るのかと思うかもしれないが、ヴァイスには来るという確信があった。目の前に、まさに自分が欲してやまない研究対象が有る場合、研究者というのは大抵、常軌を逸したことも平気でやることができる。そこに色々とおぜん立てをして、研究に専念できる環境を作ってやれば後は放っておけば勝手に成果を出してくれる。この点だけはなんの問題もない。
ただ、その前に問題がたちふさがっている。
誰がここに来るのか、そして、その誰かは、今の自分を見てどう考えるか、だ。
この点に関しては、かなり頭が痛い。今の自分を見た場合、その誰かはどう頑張ってもこの子供がヴァイス・イストリアス・クルーゼだとは思わないだろう。場合によっては衝突の可能性もある。どこにでも相手が舐めてかかっていい対象だと思うと、馬鹿なことをする輩はいるものだ。この相手がそうでないとは言い切れない。
そこまで考えて、一度ヴァイスは具合を見るかのように、自分のすっかり小さくなってしまった手を見つめ、握ったり閉じたりを繰り返す。力はない。しかし、以前よりもはるかになめらかに動くようになった手だ。一つうなずく。
おそらくだが、相手がそういった輩でも、なんとかなるような気はする。若返ったおかげで、ずいぶん、以前よりも勝手がきくようになっている。この迷宮を歩くにしても、老体の身なら、もう少し疲労しているはずだ。それが今は足のけがを治した後、これといって具合が悪くなるようなこともない。以前なら腰なりなんなりが痛くて、しばらく動けなくなっていたはずだ。それが無いのは素直にありがたい所だ。
もちろん魔力が弱くなってしまったという難点はあるが、そこは対策の使用はある。伊達に年を食っているわけではない。技術だけで乗り切れることも、世の中にはあるのだから。
一つ、確信は得た。だがその前に慣らしは必要だろう。正直まだこの身体に慣れているとはいえないのだ。
それにまだ食料の調達も出来ていないのも問題だ。水は魔法で出せるとしても、こちらをなんとかしないと、待ち人を待つのにもどうしようもない。最低半年、飲まず食わずで眠っていた時点でこれが必要なのかは疑問だが、解決するに越したことは無い。そして、これは一挙に解決できそうな当てがある。
ある程度体を慣らしておいて、ここにやってくる相手に舐められないように相応の相手として交渉する。そして、原典言語の専門家を呼んできてもらう。ないし、原典関連の本を持ってきてもらう。
こんなところか。
一つうなずき、ヴァイスはゆっくりと立ち上がる。
今後の方針は、決まった。しかしここには、食料となる獲物などはいない。ヴァイスも外へは出られない。だが、一つ当てはあった。最悪、水だけで過ごすことになるが、まあ、それでも何とかなる。その時は大昔にやった鍛錬法をもう一度やってみれば良い。まあ、いかようにもなる。
ヴァイスはそう、楽天的に納得すると、振り返る。
用事があるのは、この『画面』だ。