彼の家庭教師
「沙耶ちゃん、聞いて?今日、転校生に助けられたの。」
頬を少し赤らめて離す彼女は、キラキラと輝いて見えた。
今までの彼女を知っているから、その事が余計に嬉しかった。
それと同時にその転校生とやらに彼女がとられたようで少し寂しかった。
それでも彼女が笑っているのなら私は嬉しかったのだ。
ただ、少しの寂しさと嬉しさの混ざった感情が私の胸に駆け巡ったのは子離れできない親の心境のようで、少しだけ苦笑が漏れた。
***
エリオットが伯爵家に引き取られて早数日。そろそろ彼も此処の生活にも慣れてきて、彼にも専属の家庭教師が付くことになった。
そして、その家庭教師が来るのが今日という訳だ。
「おはよう、エリオット。」
「おはよう。」
あれから挨拶をすれば返事が返ってくるようになった。
無口無表情だし、余り素直ではないけれど私を無視することもなく話しかければ聞いてくれるようにもなった。母とはまだまだ微妙な関係だけれども。
それでも三人での食事は然程悪くないものになってきてはいた。
うんうん、いい傾向だ。
何だか警戒心の強い野良猫を手懐けていっているみたいだわぁ。
弟ってこんなものなのかしら?
私、前世一人っ子だったから分からないけれど。
「そう言えば今日、貴方の家庭教師が来るのよね?」
私がそう問えばこくりと首肯して返す。
「どんな方が来るのかしら?楽しみね!」
「何であんたが楽しみになるんだよ。」
私は燥いだ様に(外見は燥いでいる様には見えないが)エリオットに同意を求めるが、彼に素っ気無く返されてしまう。
「ちょっと、姉に向かってあんたは無いでしょ。お姉さまって呼ぶか、エルって呼んで。」
「エリーゼじゃなくて何でエル?」
「別にいいじゃない。私はエリーゼよりエルって呼ばれたいわ。」
エリーゼって愛称ゲームでもよく出ていたから、何となく抵抗があるのよね。
もちろん愛称を呼ぶ相手は彼女を裏切る仲間ですからね。
母はゲームに出てこないから抵抗は無いけれど、ゲームの主要キャラであるエリオットに呼ばれるのは少々抵抗がある。
「ねえ、呼んでみて?」
「・・・・・・・もう時間。」
愛称を呼んでもらおうと促してみるも、エリオットにはそっぽを向かれてしまった。
もう時間が来たからとさっさと行ってしまう。
逃げられた!!
もう、照れ屋さんめ!
そそくさと去っていくエリオットの後姿を見つめながら、ふふふっと無表情に笑う私を不気味そうに遠巻きに見遣る使用人に気付くまで私は彼の去って行った方を見ていた。
今日は授業が早く終わったけど、課題がいっぱいだよぉ。
先生の授業を終えて、さっそく書庫へと向かう。廊下を歩いて二階の端にある書庫へとたどり着く。
そっと扉を開くと、古い本の臭いが鼻を擽った。扉の正面にある机が設置してある空間以外は所狭しと本棚の列が並んでいる。結構な高さの本棚は、十歳の私では椅子に登ったところで一番上へは到底手が届かない。
一面の本の山に囲まれたこの場所は一種別世界の様で、毎度此処に訪れては少しドキドキしてしまう。
書庫へと足を踏み入れた私は、今日出された課題の資料を探すために順々に本棚を眺めて回った。
本棚を見て回りながら目ぼしい資料の本を数冊手に取る。最後に探していた本を見つけるも、今の私では椅子に上ったところでぎりぎり手が届かない場所にその本はあった。
椅子の上で爪先立ちになりやっと手が届くもなかなか引っ張り出せない。
そんな私の様子を見て何を思ったのか、何時も周りをフヨフヨと漂っていた小さな精霊たちが本の周りに集まりだして半透明の緑色に覆われてしまったように見える。何をするのかと観察しているとその本がほんの少しだけ引き出されていた。どうやら私の手伝いをしてくれていたようだ。
此処に漂っている精霊たちは唯でさえ力が弱く実体化も取れない彼らが物に触れようというのだ。部分的な実体化でさえ自身のマナを沢山使っていることが薄くなっていく身体で分かる。
消えてしまうんじゃないかと内心ハラハラして見ていると、本が1cm程動いたところで先程よりも薄くなった体をして私の元へと戻って来た。
ホント助かります。
「ありがとう。」
お礼を言うと精霊たちは嬉しそうな顔をして私にくっ付いて来た。実体が無いので実際はそんな気がするというものなのだが。
そんな彼らが可愛らしかったので少し笑ってしまった(表情筋動きませんけどね)。
暫くの間私にくっ付いていた精霊たちはフヨフヨと窓の方へと向かって行く。枯渇したマナを回復しに行くのだろう。彼らは自然のマナの塊のようなものなので自身が消えない限り自然界からマナを補給することで回復する。
私は彼らの先にある窓をそっと開けてやる。実際は彼らには実体が無いのであまり意味は無いのだが、それでも彼らに手助けしてくれた感謝の気持ちをを伝えたかった。
私の開けた窓の隙間から出て行く彼らをほんわかと温かくなる気持ちで見送る。
ふわふわときまぐれに漂う彼らが何故か私を気に入っているらしい。
それが何故なのかは知らないが、彼らに助けられているので然程重要なことではないかと気にしないことにした。
カタン
後ろから聞こえてきた物音に驚いて慌てて振り返る。
振り返った先に居たのは見知らぬ青年。茶色の瞳に同色の髪のこの国で一般の色を持つ何処にでも居る様な十代半ばか後半の男だった。
「誰!?」
突然後ろに現れた青年に驚いて一歩下がってしまう。
「えっと、ごめん。お、驚かせてしまったかな?」
その青年はどもりながらも謝って来た。どうやら気の弱い性格らしく無害そうな顔に申し訳なさが前面に押し出されている。眉もこれでもかと言うほどハの字に垂れ下がっていた。
あまりにも人畜無害そうな青年だった為に気が緩みそうになるが、だからと言って何時の間に書庫へ入って来たのかも分からない見知らぬ青年に警戒を解くことは出来ない。
私はそのまま距離を取った状態でジッと青年を凝視した。
その事に気が付いた青年はますます困ったような表情をして苦笑を零した。
「えっと、別に不審者じゃないんだけど。」
「信用できませんね。」
「で、ですよね。」
自分から不審者ではないと信用ならない否定を即切り捨てると青年はガクリと項垂れた。
暫く暗い雰囲気を醸し出していた青年は一つ咳払いをすると表情を改めて此方を見つめてきた。
「自己紹介がまだだったよね。僕はダリル・カールトン。まだ卒業を控えた未熟な身だから、正式な家庭教師の繋ぎとして今日から君の弟君の家庭教師をすることになったんだ。よろしくね伯爵家のお嬢様。」
「え!?何で私の事・・・・」
「この辺で銀髪の女の子と言ったら伯爵の娘しかいないよ。」
何を当然なとばかりに答えられた。
確かにこの国の一般の色は目の前の青年の色なので否定できない。
エリオットには色は受け継がれなかったが、ファウマン家の多くは銀髪無表情が多いのだとか。
無表情だけ受け継がれるってそこんとこどうなのかな。
取り敢えず不審者ではないらしいし、寧ろ弟が世話になる先生なので挨拶くらいはしないとね。
「改めてこの伯爵家の長女エルゼリーゼ・ファウマンと申します。以後お見知り置き下さい、カールトン先生。」
「そんなに堅苦しくなくても。エリオット君も名前の方で呼んでるからエルゼリーゼちゃんもダリルと呼んでくれていいよ。」
ニコッと微笑むダリル先生。
ちゃ、ちゃん付けですか。
気の弱そうに見えて結構押しの強い人なんですね。
「ところで・・・」
「何ですか?」
話しかけて来たのはそっちが先なのに少し考え込むように押し黙ったダリル先生は私をジッと見てくる。そんなダリル先生の行動が分からず小首をかしげてしまう。
何だろうと彼が話すまで黙って見守っていると、徐に彼は口を開いた。
「エルゼリーゼちゃんは精霊が見えるんだね。」
「え・・・・」
その言葉を聞いて一瞬息が止まりそうになった。
何故そんなことと聞いて来るのか。
もしかして先程の出来事を見られたのか。
否、それよりも彼は何時からこの部屋にいたのだろう。
沢山の疑問が頭を占める中、私は嫌な汗が背筋を伝ったのを感じていた。
「そんなに警戒しないで。」
「何時から見てたんですか?」
「何時からと言うか、僕の方が先に書庫に来てたんだけどね。奥に居た所為か君は僕には気が付かなかったみたいだけど。」
「・・・・・・。」
「大丈夫、歴史では精霊や精霊術師を悪者のように表現されているけれど、僕は精霊にそんな偏見は持ってはいないよ。」
「・・・・・。」
何となく、薄々感じてはいた。
精霊の事を聞くと皆一様に嫌な顔をすることに。
だから精霊が見えることは言えなかった。
そんなことを言えばどう思われるのか嫌な予感しかしなかったから。
「それにしても、僕は運が良いのかな。」
「え?」
「先輩が欲しがってた人員をこんなにも早く見つけられるなんて。」
「先輩?」
「精霊術師は今じゃもう殆ど居ないからね。ホント良かった。」
????
何を言っているのか分からない。
勝手に一人で納得しないでもらいたいですよ!!
何が良かったのかさっぱり分からない。
だから私にも説明を要求します!!
話しが長くなったので分けました。
次回は続きになりますので、もっと早くに投稿したいと思います。