不思議な子(エリオット視点)
二話更新です。
転機が訪れたのは俺が八歳の頃。
それまでは下町の小さな家で母と二人で暮らしていた。
少し狭くぼろい家だったけれど、それでも母と子二人で暮らすには十分な広さだった。
父は偶に顔を見せるが、それでもこの家に住むことは無かった。
物心ついた頃はそれでも父と母が仲睦まじいことが嬉しかったが、それでも成長するにつれて自分の家が他の家とは違うことに疑問を持った。
なぜ父さんは偶にしか会いに来てくれないのか。
なぜこの家に住んではくれないのか。
なぜ?
そんなことを母にぶつけると、母は決まって暗い表情で悲しそうに笑う。
それが分からなくてその時は父に憤りを感じた。
なぜ母にこんな顔をさせるのか。
なぜずっと一緒に居てくれないのか。
ただ、溢れる疑問は幼い自分にとって毎日の日常に埋没してしまい些細なこととして深く考えることは無かった。否、もしかしたらその事を知ってしまったらこの日常が壊れてしまうことを何処かで分かっていたのかもしれない。
そしてそれは、母が死んですぐに分かる事だった。
母が亡くなったのは、俺が八歳の頃。
当時下町で流行っていた流行病で、母は呆気なく逝ってしまった。
近所の人に手伝ってもらいながら、町の集合墓地へと葬られた。
そして俺はあの家で一人となった。
八歳の自分にはあの家で一人暮らすのは大変で、孤児院へと送られることが決まった。
父が訪れたのは、孤児院へと送られる数日前の日だった。
母の事を知った父は、いつもの無表情で俺を引き取ると言った。
相手は実の父親なので当然父に引き取られることとなった。
俺は父に手を引かれ、父の住む実家へと来た。
そして、そこで漸く自分の置かれている状況を知った。
なぜ父が一緒に住むことがなかったのか。
なぜあの時母が暗い表情をしたのか。
自分という存在。
下町でもよくあることだった。
何処そこの娘が豪商の愛人だとか、向こうの旦那は不倫しているだとか、そんな話を耳にすることはあったが俺には関係ないと思っていた。
だがしかし、蓋を開けてみれば母は愛人で俺は愛人の子。
両親に裏切られた気がした。
どうして?
あんなに仲のいい夫婦だと思っていたのに。
嘘だったのか。
隣にいる父をどんなに本来の父の妻から罵られている自分を庇ってくれても、父が俺を愛していたとしても、もう素直に慕う事の出来ない自分に絶望した。
彼女に会ったのは、そんな人生の節目とも言える衝撃の日だった。
彼女は、父の妻だと言う人の隣に佇んでいた。
父と同じ銀の髪に表情の見えない顔。隣の女性と同じ釣り目がちな碧い瞳。
二人の色彩を掛け合わせたかのような少女は、父とその女性の子供だと言うことがすぐに分かった。
玄関先で睨み合う二人(と言うより女性の方は俺の方を睨んでいるようだが)を一瞥しながら目の前の少女へと意識を向ける。
少女はただ、表情の見えない顔でぼんやりを窓を見つめている。
隣の女性と同じ憎しみのこもった眼を俺に向けるでもなく、父を睨むでも無い少女が分からなかった。
何を、考えているんだ?
隣で醜く言い争う二人を余所に、俺は少女を観察していた。
二人の言い争いは激しさを増し、父がこの場を立ち去る頃には目の前の女性は人一人視線で射殺せそうなほどの視線を俺と父に向けていた。
父と女性がそれぞれ去って行って、この場所に俺と彼女だけの二人だけが残った。
暫く静寂がこの場を支配していたが、徐に少女は声を出すと今まで動かなかった表情に変化があった。
それはとても小さく微かな変化だったが、少女はわずかに目を見開いて俺を見ていた。
少女は発してしまった声を慌てて抑えるかのように手で口元を押さえている。
「えっと・・・・・・わ、私、家庭教師を待たせているのでしたわ。・・・・それでは失礼します。」
俺に何か言いたいことでもあるのかと黙っていたのだが、彼女はそう言うと早々に去って行った。
これが彼女と俺の最初の出逢い。
彼女の第一印象は、少し変わった少女。それは彼女と接していく中で変わることは無く、寧ろそれはより強い思いとなった。
この屋敷の殆どが媚を売る者、軽蔑する者、様々な視線がで俺を取り囲む中、彼女だけは違っていたから。だからこそ不思議で、少し苦手に思っていた。
俺は彼女からたくさんの物を奪ったと言うのに。
父親の愛情も、爵位も、彼女が貰うはずだったものを奪ってしまった。
憎んでいるはずだ。
其れなのに何故、俺に構うんだ?
分からない。
彼女の母親が俺を責め立てた時も、彼女は庇ってくれた。
何故?
その答えは実に単純なものだった。
弟だからだと。
家族だからだと。
仲良くしたいのだと。
そう言う彼女の瞳に嘘は無くて、自身の家族を壊した元凶であるはずの俺を純粋に家族として見てくれる。その事がとても苦しくて、嬉しかった。
ありがとう。
その言葉は小さく、空気に溶けて消え彼女の耳に聞き届けることは無かった。ただ、不思議そうに俺の名を呼ぶ彼女にその言葉をもう一度言うつもりは無く、それを誤魔化す為に晩餐の仕度へと急かすことにした。
君は知らないだろう。
両親に裏切られて。
屋敷の人間を信じられなくて。
それ以上に自分自身に失望していた。
そんな俺を信じ、家族だと、仲よくしたいのだと手を差し伸べてくれた。
その事がどれほど嬉しかったことか。
だから、もう一度家族というものを、君を信じてみたいと思えたんだ。
あの事件があってから、彼女を取り巻く屋敷の雰囲気はがらりと変わってしまった。
今までは彼女の扱いに戸惑っていた者が多かったが、今では彼女を恐れ敬遠する者が殆どだ。
父親である伯爵はもとから嫌っていた所為か、今回の事は彼女の所為だと、伯爵家の面汚しだと余計に嫌った。
それでも彼女は今日も、表情の動かない顔で挨拶をする。
少し嬉しそうな声色で。
変わらない真っ直ぐな瞳を俺に向けながら。
「おはよう、エリオット。」
ちょっと不思議で、とっても変な姉さんに、俺もいつも通り挨拶を返すことにする。
この後鬱陶しいくらい構ってくることに面倒だなと思いながらも、結局は付き合わされるんだろうと諦めにも似た思いを抱きながら。
それをおくびにも出さないで。
「おはよう、エル。」