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迷宮からの脱出1

 ヴァイス・“イスタリアス”・クルーゼは、いつも黒の鍔広帽子を被っていることで有名だった。

 これはもともと有名なミズラ・ロハラ魔術学院の制帽である、とんがり帽子の尖った部分をなくして丸めたものだ。実際にヴァイスが学院卒業の時にかぶっていた帽子を仕立て直してある。そんなものを作った最大の理由は、卒業当初、ヴァイスが貧乏だったせいだ。

 当時のヴァイスは入学当初から使っている樫の杖と、つぎはぎだらけのローブ、ボロ靴、そしてこの三角帽子に、スズメの涙ほどの金が全財産だった。

 卒業当初、ヴァイスは冒険者として生きていくつもりでいた。ひとまず生計を立てないと、どうにもならなかったのだ。

 もちろん、ほとんど体力の無い学院出たての魔術師が荒事に向くかといえば答えは否だ。だが、卒業年齢である一八歳という歳にしては、ヴァイスはなかなか強力な魔術を使えた。なにより冒険者というのは、危険であると同時にそれに見合う報酬がもらえるという点で突出している。唯一の取り柄である魔法を生かせば、固定砲台くらいは務まるという目論見だった。

 もちろん、現実はそんなに甘くない。さすがに装備が樫の杖にボロのローブだけでは例えある程度武術をたしなんでいたとしても、魔物が相手ではすぐに死んでしまう。そんな危なっかしい固定砲台では、誰も雇ってはくれないし、パーティーには入れない。だいたいそんな装備では『私はど素人です!』と大声でわめいているようなものなのだ。誰だって足手まといとは組みたくない。

 そこでヴァイスは手持ちの金で出来る限り“見た目は”良い装備を買い揃えた。見た目はちゃんとしたローブに、見た目はしっかりとしたブーツ、見た目はキチンとしているザックと、言った具合に。

 とりあえず装備の段階で弾かれるということへの対策だった。もちろん、半月生活できるかも怪しいような資金が元手だったのでろくなものものでは無かったし、そんな物をそろえた後で素寒貧になったが、見た目の信用だけはなんとか取り繕うことができた。一応その装備のために、とあるパーティーにも入れた。そこまでは、良かった。しかし、それらは天候が晴れ、もしくは曇りの時ぐらいでしかうまく機能しないのだ。

 そうその時、雨具を買うのを、ヴァイスは忘れていた。

 当時いた地方がたまたま雨の降りずらい地方だったのもあり、そんな物はすっかり失念していたのだ。お陰で一度、びしょぬれのまま野宿という、イヤな事態に直面するはめになってしまった。

 そして当時はその日の食費を稼ぐだけでも精いっぱいという状態だったため、雨具を買うほどの余裕もなかった。魔物の跋扈する野外での雨具は、色々と細かい細工が必要なので高価なのだ。流石に冷たい雨の中一晩過ごした後、これも見た目だけという気分にはなれなかった。

 その結果としての帽子だ。どういうわけか撥水防水機能あり、なぜか防刃機能もありという、無駄に高性能なのがミズラ・ロハラ学院の制帽である『とんがり帽』だ。なぜか学院の生徒全員に無料で配られるそれは、そんな高性能なのに質草としては二束三文の値しかつかないという、謎の代物でもある。

 金にはならないが便利なそれに目をつけて、ヴァイスはいじくりまわした。具体的には、頭を揺らすたびに邪魔になるとんがりの部分を切り取って、鍔の部分に針金を仕込んでひらひらしていたのを固定させる。ついでに頭頂の部分にも針金を仕込んで補強もした。何かの本で読んだ、頭にかぶる笠というのを参考にしたのだ。

 これのおかげでちゃんとした笠とはいかなくとも、移動の途中などで雨が降って来た時の急場しのぎにはなる。降ってくればくればで、その間に雨宿りのできる場所を探すなり、結界術での対策なりをすればいい。おまけに頭にかぶるので手をふさぐ心配もない。いざというときは針金が多少はダメージを防いでくれる。

 これが使ってみるとなかなか勝手が良く、ヴァイスはそれ以来討伐には必ずこれをかぶるようになった。学院の卒業記念を切り刻むという暴挙に出る者もヴァイスのほかに現れず、ヴァイス自身が有名になるにつれ、以来それは彼の旗印(インシグニア)代わりになっている。

 そんな有名な鍔広帽を手に取ると、ヴァイスはいつものように頭に載せた。


「―――何が、どうした?」


 そうつぶやいて、思わずせき込む。たった今目を開けたばかりのせいか、変な声が出た。

 軽く咳ばらいをしながら、辺りを見回す。

 思わずいつもの癖でそばに転がっていた帽子をかぶったが、良く考えてみれば今はあまりいい状態ではなかったはずだ。見上げると長年の探索生活で見慣れた、無機質な天井が見えた。

 どうやら仰向けに寝転がっていたらしい。手をつき、四つん這いの姿勢で身体を起こすと、ぽきぽきというイヤな音がして、思わず顔をしかめる。どうやら床に投げ出されるような形で倒れこんだらしい。前に一度馬車から落ちたときの感じに似ていた。

 体を起こして辺りを見回す。起きたばかりで視界はぼやけているが、今いる場所はあの迷宮核のある部屋に間違いない。中央にある迷宮核が光を取り戻している。おかげで部屋の様子が隅々まで良く見えるほどに、部屋の中は明るくなっていた。


「……これは、マズいな」

 

 だからこそ、困った事態になっているということも良く見えた。ヴァイスが入ってきた入口の門が閉じている。そこに扉はなかったはずなのだが、どういうわけかそこが閉じられていた。

 こうなったか。

 いやな現実に、そんな感慨がこみ上げて来る。やはり妙な声がする喉でせき込みながら、ヴァイスは胡坐をかき、座り込んだ。

 唯一の出口は閉じてしまったのだ。『迷宮』で扉が見つかった例はあるが、そのどれもが開けることができないものだった。おそらく今回もその一つだろう。つまり、ここに閉じ込められたことになる。そして破壊することも、たぶんできない。

『迷宮』は魔力で稼働する関係上、その特性を利用して構造物自体が一つの魔方陣として機能するように作られている。その物理的にも魔術的にも堅固な作りは、神話に謡われているようなよほど強力な魔法か、兵器、さもなければドラゴンでも連れてこない限り破壊する事はできないと言われている。ヴァイスの実験結果でも概ねその通りの結果が出ていた。

 もちろん今のヴァイスにそんな実験を繰り返す力は残っていない。

 小さく、ため息をつく。

『迷宮』では『迷宮核』のある部屋が見つからないことがある。それでも迷宮として機能しているのだから、どこかにあるはずだと隅々まで探されるのだが見つからないのだ。その答えが多分これ(、、)なのだろう。何の装飾もない、ただひたすら頑丈さを追求したような扉を見て、思う。

 つまり、一種の防衛機構としてこの部屋を隔離してしまうのだ。なるほど、考え方としては悪くない。迷宮の弱点は何と言っても『迷宮核』だ。これを壊されると迷宮は死に、ただの『遺跡』となってしまう。ならば壊されないように、頑丈な扉で閉じ込めてしまえばいい。今は失われてしまっているが、エルバラダの民にはこれを開ける手段があったのだろうから、その方が良いに決まっている。

 ヴァイスはそこまで考えて、床に寝そべった。ひやりとした感触が背中を撫でる。

 そこまでは分かった。しかし、これではちゃんと稼働しているかどうか、調べようにも調べられない。一応迷宮核が光を取り戻している以上、そこは稼働しているのだろうが、それをまともに調べるには実際に迷宮内がどうなっているのかを調べるしか方法が無い。ここから出られない以上、ヴァイスに出来ることはこれ以上無い。そういえば、あの連中は無事に脱出できただろうか?

 ヴァイスはそこまで考えて、小さく笑う。

 あれでも帝国では腕利きなんて言われるような連中だ。心配するだけ損だろう。

 閉じ込められたことに動揺はなかった。どの道、そう長くない命だ。まあ最期にここまでわかっただけ、良しとしようか。

 そんな諦めを感じながら、静かに目を閉じる。あとは毒が勝手に連れて行ってくれるだろう。幸いなことに身体の節々が痛む以外、あまり辛くないのがありがたい。あとは寝ていればいいだけだ。そういえば、審判の神が本当にいるのかどうか、確かめるいい機会かもしれない。

 背中に冷たさを感じながら、布団で寝るような気持でヴァイスは待つ。

 神がいることは分かっている。だが実際に見たという者はもっとも新しい事例で一五六四年前、ダルサラール寺院初代院長メテランド・ブロースが主神に会った事例を除き、確証が無いのが現状なのだ。聖職者に信託が降りることはあるが、実際に見たというものはいない。

 死者の魂は審判の神のもとに行き、そこで地獄と天国、どちらに行くか決められるのだと、『聖書』に書かれている。つまりこのままヴァイスが死ぬと、聖書の記述通りならそこへ行き、神に会えるはずなのだ。信仰の類とは縁遠い生活を送ってきたが、確かめられるなら確かめてみたい。

 ヴァイスは待つ。

 それにしても、赤猫亭のケーキを食べ損ねたのだったか。今は春先、まだ寒いとはいえおそらく南方の果物は入ってきているだろう。あそこの女将が作るケーキはなかなかにうまいのだ。ヴァイスも毎年楽しみにしていたのだが、もう食べられないかと思うと残念だ。

 待つ。

 しかし、ヴィオラにそれを買ってくる金を持たせてやらなかったのは失敗だった。討伐報酬やら何やらでけっこうあれ(、、)も貯め込んでいたはずだが、死ぬのならそういうことは清算しておきたかった。あれが子供のころ、拾って以来の付き合いだが、さて自身が死んだあとはどうするつもりなのか。

 待つ。

 いい加減婿でも取れと言っておいたのだが、釣り合わないとか何とか言って、見合い話をすべて蹴ったのだ。いくら長生きできるからと言って、そんなことばかりやっていると、サリュードの婆のように手遅れになるぞと言っていたのだが、果たして聞く耳を持っていたのやら。

 

「……一体いつまでこうしていればいいんだ?」


 思わず、また変な声で呟き、目を開ける。

 考え始めると妙なことばかりが気になってしまう。さっさと連れて行くのなら連れて行ってほしい。“安眠蛙”の毒はそれなりの即効性があったと思うのだが、カリョウの言っていた例の調合法とかで効き目に影響が出ているんだろうか? だとしたら、もう少し上手くやってほしいものだ。

 毒に八つ当たりしながら、ヴァイスは仕方なく体を起こした。

 まだ時間はありそうだ。なら、最期に『迷宮核』でも調べてみるか?

 ようやくすっきりとし始めた視界のおかげで細かい所まで調べられそうだ。そう思い立ち、ヴァイスはのそりと身体を起こす。

 起こしたのだが、目に映るものが、少しばかり奇妙だった。

 

「んん……?」


 どうも、視界の方に影響が出ているらしい。視点の位置が変だ。遠近感が狂っているらしく、なんだか妙に低い位置から物を見ているような感じがする。まったく、安眠蛙め、連れては行かない癖に気が利かない。

 なぜか妙にずれる帽子を直し、少しはマシになってくれればいいんだがという思いを込めて、ヴァイスは仕方なく目をこする。

 そして一回こすり、手を止めた。

 別に痛かったわけじゃない。確かにまだ体中が痛いが、だからと言って手を止めたりはしない。止めたのは、その手が触れている顔に妙な感触があるからだ。

 ヴァイスは八十を越えていた。もちろんそれくらいまで生きれば、ただのヒト族であるヴァイスだ。顔は皺くちゃだったし、その感触はそこらへんの革鎧の方がまだ手触りが良いと言えるような状態だった。だから、今回もその感触が無いとおかしいのだ。

 そう、おかしかった。

 なにせ手から伝わってくる顔の感触は、まるで金物屋ダルトンのところのムー坊の顔のようだったのだから。自分のことを祖父のように慕ってくれたムー坊。最近ようやく寺院学校で字を習い始めたという。たしか、まだ六つになるか、ならずかだったような気がする。

 何故、八十の爺の顔でそんな感触を味あわないといけないのか?

 思わずヴァイスは確かめるように自身の手を見つめた。そこでまた妙なものを見た。

 仕事柄、ミイラ、骸骨の類は良く見るのだ。遺跡の発掘や、たまに持ち込まれる出土品の大半にそんな物が含まれている。それでもたまに、自身の手とミイラの手の区別がつかなくなるようなときがあったものだ。

 だいぶ干からびてきていたのだ。八十まで生きていれば無理もないことだろう。血管が浮き出し、骨に皮がかろうじて着いているような状態だった。

 一度ミイラの手と並べてみたことがあったのだが、ぱっと見では区別がつかないほどだった。いや、もちろん良く見れば血管が通っていたし、違うことは分かるのだが。

 では、いまこのヴァイスの視界に入ってきている手は何か。それは明らかにミイラと見分けがつかないようなものではない。敢えて言うならば、『子供の手』だった。

 ヴァイスだって、昔はこんな手をしていた時期もある。もう記憶の遥か彼方だったが、誰もが一度はそうであったように、一応ヴァイスにも子供だった時期もあったのだ。七十年以上も前の話だが。

 なぜ、そんな子供の手が今頃、自分から生えているのか?

 考えようとするのだが、今の事態に対してちょうどいい言葉が見つからない。ヴァイスは久しぶりに呆然とするという気分を味わっていた。

 もしこのときヴァイスが自身の姿を上から見ることができれば、おそらくそこに自分がいることに気付くとができなかったに違いない。ヴァイスが座っている場所に、老人の姿はなかったのだから。

 ヴァイスが座っている場所。そこにいるのは、誰がどう見ても十歳くらいの子供だった。その子供は自身の手をまじまじと見つめながら、呆けたような表情を浮かべている。

 ヴァイスがいつもかぶっている鍔広帽がその子供の、大きさの合わない頭の上で揺れていた。

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